世界史

小国にして文化大国《歴史を変えたオランダ人》"

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 ドイツとベルギーにはさまれたヨーロッパの小国オランダ。土地に恵まれているとは言い難く、「ネーデルラント」(低地の国)という名前の通り、国土の約30%が海抜ゼロメートル地帯といわれ、 治水と干拓によって国土を広げてきました。面積も広くはなく、Wikipedia情報 では41526km2と、137/244位。(日本は377972km2で62位。)  国土の条件のために常に水害と戦ってきた小国オランダですが、経済的には世界トップクラスの大国であり、2015年のデータでは名目GDPでは世界17位 、一人当たりのGDP(GDP per capita)では日本よりも上位 です。

 世界史においても、小さなオランダは大きな存在感を示しました。とくに大航海時代以降は物資の集積地として、イタリアに変わってヨーロッパの経済的中心地となり、急速にその存在感を示し始めます。1581年にはネーデルラント連邦共和国としてスペインから独立、1648年のウェストファリア条約で独立国として承認されると、首都アムステルダムは商業と文化の中心地となり、17世紀はオランダの黄金時代となりました。オランダは海外進出にも着手し、1602年のオランダ東インド会社設立を皮切りに、インドネシアを植民地とすることで、香辛料貿易のための海上覇権を握りました。鎖国下の日本と貿易をしていた唯一のヨーロッパ国としてもお馴染みです。

 このように、小国というハンディを抱えながらも、オランダは世界史を通じて経済・文化大国でした。そのため、世界史のなかでオランダ人が果たした役割は非常に大きく、オランダ人を語らずして世界史は語れない、といいたくなるほどです。そこで、世界史を変えた小国、オランダ生れの歴史人物から、分野のまったく異なる3名を紹介します。オランダのふところの広さが伝われば、と思います。

注:日本ではオランダを国家の名前として使っていますが、英語ではthe Netherlandsが使われます。オランダは、ネーデルラントの中心地域であるHolland州に由来します。しかし、日本では国名としてオランダが定着していることから、ここではオランダを用います。

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1.デジデリウス・エラスムス(1466-1536)

業績:『痴愚神礼賛』で教会批判を行い、宗教改革の先駆となった。

 デジデリウス・エラスムスは、「ロッテルダムのエラスムス」とよばれることもあるオランダの人文主義者・聖職者。人文主義者(humanist)とは、ルネサンス期以降に現れた、ギリシャ・ローマの古典研究を行い、人間のあり方や宗教に関する考察を行った人々を指します。神学の分野における人文主義者は、当時普通に読まれていたラテン語訳聖書だけではなく、ヘブライ語などの聖書のテクストにもあたり、そのことが聖書解釈の再考、教会体制への批判につながることもありました。

 エラスムスの業績は、主著『痴愚神礼賛』によって、のちの宗教改革への道を築いたことにあります。1511年に出版された『痴愚神礼賛』は、教会や貴族のあり方を痛烈に風刺した作品で、ベストセラーとなるとともに、教会からは発禁処分を受けた問題作。『痴愚神礼賛』のほかにも、エラスムスは人文主義者として聖書のテクスト研究に着手し、1516年出版した『校訂版 新約聖書』は、ラテン語訳とギリシャ語訳に詳細な注釈が加えられた新しい聖書として広く読まれました。この聖書はやがて、ルターによってドイツ語訳されることになります。こうした革新的な仕事にもかかわらず、エラスムスは生涯カトリック教徒であり、『痴愚神礼賛』こそ問題となりましたが、あからさまに宗教改革を意図することはなく、ルターとも意見を異にしました。しかし、エラスムスの幅広い分野にわたる著作は、のちの宗教改革へとつながったことは確かであり、「エラスムスが産んだ卵をルターがかえした」と言われています。

2. ヘイケ・カメルリング・オネス(1853-1926)

業績:超低温における物体の研究。ヘリウムの液化成功。超伝導の発見。

 時代と分野は飛んで19世紀、物理の世界でオランダ人が活躍しました。ヘイケ・カメルリング・オネスは、1853年フローニンゲンの生まれ。フローニンゲンで博士号を取り、ライデン大学を拠点に研究生活を送りました。オネスがライデン大学での研究テーマは、超低温における物理学でした。なかでも彼の目標となったのが、液体ヘリウムの製造。ヘリウムは普通、空気中に気体として微量存在しますが、空気を冷やして超低温にすると液化するのです。そして1908年、オネスは世界で初めてヘリウムの液化に成功します。

 オネスの業績はヘリウムの液化だけではありません。オネスの時代、金属を冷却すると電気抵抗が減少することが知られていましたが、超低温時のふるまいについては知られていませんでした。つまり、絶対零度(0K、-273.15度)において、金属にまったく電流が流れなくなる(抵抗が無限になる)という説もあれば、オネスのように、抵抗が0になる、という説もあり、結論が出ていなかったのです。この議論に決着をつけたのが、オネスのもう一つの業績、超伝導の発見でした。

 1911年、水銀を冷却する実験をしていたオネスは、絶対零度付近で水銀の電気抵抗が急激に下がる減少を観察しました。この絶対零度付近における電気抵抗の急激な減少こそ、超伝導(superconductivity)とよばれる現象です。オネスの発見した超伝導は、以後100年以上にわたっての物理界の一大トピックとなり、1950年には、超伝導の理論的説明を試みたBCS理論によって、提唱者バーディーンら3人がノーベル物理学賞を受賞しています。現代においても超伝導は物理学者の関心を引きつける研究対象で、高温でも超伝導状態になる高温超伝導体の発見が進められており、2015年には203 K(?70度)という高温での超伝導が観測されました。

 なお、カメルリング・オネスは1913年にノーベル物理学賞を受賞しています。また、月には彼の業績をたたえ、カメルリング・オネスと名付けられたクレーターがあります。

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3. ウィレム・メンゲルベルク(1872-1951)

業績:オランダ人指揮者として国際的に活躍。『マタイ受難曲』の録音。

 最後は芸術の分野から、指揮者メンゲルベルクを紹介します。オランダといえば、フェルメール、レンブラント、ゴッホ屋を生み出した絵画の国というイメージが強いですが、音楽も盛んであることはあまり知られてはいません。オランダの音楽界で最も有名な人物といえるのが、20世紀初頭に活躍したメンゲルベルクです。メンゲルベルクの活躍した時代は、フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターといった伝説的な指揮者が凌ぎを削っていましたが、メンゲルベルクは、これらの巨匠に負けない存在感を示しました。

 メンゲルベルクはユトレヒトの生まれ。幼少期に彼に音楽教育を施した教師の一人、フランツ・ヴュルナーは、ベートーヴェンと近しかったアントン・シンドラーの薫陶を受けています。

1895年、メンゲルベルクは24歳にして、伝統あるコンセルトヘボウ管弦楽団の主席指揮者の地位につきます。その後も、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督(1922-1928)に就任するなど、第一線で活躍を続けました。

 メンゲルベルクは、ロマン的な楽曲解釈と自在なテンポを特徴としました。マーラーやバルトークなど、同時代の作曲家の初演もこなし、1898年に完成されたリヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』はメンゲルベルクに献呈されています。また、録音もいくつか残されており、1939年棕櫚の日曜日における『マタイ受難曲』の演奏は、昨今では聞かれなくなったドラマティックな解釈で評価され、メンゲルベルクの代名詞となっています。

 メンゲルベルク以後も、オランダは、エデゥアルト・ベイヌム、ベルナルト・ハイティンクら国際的指揮者を輩出しています。また、オランダは古楽の中心地でもあり、トン・コープマン、ボブ・ファン・アスペレン、グスタフ・レオンハルトら多くの著名なチェンバリストを輩出し、フランス・ブリュッヘンが結成、指揮した18世紀オーケストラは、古楽オーケストラの雄として、古楽ファンにはよく知られた存在です。

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