日本史

「泣きたくなるほど美しい」桂離宮に魅せられたドイツ人建築家【ブルーノ・タウト】"

2016-09-16

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 建築物はいわば文化・風土の鏡。私たち人類が作り上げた建築は、湿度や温度といった風土を語るとともに、課せられた目的によってその社会の文化をも語ります。ヨーロッパにいまだ残っている石造りの古い住居や、バロック造りの壮麗な教会は私たち日本人の目を驚かせますが、それは日本と違って地震が少なく、乾燥したヨーロッパの風土や、教会というキリスト教文化を、建築のなかにまざまざと見るからでもあります。

 20世紀前半、日本の文化がヨーロッパを中心として世界を魅了しはじめたころ、ドイツからやってきた一人の建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)もまた、日本のある一つの建築に魅せられました。その建築とは、京都桂離宮。タウトは桂離宮のどこに惹かれたのか、彼の言葉とともに探っていきます。

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1.鎖国の終結からジャポニズムへ

 江戸時代の長い鎖国が終わったのが、日米和親条約が締結された1854年のこと。長崎では中国やオランダとの交易がおこなわれていたものの、日本は多くの欧米人にとって未知の地でした。200年以上の時を経て、いわば解き放たれた日本文化は、西洋人たちに宝島を発見したような驚きを与えるとともに、オリエンタリズム的な興味をかりたてました。なかでも日本文化の影響が強く見られたのが絵画の分野においてでした。葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重らの浮世絵は、ルネサンス以来の西洋絵画のカノンともいうべき幾何学的遠近法を大胆に無視した、新しい表現様式としてフランス人画家を中心に強い衝撃を与えました。ジャポニズムとよばれたこの潮流は絵画の世界にもとどまらず、しだいに音楽(プッチーニの『蝶々夫人』、ドビュッシー『海』など)、建築(アール・ヌーヴォ様式など)の世界へと波及し、西洋の芸術家たちはインスピレーションを求め、こぞって東の島国に目を向けました。一方、日本でも岡倉天心(覚三)や鈴木大拙ら、日本文化を英語で海外へ発信する人物があらわれ、日本と西洋の文化的交流が進みました。

 こうしたジャポニズム全盛時代のなかで、ブルーノ・タウトは育ちます。タウト自身も若い時から日本の美術に興味をもち、日本へ憧れをもっていた、と著書『ニッポン』に書いています。また、岡倉天心の『茶の本』もタウトは読んでいたようです。 時代潮流のなかでジャポニズムに肌に触れたことが、のちのタウトの人生を左右するのです。

 タウトは「表現主義」(Expressionism)とよばれる一派に数えられる前衛的な建築家としてベルリンやソ連で活動しますが、ナチスが政権を取ると、活動の場を求めスイスへ向かいます。そんな最中に届いたのが、日本インターナショナル建築界からの招待状。1933年5月4日、タウトは念願の来日を果たします。

2.桂離宮との出会い

 敦賀に到着した翌日、タウトは桂離宮に出会います。長らく憧れていた日本の美を間近でみた感慨もひとしお、タウトはこのときの印象を「泣きたくなるほど美しい」と日記に記しています。タウトは翌年の5月にも桂離宮を訪れ、この二回目の桂離宮体験は、エッセイ『永遠なるもの』(Das Bleibende)に結晶します。はたして、タウトは桂離宮のどこに惹かれたのでしょうか。『永遠なるもの』から読み解きます。

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3. タウトの見た桂離宮

 『永遠なるもの』においてタウトは、静寂の支配する庭園前にしたときの感興を次のように書いています。(以下、引用は篠田英雄訳、岩波書店。)
「私たち(註:タウトは二人の日本人と同行していた)は今こそ真の日本を知り得たと思った。しかしここに繰り広げられている美は理解を絶する美、すなわち偉大な芸術のもつ美である。すぐれた芸術品に接するとき、涙はおのずから眼に溢れる。私たちはこの神秘にもたぐう謎のなかに、芸術の美は単なる形の美ではなくて、その背後に無限の思想と精神的連関との存することを看取せねばならない。(中略)私たちは暫くここに立ち尽くして、互いに話すべき言葉を知らなかった。」

 この打たれたような感動の印象を通じてタウトは桂離宮の美を普遍なるものへ敷衍します。小林秀雄は『モオツァルト』において次のように書いています。
「優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬ或るものを表現していて、これに対しては学問上の言葉も、実生活上の言葉も為す処を知らず、僕等は止むなく口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、而も、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。そういう沈黙を創り出すには大手腕を要し、そういう沈黙に堪えるには作品に対する痛切な愛情を必要とする。」

美の背後に「無限の思想と精神的連関」読み取る姿勢は、タウトの美意識の基本となっています。
 タウトの茶室に対する評も注目されます。タウトは茶室が、ややもすると悪趣味に堕ちかねないほど融通無碍にふるまう個々の部分が、相集まってはみごとに全体の均衡を実現していることを指摘します。生き生きとした個々の闊達さと全体の調和の併存という東洋芸術伝統の妙技を桂離宮に見て取った、西洋人タウトの確かな審美眼はやはり驚くべきものといえるでしょう。

 桂離宮の「単純さ」もタウトの桂離宮評のキーワードです。ドイツには“Alles GroBe ist einfach”(すべての偉大なものは単純である)ということわざがありますが、タウトもまた桂離宮に「単純さ」を見出します。あらゆる部分が日常の要求に無駄なく自然に適っており、精神的な落ち着きのある桂離宮を、タウトは次のように評しています。「実際、これ以上単純で、しかも同時にこれ以上優雅であることはまったく不可能である。」

4. Das Bleibende ~現代建築としての桂離宮~

 日本への憧れを早くから抱いていたタウトですが、彼は桂離宮をエキゾティシズム的な興味や懐古趣味から評価したのではありません。タウトは桂離宮を時代や東洋の境を超えて現代に「生き続けるもの」(Das Bleibende)すなわち「モダン」な建築として評価しているのです。

 タウトの建築理論の最も重要なキーワードとして「合目的性」があります。まず、彼の言う建築の「目的」とは、
1.日常生活が機能的に営まれること
2.尊貴の表現
3.高い哲学的精神の開顕(『永遠なるもの』を参考。)
の三点を意味することに注意が必要です。つまり、タウトの言う建築の目的とは、1のような機能性だけではなく、2や3のような精神的な要素をも包括したものとして理解されなければならないのです。その上で、タウトは、桂離宮は「この三通りの目的が見事に統一されて天衣無縫の趣を示して」おり、「まことに偉大な奇跡でなければならない」と評しています。

 タウトは祖国を遠く離れた日本で出会った一建築、桂離宮に自身の建築理論の美しき実現を見、そして涙したのです。

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