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家康が平和を願って築いた霊獣たちが守る日光東照宮

2016-09-30

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1999年、世界遺産に登録された日光東照宮徳川家康を祀った社寺として多くの人々の足が絶えない建造物は、国宝が8棟、重要文化財が34棟もあります。日本でも有数の聖域とされるこの地を訪れて歴史に思いを馳せ、ここを守る霊獣たちに注目してみましょう。

家康が子供たちに託して、後世に残そうとしたもの

幼少の頃から織田家や今川家の人質として過ごし、孤立無援で戦国時代を生き抜いた徳川家康。本当の親から愛情を受けることもなく、他人の中で各地を流転した不遇な幼年時代の経験から、彼はずっと天下泰平の時代を夢見ていたのかもしれません。豊臣秀吉の死後に天下統一を果たしたのときには、74歳になっていました。家康はその翌年に亡くなりますが、遺言には「遺体は久能山に収め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と記されていました。その思いは秀忠、家光と三代に渡って引き継がれました。そして日光東照宮という社寺が生まれたのです。家康が遺言に残してまで建造を望んだのが日光東照宮でした。

戦国時代を生き抜き、天下太平の世を実現した家康が末永い平和を願ってこの地に日光東照宮の建立を思い立ったのは、必然だったのかもしれません。興味深いのは、祀られているのが徳川家康ということです。普通の社寺は、日本に伝わる神を祀りますが、ここでは人間を祀っているのです。

家康が守り神となったこの場所は、源頼朝による日光山信仰にはじまり、関東地方では常に宗教的な中心地でした。その縁ともいえるのか、江戸から北の位置にある日光は、天でいう北極星の位置と重なっており、江戸の守護神となっているのだともいわれています。そして、重要な建造物を線で結ぶと北斗七星の形になるそうです。 現在の日光東照宮は、家光による「寛永の大造替」のときに建て替えられたものです。死後も家康に仕えたいと考えるほど心酔していた家光が建て替えたからこそ、東照宮は優れた建築群として後世にまで残ったのかもしれません。

様々な霊獣に囲まれた壮大な建造物群は見ごたえ十分

 東照宮の玄関口である一ノ鳥居をくぐった左手には五重塔が聳えています。この塔には秀忠の干支の卯、家光の干支の辰の彫刻なども見られます。

 五重塔を過ぎて、しばらく進んだところに表門があります。ここから、いよいよ本殿に向けて足を踏み入れていくと、目の前には宝物殿である上神庫、中神庫、下神庫があります。内部には「千人武者行列」で使用される馬具や装束が収められており、この三つを総称して三神庫と呼ばれています。上神庫の屋根の下には狩野探幽が下絵を描いた「想像の象」の彫刻があります。これはその名の通り、象という動物が存在するのは知っているが、その造形を見たことのない狩野探幽が想像で作ったという風変わりな彫刻です。三神庫の向かいにある神厩舎では、有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿」が見られます。それに加え、左から右へ8つの物語が展開していて、それぞれに長い人生の一場面を表しているのが特徴です。

 さらに進むと東照宮の神馬をいれる馬屋・神厩舎があります。ここに入れるのは雄の白馬に限られています。東照宮の初代の神馬は、家康が関が原の戦いで乗った馬で、境内に厩舎を建てたのは、東照宮が最初といわれています。限られた時間でしか神馬を見ることができないので、ぜひ公開されている時間帯に訪れたいものです。東照宮の中では、この神厩舎だけが漆の塗られていない素木造りの建物で、質素な雰囲気です。

美しくも精巧な霊獣たちの彫刻で彩られた陽明門の佇まい

 ここから少し進むと御水舎があるので、手を洗い、口をすすぎ、心身を清めます。鳥居をくぐって、さらに進んでいくと精巧で美しい装飾が施された陽明門があります。日光東照宮のハイライトのひとつです。建築物の造形や色合いにも目を奪われますが、じっくり見たいのは、華美な曲線でつくられた動物の彫刻です。総数は何と五百体以上にも及び、霊獣と呼ばれる動物は30種類近くあります。別名は日暮の門。この門を目の前にすると、なぜそのような名前が付けられたのかがすぐに理解できます。職人の技が遺憾なく発揮された彫刻と堂々とした門構えは、ずっと見ていても飽きないほど興味深いもので、いつまで眺めていても飽きないほどです。彫刻のどれもが平和を意味するもので構成されています。例えば、唐破風の軒下に掲げられた「東照大権現」の額の下に2段で並んでいる霊獣は、上が「竜」、下は「息」といいます。これらは口の開き具合が違っていて自分と相手は違うのが当然という教え、つまりそれぞれの個性を尊重するという精神が込められています。

 彫刻をじっくり見た後に陽明門をくぐって祈祷殿の南側の東回廊に向かうと有名な「眠り猫」が見られます。

 これは江戸時代の伝説の名工・左甚五郎の作だそうです。ただこの左甚五郎の作品は全国に百ヵ所近くもあり、交通機関のない江戸時代では、生涯をかけて旅をしたとしても、その数をこなすのは不可能です。そのため左甚五郎の作は名もなき腕利き職人たちの業績であるともいわれています。そんな一作「眠り猫」が意味しているこのような説があります。「眠り猫」の真裏には竹林で遊ぶ2羽の雀の彫刻があり、もし猫が起きていれば雀は食べられてしまうので猫を居眠りさせて雀と同居させているというのです。このような霊獣たちにもこめられた平和への思い。それこそが日光東照宮に託された家康の最後の願いだったのかもしれません。

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