日本画

美人画の巨匠『鏑木清方』派閥を嫌い、個人の自由を形にした男

2016-10-03

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美人画で有名な鏑木清方(かぶらぎきよかた)は、もともと小説家を目指していたそうです。小説家より画家の道へ進ませたのは新聞社を経営していた父の影響です。日本画家に転身した鏑木清方の生き方や彼を取り巻く著名人たちの知られざるエピソードをご紹介していきます。

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鏑木清方とは?

「三遊亭円朝像」第11回帝展出品作 (東京国立近代美術館蔵)

鏑木清方の父は「やまと新聞」を経営していました。その影響で読み物に興味を持ち小説家を目指していたようですが、清方の父はそれを喜ばず画工になることを進めました。

そこで、17歳の時清方は、父の経営する「やまと新聞」の挿絵を描き始めていきます。清方の自宅ではよく席を設けていたので、いつも絵師、芝居、咄家などの著名人が出入りしていたようです。

このころ清方は三遊亭円朝のお供をして旅をしたり、円朝の人情話の速記をしたりしていました。挿絵画家を目指すようにすすめたのが三遊亭円朝で、後の清方の日本画の基礎になっていきます。

20歳になると、新聞の挿絵だけではなく、文芸誌の仕事も増えていき、泉鏡花や尾崎紅葉達と画文で競作するなどし、挿絵画家として有名になっていきました。

泉鏡花との関係がおもしろい

「小説家と挿絵画家」

小説家は泉鏡花当時29歳、挿絵画家は、清方本人当時24歳の時の絵です。泉鏡花が書き下ろした小説をちりめんの帛紗(ふくさ)に包んで清方の自宅に訪れた時の情景が描かれています。

ここで、少し泉鏡花についてご紹介しておきます。泉鏡花は、尾崎紅葉の門下にはいり「歌行燈」「夜行巡査」など数多くの小説を残しています。

泉鏡花を師としていた人物に谷崎潤一郎、芥川龍之介、久保田万太郎などがいて、鏡花はこれらの人物達の編集員を努めてもいました。

また、作家を志していた人物達と鏑木清方や岡田三郎助(洋画家)など画家を含め、泉鏡花を囲み会費100円を出して1円のお釣りを返すという九九九会(くうくうかい)を発足もさせています。

清方は泉鏡花のことを「泉くん」と著書によく記していることからも2人の親交が深かったことがよくわかります。

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美人画の巨匠鏑木清方の代表作

「築地明石町」

「築地明石町」のモデルになった女性は泉鏡花から紹介されて入門した江木まさ子さんという女性です。

「江木まさ子さんは、美しい人だった。いつか描いてみたいと思っても写生に興味を持たない私にはなかなかその折もなく、この構想になった時これはぜひ江木さんでなければと、それでもスケッチは一枚だけで、写真のいいのをいくつかこれは画が出来るまで手元にとどめた」と、清方自身の言葉が残されています。

その後この絵は、第八回帝展に出展されています。清方にとって思い入れの深い作品のようです。
「朝涼」第六回帝展

清方一家は毎年金沢で夏を過ごしていました。「稲田がはてなく続いていて夏の日の清涼、心気を洗うような景色が広がっていて、その中を長女と一緒に散歩をしていたときのことを画中に収めた作品」とあります。

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挿絵画家から日本画家に転身 いまなお美術の歴史に名前を刻む

「墨田河舟遊」第8回院展入選作

江戸後期の隅田川で見られた舟遊びの光景です。屋根の上で先頭が竹竿で舟を押し、舟の中では、女性達が人形浄瑠璃を楽しんでいる光景です。

日露戦争の影響で画家としての細々と活動するしかない時代が続きましたが、文部省美術展覧会(文展)が開設されることになり、いままで光の当たらない場所で活動するしかなかった画家達に希望の光が射しました。

当時の作家たちにとって文展は緊張と興奮を与えてくれるもので、新人にとっては登竜門と言われていました。清方も挿絵画家の仕事を減らし、文展への出品を目指していきます。

しかし、毎年出品していても落選が続いていき、ようやく第8回、第9回院展で2等賞をとれるようになります。これが高く評価され日本画家鏑木清方の名が残っていきます。
「春雪」

第1回日展出品作が「春雪」です。 「日展第1回が開かれるとの知らせをうけて、急に里心が沸き立つままに取りかかった。(略)」とこの絵の制作に向かうまでの清方の心情が残されています。

鏑木清方は樋口一葉の大ファンだった

「一葉女史の墓」

清方は、泉鏡花の「一葉の墓」に誘われ築地本願寺の墓が立ち並ぶ中から樋口家の墓を探したようです。そして、墓の前で写生をしたとあります。

清方の絵には樋口一葉の絵が数多く残されています。清方は樋口一葉の本を愛読しその影響をかなりうけていたようです。

清方自身は、樋口一葉に直接会ったことがありませんでした。亡くなる年に出た博文館の「女子書簡文」に挿絵を描いたというわずかな接触しかないままだったそうです。

樋口一葉の妹の邦子さんに一周忌に招かれたことをきかっけに、妹の邦子さんには時々会う機会がありました。

一葉と生前に接触の合った泉鏡花に「一葉は、妹の邦子さんによく似ている」と聞かされていた清方は妹の邦子さんを一葉に重ねて描いていたのかもしれません。一葉にいろんな瞑想をして描いていたことは清方自身の著書にも記されています。

鏑木清方の生き方

「民間の団体は本来自由を旨とするはずなのに、どうかすると派閥と化してしまう」という思いが清方には常にあり団体に属したことがないようです。

清方は派手な生活をするわけでもなく、家族と食卓を囲み、おやつを食べ、元日から大晦日までの行事を大事に家族と過ごしそれ以外は、ずっと画室にいる生活を続けていたようです。

いかがでしたか?鏑木清方の絵を見かける機会がある時は、清方の人物像を想像しながら鑑賞してみてください。

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