城を築くには?石垣の組み方と勾配について

2016-11-11

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城を築くには?石垣の組み方と勾配について

 城の美観を生み出す大きな要素は石垣です。東北地方の城では石垣は意外に少なく、土塁を用いた部分が多くありますが、近世の城といえば石垣と天守閣を連想すると思います。

 石垣を築くには専門の技術が必要で江州坂本の穴太衆はとくに有名な石工集団でした。穴太の石工はもと五輪塔や石仏などの製作をしていましたが、安土築城に際して織田信長に召しだされて石垣を築き、一躍有名となりました。土佐の山内一豊が穴太衆の北川豊後を150石で召抱え、高知城をつくらせたのはその例で、穴太の石垣師は引く手あまたの存在となりました。

 石垣を築くにあたっては、長方形の石や大木を敷いたりして、まず基礎をしっかりと固めます。この上に石垣を築くのですが、それには次の三方方があります。

 「野面積み」は加工していない自然石を土塁の外周に積んでいく方法で、慶長(1596~1615)以前はほとんどこの手法でした。このさい牛蒡積みといって、胴長の石を深くおしこみ、さらに積石の間や裏側に栗石とよばれる石をつめます。これによって積石は安定し、また雨水のはけがよくなるので、外観は乱雑ですが意外に堅固になります。石は原則もなく乱雑に積み上げるので乱積みともよばれます。できあがった石垣は変化に富み、きわめて味わいがあります。

 「打込はぎ」は乱積みではありますが、外観を整えるため石の角を槌で叩き、平らにして組み合わせる方法です。一応、外観が整うので、近世初めに急速に広まり、多くの城壁がこの手法で築かれました。

 「切込はぎ」は外観をいっそう整えるため、タガネで石の角を削り、方形の切石にして隙間のないようにピッタリと組み合わせる方法です。手間はかかりますが、美観のため寛永期(1624~44)以降さかんに用いられました。石の積み方も工夫し、目地とよばれる継ぎ目を揃えて布目積み(上の石の重さが下の石に均等にかかる)・亀甲積み(石の表面を六角形にして積む)なども行われました。とくに石垣の隅にあたる部分には切石を重ねて行く算木積みが広く行われるようになりました。

 これらの手法は、場所や用途の違いを考え、さまざまに組み合わせて用いられた。そしてこの石垣の上にぎりぎりのところまで建物をはりだし、外敵防御の役も果たさせたのです。

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2 石垣の勾配

 石垣はふつうは弓状のカーブを示します。そして石垣は敵からの防御のため、高くて急勾配であることが望ましいです。高さは普通は2~10mほどですが、大坂城本丸の石垣などは40mもあります。近世の軍学者は次の三型をときました。

 「下げ縄」縄を下にさげた形で下部は傾斜を持ちますが大半は垂直となります。防御には最適ですが、地盤がしっかりしていないと石垣の重さのため土圧・水圧で崩れる恐れがあります。とくに水堀の石垣はその危険性は高いです。

「たるみ」縄を斜めに張ったときに生じる曲線です。重さを分散させるので崩れにくくなりますが、あまり緩斜面では防御の役に立ちません。この石垣のつくりだすカーブを普通は扇の勾配とよび、日本独特のものです。

「はねだし」防御を考え、石垣の勾配に途中から戻りをかけて急勾配にして、再上端の石は外側へ張り出させます。この手法は肥後の人吉城や洋式の五稜郭などで見られるものです。

 石積みの方法とこれらの型とはどう関わってくるのでしょうか。野面積みの石垣では急勾配にはできません。最上部の天端石が垂直になるだけで、全体の勾配は約67.5度になります。

 打込はぎになると、雨落しとよぶ垂直部分は全体の高さの五分の一で、勾配は72度の傾斜となります。そして切込はぎでは雨落しは高さの四分の一、傾斜は75度という急傾斜も可能になります。

 こうして石垣はそれぞれの状況に応じて築かれました。清正石垣は加藤清正が熊本城や名古屋城で築いたもので、美しい扇の勾配として知られていますが、両城とも地盤が堅固でないため、下げ縄にできなかったのです。

 なお、石垣の最上部は水平面でもカーブを示していることは忘れてはいけません。遠くから見ると一般に石垣は中央部がたわんでいます。それは隅にかかる荷重を軽減するための工夫ですが、同時に美観形成にも一役買っています。  

3 土塁と堀

 城の塁壁は石垣だけではなく、中世以来の土塁もあります。土塁は土居ともいいます。石材の得にくかった関東や東北では土塁が多用されました。豊臣秀吉が京都につくったのも「御土居」でした。

 土塁をつくるには堀を掘り、掘った土を積み上げるのが普通です。その標準の傾斜はふつうは30~45度くらいで、ときには50~60度に達したものもあります。一般に堀に面する外側は城内に面する内側よりも急傾斜にしています。

 多くの土塁は掘った土と粘土質の土とを交互に積み上げ、板で叩いて固める「たたき土塁」ですが、芝を植えた芝土塁にしたり、土塁の上に石垣を築く「鉢巻土塁」や、石垣の上に土塁を築く「腰巻土塁」もありました。これは強度を高めるためです。

 塁壁の外には堀を作ります。堀には水をたたえる水掘と水のない空堀とがあり、溜池を利用した溜池堀や湿地を利用した泥田堀などもつくられました。

 水掘は平城ではふつうに作られますが、配置によっては内堀・外堀・惣堀などとよばれることもあります。堀の幅は数mから10m以上までさまざまありますが、鉄砲の射程距離から考えて、30mくらいが普通とされています。しかし大坂城や江戸城などでは100mを越える堀も作られました。

 空堀は中世の山城ではさかんにつくられ、道を横に遮断する堀切、斜面を縦にうがつ竪堀、竪堀と土塁を交互に配する畝状空堀など様々な形状がありました。近世の城では、防御専用のほか、間道や通路にしたり、郭の囲いにしているところもあります。

 堀の断面の形は、方形の箱堀、底が丸いU字型の毛抜堀、薬種を粉末にする薬研に似たV字型の薬研堀があり、薬研堀には片側が垂直の片薬研と、両壁が傾斜する諸薬研とがあります。空堀で多いのは方薬研で、城内の側を垂直にして、敵の侵入を防ぐようにしています。

 このほかに「塀」があります。塀は郭と郭の仕切りに作られるものですが、敵襲に対しての防御の意味もありました。これらの石垣や堀に塀を組み合わせて、城は防衛をしていたのです。

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