仏像

時代別、作者別多聞天比較

2016-11-30

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キリスト教関連の話になってしまいますが、聖書に「嬰児虐殺」という逸話があるのをご存知でしょうか。「ベツレヘム方面に新しい王様が生まれる」という予言を恐れたときの権力者、ヘロデ大王がベツレヘムで生まれた2歳以下の男の子をすべて殺させた、という悲劇的というか悲劇でしかない逸話です。これをモチーフに、古くから多くの画家が嬰児虐殺の場面を描いてきました。この逸話に限らず、聖書や神話はあらゆる芸術家によってあらゆる表現が成されてきました。仏像の世界でもそれは同じ。いろいろなお寺でよく見かける四天王から、最強にして代表の多聞天像の比較をしていきたいと思います。

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多聞天と四天王

四天王とは、仏法を守るべく東西南北の各方位を守る神様のこと。「国を護持する」という意味の持国天(東)・「福を増やす」という意味の増長天(南)・「広い視野、目で物事を見る」という意味の広目天(西)・「多くを聞く」という意味の多聞天(北)の四天から成ります。なぜ多聞天が代表になったのかと言えば、守護方角である北方が仏教としてはよくない位置であるためです。仏教に取り入れられる前は財宝の神でしたが、中国などアジアをわたる過程で武神としての性格付けがなされたようです。それも最強。

伝言ゲームのように話を盛られたのか、驚くばかりの性格の変わりようと言えます。夜叉、羅刹と言った鬼を舎弟のごとく従えているからかも知れません(実際には眷属といいます)。単独で祀られる際は毘沙門天と呼ばれます。

他国での多聞天

日本に仏教を伝えてきた中国では、かなり派手な四天王像が残っています。修繕後といったこともあるのでしょうが、あまり色彩面で修繕を施さない日本との国民性の違いもあって、中々に面白いです。さて、見分けに入る前に多聞天の基礎情報をば。先に述べたように北を守るという伝承にある通り、須弥山(仏教の中心地)に見立てた須弥壇(本尊などを祀る場所)の北方に位置し、手に宝塔を持っているのが基本の像容です。あとは作者や時代によってさまざまに変化します。炎を背負ったり武器を持ったり、仏師のセンスと技が光りまくりの個性派揃いです。ということで、まずは日本以外のアジア方面の多聞天から見ていきましょう。

「宝塔持っていない!」「ネズミにしか見えません!?」と思われるかも知れません。こちらは中国の民間信仰に基づいて作られた像のようです。中国では、ネズミが多聞天=毘沙門天の使いなんですね。玄宗皇帝の時代、敵の軍に包囲された際、皇帝はあの三蔵法師に助けを求めました。「仏様の力で助けて!」「お任せください」。そして三蔵法師が祈ると、黄金に輝くネズミが敵軍の弓の弦を噛み切り、無事で済んだというお話があるそうな。ネズミが来た理由は、多聞天(毘沙門天)の守る北方、つまり子の方角だったためだそうです。
中国の四天王像を見分ける際は「ネズミを持っていれば多聞天」と覚えておいてください。日常生活で何の役に立たなくても、こうした信仰や芸術に関することを覚える余裕は大事です。チベットにおいてはマングースを手に乗せていることもあるとか。ハブと戦わせるためじゃありません。もともと多聞天はインドで財宝の神、クベーラという名前でした。
マングースがどう関係するのかと言えば、金や銀などあらゆる財宝を吐き出す、とされているためだそうです。どうしたらそんなことを考えつくのか不思議ですね。その発想方法を知りたい気がしませんか。チベット仏教界のマングースを手に入れる方法も知りたいです。そんなこんなで仏教が日本にやって来たのが飛鳥時代。「自然物に神様がいるよ、像なんていらないよ」という自然信仰を持っていた日本人にとっては大変な衝撃を与えた仏教。「どーするの?これ受け入れるの?」と何十年ももめた挙げ句に根付いて今に至るわけですが、仏像も時代時代で変化しています。ジャパンテイストを取り入れた多聞天はどのように変化したのでしょうか?

奈良~平安時代までの多聞天

現存する最古の四天王像は法隆寺金堂に鎮座ましましております。多聞天はこちら。宝塔というより、お城みたいです。まだ海外文化の名残りがあるようですね。こちらは東大寺。四天王像としては有名な作品ですね。割と早い段階から邪鬼を踏んでいます。表情が何だか渋めですが、迫り来る仏敵を見据えているのか、否か。
平安時代初期の作。唐招提寺の多聞天。顔の作り込みに対して服装が割り合いシンプルな感じです。しかし槍といい表情といい、頼もしいことには変わりありません。
こちらは仁和寺。頭部と降臨部分の炎が青いです。静かに燃え、仏法を護ると言った感じがカッコイイです。袖部分といいポージングといい、躍動感あり。足元がごちゃっとしていますが、しっかりとした安定感です。
清涼寺より。日本製にしてはたいそう派手です。そして何だかディフォルメされた印象が。仏師や時代の性格が出るんでしょうか。印象深いです。

鎌倉時代以降の多聞天

鎌倉時代制作、浄瑠璃寺におられる多聞天。バーニング光輪をしょっています。この頃になると大分体つきも顔つきも人間に近付いている様子。写実派になってきたということでしょうか。
奈良国立博物館より。大分躍動感あふれる像も作られるようになりましたね。こちらは12世紀頃の作ではないかとされているようです。
興福寺南円堂より。運慶作ではないかと言われるこちらは、運慶特有の写実的な体格や天衣(羽衣のようなもの)・袖が印象的。

毘沙門天との違い

多聞天のもうひとつの顔、毘沙門天との違いは何ぞやと言えば、「毘沙門天は法等を持っていないこともある」といったところでしょうか。また。東寺にあるこちらのように、足元に単なる邪鬼ではなく尼藍婆(にらんば)、毘藍婆(びらんば)という女性型の邪鬼(一説には地に住まう天女。変な言い方ですけども)を、それも踏むのではなく従えているなどのバリエーションも多い様子。ちなみにこれは兜跋毘沙門天という名前。「兜跋」とは出現した場所が聖域兜跋国(今はトゥルファンという名前です)という名前だったため。

まとめ

時代や国などによる微妙な、ときには明確な、違いというものにも面白さがあります。こうした見方もアリか、と新たな発見となり、更なる創造の飛躍につながることを期待しましょう。

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