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長野が誇る古社・諏訪大社で、木々に癒されよう!

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長野県諏訪市に諏訪大社の上社、そして諏訪郡下諏訪町に下社があります。
戸隠神社とともに、長野県を代表する神社です。 諏訪大社は全国各地にある諏訪神社の総本社であり、信濃国一之宮でした。 諏訪大社とは、上社の本宮と前宮、下社の春宮と秋宮の4宮の総称で、諏訪湖周辺にそれぞれが鎮座しています。 そして、本殿を持たず、山や木をご神体とする古来の信仰の姿をいまに伝えています。 なにより、7年に1度の奇祭「御柱祭」がとても有名です。
そこで今回は、諏訪大社の見どころや御柱祭についてご紹介します!

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諏訪大社のご祭神や特徴とは?

諏訪大社の本宮には建御名方神が、前宮には妃神の八坂刀売神が祀られています。
そして、下社の春宮・秋宮ともに建御名方神と八坂刀売神が祀られ、秋宮には建御名方神の兄神・八重事代主神も一緒に祀られています。 古来より、まとめて「諏訪大明神」として広く信仰を集めています。 また、上社を「男神」、下社を「女神」として信仰し、冬に諏訪湖で発生する「御渡り」(氷の亀裂)は男神が女神に会いにいった跡というロマンチックな伝承があります。

諏訪大社の特徴は、上社と下社に分かれていることと、本殿を持たないところです。 前宮はもともと、諏訪の神が最初に鎮座したといわれており、諏訪大社発祥の聖地です。 そして、上社は守屋山を神体山とし、下社の春宮は宝殿背後にある杉の木を、秋宮は宝殿背後にあるイチイの木をご神木として祀られています。

諏訪大社の歴史は古く、創建の年代はわかっていません。 延喜式神名帳には「南方刀美神社」と記されており、古代より信濃国の一之宮として信仰されていたことがわかっております。 そのため、「日本最古の神社のひとつ」であるといわれています。 そして、日本最古の歴史書「古事記」にある「国譲り」の段に、建御名方神と諏訪の地が登場します。

建御名方神は出雲大社のご祭神・大国主命の御子です。 大国主命とともに葦原中国(人間たちが住む地上世界)に住んでいた建御名方神でしたが、ある日、武甕槌命という神様が高天原(神様が住む天上世界)から降りてきました。 武甕槌命は浜辺に十束剣を立て、切っ先にあぐらをかいて座り、「日本の最高神である天照大御神の孫神・瓊々杵尊が葦原中国を治めるべきだ。ただちにこの国を譲りたまえ」と、迫ってきました。 大国主命は子供たちに意見を求めるように言うと、長男の八重事代主神は「承知した」と言って、隠れてしまいました。 次男の建御名方命は国譲りに反対し、武甕槌命に力比べを持ちかけました。 建御名方命は彼の手を持とうとすると剣や氷に変わったので、ひるみました。 すると、武甕槌命は建御名方命の手を取って、投げ飛ばしたのです。 これが相撲の起源といわれています。 そして、建御名方命は諏訪の地まで逃げ出しました。 追いかけた武甕槌命は建御名方命を殺そうとしましたが、彼は諏訪の地から出ないことや大国主命と八重事代主神に従うこと、そして葦原中国を天津神(高天原に住む神様)たちに譲って、命令に従うことを約束しました。

こうして国譲りが終わり、建御名方命は約束の通り、諏訪の地に留まりました。
そして、諏訪の人々のみならず、広く信仰されました。 古くは風や水の守護神として崇められ、農業の守護神や海の守護神として知られていました。 また、諏訪の神は神功皇后の三韓出兵に神助したり、征夷大将軍だった坂上田村麻呂が東夷平定の祈願を行ったと伝えられており、「軍神」や「武家の守護神」として信仰されるようになりました。 特に、武田信玄は戦陣で「諏訪南宮法性上下明神(諏訪明神の別称)」ののぼりを使うほど深く信仰していました。 国譲りを迫ってきた武甕槌命に立ち向かい、葦原中国を守ろうとした建御名方神の”何事にも立ち向かう”勇敢な強さがあったからなのかもしれません。 以降も、戦国武将の信仰を集め、「武勇の神」として崇敬されました。 現在では、「開運招福」「五穀豊穣」「諸願成就」の神様として、多くの人々に愛されています。

巨木の姿に圧倒! 御柱祭を見てみよう!!

諏訪大社といえば、日本三大奇祭のひとつ「御柱祭」でしょう。
御柱祭は寅年と申年に行われ、4月~5月の1ヶ月半にかけて地元6市町村から20万人以上の人々が参加する大きなお祭りです。 35度近くある急な坂を巨大な御柱が駆け下る「木落とし」は圧巻で、人々を魅了させます。

御柱祭は正式には「式年造営御柱大祭」といい、社殿の建て替えと4宮の四隅にある御柱を曳き建てる神事です。 御柱は神様の依代(神霊が降りてきたときに宿るもの)とされています。 そして、上社は八ヶ岳から、下社は霧ヶ峰から大木を切り落とし、氏子たちの手により計16本が曳き出されます。

最初に御柱祭が記録に残っているのは延暦17年(798年)といわれていますが、それ以前にもすでに行われていたともいわれています。 はるか昔から受け継がれているのは、諏訪の地に住む人々の信仰の厚さがあるからでしょう。

テレビや新聞では伝わらない感動があり、一生に一度は見てみたいお祭りです。 7年に1度しか行われませんが、ぜひご覧になってくださいね!

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底の抜けたひしゃくで安産を祈願しよう!

諏訪大社は昔から安産の信仰があります。
摂社の「子安社」には建御名方神の母神・高志沼河姫神が祀られています。 諏訪大社で安産の祈祷を行ったあと、子安社に底の抜けたひしゃくをお供えして祈願するといい、と伝えられているのです。 底が抜けているのは、水が通るように赤ちゃんが産まれることを祈願しているからなのです。

また、毎年8月に行われる「御射山社祭」にあわせ、数え年2歳のお子さまの厄除けや健康のご祈祷も行われています。 ご祈祷後にはドジョウを放流し、お子さまの厄を洗い流し、清めるのです。 そして、諏訪大社は夫婦の神様が祀られているため、「縁結び」にもご利益があるといわれています。 さらに、建御名方命と八坂刀売神のあいだには13柱もの御子神がいるため、「子授け」の信仰もあります。

水や五穀豊穣のご利益だけではなく、生命のご利益もある諏訪大社。 ぜひ、祈願してくださいね。

岡本太郎も絶賛! 「万治の石仏」を見よう!

下社春宮の近くには阿弥陀如来像があります。
「万治」とは、石仏を建立した願主が「万治3年(1660年)」と刻んだことから呼ばれるようになりました。

この石仏が造られた経緯は、明暦3年(1657年)までさかのぼります。
当時の諏訪高島三代藩主・忠晴は遺石の大鳥居を諏訪大社の下社春宮に奉納しようと決めました。 鳥居を造るよう命じられた石工は、大きな石にノミを打ち入れると、石から血が流れ出てきたのです。 祟りと思った石工は造るのをやめ、代わりに阿弥陀如来を刻みました。 そして霊を納め、現在の地に建立されたのです。

芸術家・岡本太郎がこの石仏を絶賛し、一気に有名になりました。
また、岡本太郎は御柱祭に深く感銘を受け、下諏訪に30回以上も訪れたといわれています。 そして、御柱祭では木落とし寸前の御柱に乗ったこともあるのです。

芸術家も引き寄せる万治の石仏。
ぜひ、ご覧になってくださいね!

いかがでしたか。
諏訪大社は山や木をご神体とし、古来の神社の姿をいまに伝える貴重な神社です。 時代が変わっても形や姿を変えることなく、受け継がれています。 御柱祭もずっと受け継がれているのは、諏訪の地に住む人々が大切にしてきた証なのです。 諏訪大社は氏子たちの手により守られ、諏訪大社も氏子たちや参拝客たちを見守っています。 ぜひ、諏訪大社にお参りしてくださいね。

■各社の所在地
○上社本宮
〒392ー0015
長野県諏訪市中州宮山1

○上社前宮
〒391ー0013
長野県茅野市宮川2030

○下社春宮
〒393ー0052
長野県諏訪郡下諏訪町193

○下社秋宮
〒393ー0052
長野県諏訪郡下諏訪町5828

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