日本史 あなたの知らない遊廓の世界と秘密

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遊廓といえば華やかなイメージをする人が多いでしょう。
もしかしたら、親の借金などで売り飛ばされた可哀想な女性が遊女として働かされていると思っているかもしりません。
では、実際の遊廓はどのようなものだったのでしょう。
遊廓の世界を覗いてみましょう。

遊廓とは

遊郭とは、政府が管理・運営する、主に性風俗(遊女)を扱う場所のことを示します。遊廓の廓は「くるわ」とも読み、周囲の囲いや、囲いの中の地域を表します。
他の地域や場所で、遊女を扱う仕事を営業させないために、地域から隔離するという意味もありました。
江戸時代に幕府が設置した『吉原遊廓』が有名で、敷地面積は二万坪を越え、働いている遊女も最盛期には数千人いたとされています。
大規模な遊廓は大阪や京都、長崎にも存在していました。小規模なものであれば、各地に点在しており、宿場町など人が集まるところであれば、遊廓が存在していたと考えて問題はないでしょう。

*吉原遊廓の成り立ち
1612年(慶長17年)、庄司甚右衛門(ショウジジンエモン)という人物によって吉原遊廓は設立されました。
江戸市の遊女たちを集めて傾城(ケイセイ)町の設立を幕府に願い出て、五年後に許可されています。その後、庄司甚右衛門は吉原遊廓の惣名主(そうなぬし)となり、吉原遊廓の発展に尽くしました。
ちなみに傾城というのも遊廓と同じ意味を持っています。

遊廓の人々

『遊廓主』
楼主とも呼ばれ、遊廓の主人であり、遊廓内において絶対の権限を持っていました。
状況次第では遊女の命を奪うことさえ許される存在でした。
また、遊廓主の家族(妻や子供)も、強い権限を持っていることがよくありました。遊女の統制や扱いなど、遊廓主から経営を任されている場合もあったのです。

『女衒』(ゼゲン)
若い女性を売買する仕事、人身売買の仲介業者です。
遊女としての品定めが主な仕事であり、遊女として優れた資質を持つ若い女性を買い付け、遊廓主に売り渡しました。
女衒は独自のネットワークを持っており、地方の女衒から遊女を買い付けるなど、他の女衒との連携はかかせませんでした。
当然、優れた遊女を見定められる女衒は、遊廓主に重宝されました。
また、女衒に買い付けされなければ、遊女にはなれないという図式も成り立つのです。

『弾左衛門』(ダンザエモン)
江戸時代に奴隷の身分とされていた穢多(エタ)・非人の頭領で、江戸幕府から正式に任命されていました。世襲制で13代(正確には12代)続いています。
江戸幕府からは『穢多頭・弾左衛門』と呼称されていたようですが、自らは『長吏頭(ちょうりがしら)・弾左衛門』と称していたようです。
遊廓は町奉行所や寺社奉行の管轄ではなく、遊廓の治安は彼らが担当しました。遊女が遊廓外に逃亡するようなことがあると、部下(穢多役人)と共に捜索をするなどの役目を負っていました。
また、奴刑(ヤッコケイ)を課せられた女性(罪を犯し、人別帳から除かれ、奴隷の身分となる)を、女衒に売り渡す権利も持っていました。
慣例的に、奴刑になって預けられた女性を犯す(レイプする)ことになっていたようです。

『穢多役人』
弾左衛門の部下として、遊廓の治安維持の仕事をしていました。呼称にもある通り、身分としては遊女と同じ奴隷でした。

『遊女付き』
遊女のお世話をする女性で、主に未成年の少女がこの仕事に就きました。
遊女個人に遊女付きがつくケースもあり、それは稼ぎの良い遊女(太夫と呼ばれるなど、遊女としてのランクが高い)であり、将来遊女として有望な少女が、個人の遊女付きになりました。

『やり手』
年齢的に客を取れなくなった遊女は、遊廓主によって『やり手』と呼ばれる仕事で再雇用されることがありました。
やり手とは、遊女を監視・監督する立場の者を示し、元遊女が大半を占めました。
新しい遊女への教育や、働きの悪い遊女に対する折檻まで、遊女に関することであれば、どんなことでも仕事に含まれていました。
遊女時代に遊廓主やその家族に上手く取り入った者が、やり手として再雇用されるケースが多かったようです。

『雑用係など』
やり手と同じで年齢的に客が取れなくなった遊女が、遊廓主に雑用係として再雇用されました。

二種類の遊女

『金銭的劉による遊女』
借金苦など、金銭的な理由で女性が身体を売り遊女になるというのが一般的に広まっていますが、大多数を占めるものではなかったようです。
遊女として仕事を全うし、借金を返済すれば奴隷の身分からは解放されました。
ただし、当時の情勢を考慮すれば、人さらいや騙して連れてくるというのがまったく無かったとわけではありません。
また、女衒によるスカウトによって遊女になる女性も、わずかながらに存在しました。

『奴刑による遊女』
遊女の大多数は奴刑により、奴隷の身分となった女性でした。
1699年までの判決がまとめられた『御仕置裁許帳』には、幕府の許可なしに売春を行った者や窃盗を行った者、夫や父親の犯罪による縁坐により、奴刑に処されたことが記されています。
刑罰としての奴隷身分ですので、よほどの理由がない限り、奴隷から解放されることはありませんでした。
例外的に、奴刑の中には年季奉公という、一定の年数だけで遊女として働く刑も存在し、その場合は一定期間、遊女としての仕事を全うすれば、奴隷の身分からは解放されました。

*遊女になれない女性
奴刑によって奴隷の身分となったものの、女衒の買い手がつかなった女性は、同じ奴隷身分の男性たちの慰みものとしての運命が待っていました。

テレビなど、メディアの影響により、遊女になる女性は借金によるものが多いと思われていますが、実際には奴刑によって遊女にさせられる女性が多かったのです。
これは女性に対して死刑を避け、罪一等を減じる習慣が奉行所にあったためでもあります。
遊廓の世界と秘密を覗くことはできたでしょうか。

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