日本史

徳川三代目「家光」の親父殿は伊達政宗? 知られざる素顔と卓越した政治手腕

2017-03-02

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戦国を勝ち抜いた徳川家康が開いた徳川幕府。その基礎を盤石なものにしたのが三代目徳川家光だったと言えるでしょう。
今回は、そんな徳川家光の人物像とその政治手腕に迫ってみたいと思います。

徳川家光ってどんな人?

慶長9年7月17日(1604年8月12日)に生まれた徳川家光は、幼名を竹千代と言い大変体の弱かった子供だったと言います。父親は二代将軍徳川秀忠、浅井長政の娘で織田信長の姪にあたる江を母とし、乳母はのちの春日局となる明智光秀の家臣・斎藤利三の末娘・福。

家光は色白で短気、吃音があり、あまり容姿には恵まれなかったようです。また、外出を好み派手好きだったともいわれ、江戸城に登場する際に諸大名に伊達な格好をするようにと命じた、なんて言うエピソードも伝わっています。

武芸を良くし御前試合を催したり自らも柳生新陰流の免状を持っています。また、家光は男色家だったことでも知られ、小姓をはじめとした多くの男性を寵愛したと言われています。(そして嫉妬深かったとも…!)

宮家から降嫁した正妻・鷹司孝子とは折り合いが悪く、輿入れしてから間もなく別居生活を送り生涯にわたり冷遇したとされています。一方、中年になってからは多くの側室を抱えお振の方に女児が生まれたのを契機に、合計6人の子供をもうけています。

徳川家光を語る上で欠かせないのはやはり、祖父・徳川家康です。存命中はもとより、家康の亡き後も尊敬の念は衰えることはありませんでした。「二世権見、二世将軍」「生きるも死ぬも何事もみな大権現様(家康を指す)次第に」と書いた紙を入れた守り袋を肌に離さず持っているなど、ずいぶんなご執心ぶり。

また、病弱だった幼少時代、家康の作った薬によって回復して以来、病にかかる度に家康が夢に出てきて病を治してくれた、という話や、父である秀忠が、家光を冷遇するのに怒った家康が、隠居先の駿府で家康の養子にしてから次期将軍に付かせようとしたことなどのエピソードが残っており、父親よりも、祖父を強く意識していた人物であったことが分かります。

武勇伝が大好きだった家光

家光は、御伽衆として歴戦の戦国武将たちを傍に置き、よく話を聞いたと言います。伊達政宗と立花宗茂をとくに尊敬していました。伊達政宗を「伊達の親父殿」と慕い、立花宗茂は関ヶ原の合戦で西軍にくみし改易の憂き目にあったものを再び大名となる高待遇を得ています。ほかにも、藤堂高虎や毛利秀元といった面々が、御伽衆となっていました。

伊達政宗が亡くなった折には、江戸で七日、京で三日の間、庶民にも喪に服すことを命じたと言われています。

徳川幕府の基盤を制度化する

二代将軍秀忠が政権を家光に渡した後も、実質的な指揮権を握っており、家光が三代目に就任したばかりの頃は、本丸と西の丸の合議制で二元政治が行われていました。やがて、秀忠が死去すると、二元政治は解消されていよいよ家光の本格的な治世が始まります。
家光が初めにしたことは、旗本を中心とした直轄軍を編纂することや外様大名家の見直しでした。
また、武家諸法度の改正により、一年交代で領地と江戸を往復する「参勤交代」を制度化したり、若年寄、老中、大老、目付、大目付など、将軍による政務を盤石にする諸役職を制定したりと、政治体制を整えていきます。

一方、外交と国際政策に関しては、「鎖国」が挙げられます。スペインやポルトガルとの交易を断ち、長崎に作った出島でのみ中国オランダとの交易をおこないました。これは幕府による貿易の独占や国内の銀流出を抑えること、西洋諸国による植民地支配などの国際紛争を避ける目的もありました。以降、ペリー率いる黒船がこじ開ける幕末まで、鎖国政策は続きます。また、鎖国にはキリスト教の禁制が大きく関わっています。家光はキリシタンへの弾圧を強め、改宗を強制、従わないものには制裁を与え、全国では島原の乱を含めた大虐殺が頻発しました。

家光の晩年は

家光が亡くなったのは、慶安四年(1651年)。前年から病がちになり政務や儀礼を次期将軍家綱に代行させていました。慶安四年の4月19日に突然震えが止まらなくなり昏倒、そのまま意識が戻ることなく亡くなったと言われています。死因は現代で言うところの脳卒中と推測されています。家光の死に際して、家光に愛され近習から大政参与と昇進した堀田正盛と、老中・阿部重次が殉死しています。

晩年の家光は、よく祖父家康の夢を見たとされ、その姿を当時の一流絵師・狩野単修に肖像画として書かせています。その絵は現在確認されているだけでも16点ほどあり、「霊夢像」「夢の画像」と称されています。その多くは家光の墓所である日光山輪王寺の宝物殿に所蔵され、時々展示されることもあるようです。重要文化財ですので、ぜひ機会があれば鑑賞してみるのも良いですね。

まとめ

尊敬する祖父・家康が開いた江戸幕府を、堅固なものにするために心を砕いた徳川家光。そのかいあって、内乱のない平和な江戸時代は265年間続くことになります。

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