日本史 子孫が語る【明智光秀】 「逆臣」は汚名か真実か。「本能寺の変」の動機に新説あり

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ほとんどの日本人が知っている有名な出来事であるにもかかわらず、非常に謎が多いとされている「本能寺の変」。明智光秀を謀反に向かわせた動機もその謎の1つです。さまざまな憶測や定説がある中、近年、まさに明智光秀のご子孫によって新説が発表されました。

これまでの定説

謎という歴史ロマンに見せられた多くの研究者や専門家が、光秀の謀反の動機にさまざまな説を提唱しています。どの説にも「なるほど!」と納得したくなる面と、「いや…それはちょっとこじつけでは?」といった面が見られます。では、これまで唱えられている数々の説の中から代表的なものをいくつか挙げてみたいと思います。

【怨恨説】
信長亡き後、天下に名を馳せた羽柴(豊臣)秀吉が、本能寺の変からしばらくたった後に公式に発表した「本能寺の変の顛末書」に書かれていたのが、この怨恨説のベースとなっているようです。その後も、軍記ものや絵巻などを通して「信長に不当な扱いや意地悪をされて恨みを募らせていった光秀がついに謀反を起こした」という説が定着していきました。

【「我こそ天下を取る!」の野望説】
こちらも、秀吉により広められたとされている説です。証拠として秀吉が打ち出すのは、光秀が天下取りの野望を表現したとされる連歌、愛宕百韻(あたごひゃくいん)の「時は今あめが下しる五月かな」という発句。秀吉はこれに「とき=土岐氏(光秀の出自)」「あめが下=天下」「しる=収める」という解釈をもたせ、光秀は「土岐氏の自分が、天下を治める」という野望を歌に込めた、としました。しかし、本能寺の変は五月ではなく6月だったというところが、気になるところ。

【信長の四国政策転換説】
そのころ四国を治めていた長宗我部元親との交渉を担当していたのが光秀でしたが、信長は長宗我部討伐の軍を光秀抜きで編成されたことに、腹を立て(もしくは絶望し)たため、というのがこの説です。面目をつぶされ出世の見込みがなくなったので、謀反を起こした、ということでしょうか。

【実は黒幕がいた説】
黒幕とされるのは「豊臣秀吉」「徳川家康」「足利義昭」「イエズス会」など、本当にさまざまな説があります。

黒幕説以外の説の特徴は面目や出世欲、私怨などの明智光秀の個人的な感情が前面に表れていることでしょうか。

ご子孫が語る新説とはコレ!

信長は、武田氏、長宗我部氏、上杉氏を滅ぼし、毛利家とは手を結び、まさに天下を手中の収めようとしていたところ。そんな信長が次に狙っていたのは明(中国)の征服「唐入り」でした。信長亡き後、その後を引き継いだ秀吉の時代には現実となった朝鮮や明への武力外交ですが、これが信長の時にも計画されたということです。

信長の天下統一は戦国の世を治め、争いのない世の中にするためと信じていた光秀にとっては、憂うべき重大事だったでしょう。信長が日本を治めた後は、国外までその覇権を伸ばそうというのであれば、当然家臣である明智家も明での戦いに身を投じることとなるだろう。言葉も通じない異国の地で、明智・土岐一族が滅亡の憂き目に遭うのは何としても避けたいと思っても不思議ではありません。信長の暴走を止め、一族を守るには自分が信長を討つしかない、そう思い詰めたというのです。

新説、その根拠とは

さて、信長の暴走を止め明智・土岐氏一族を守るために謀反を起こしたという新説ですが、光秀のご子孫からは、どういった根拠があげられているのでしょうか。

土岐氏は、元は源氏の一族でかつて美濃一帯勢力を持ち足利尊氏を支え、栄華を誇った一族。水色の桔梗紋が旗印の、団結の強い軍勢だったと言います。そこから分かれた土岐明智氏が明智光秀の出自とされています。その後足利義満の陰謀によって一族離散の目に遭った土岐氏でしたが、戦国の世に土岐氏の再興を光秀が担っていました。

一族再興の重責を胸に秘めた光秀は、信長のもとで戦国の世を生き残ることに心を砕いていました。明智家家臣への指示「家中軍法」には「粉骨砕身に忠節に努めよ」とあり、また「家中法度」には光秀が治める丹波と近江坂本を行き来する家臣が、道中もめごとを起こさないように指示が細かく書かれています。このことから分かるのは、光秀の合理的な性格です。合理的な性格であった光秀が、個人的な恨みや野望で、謀反を起こそうとするのは考えにくい、というのが根拠としてあげられています。

次に挙げる根拠は、勝利を祈願して詠まれたという、前出の愛宕百韻の読み解きです。この場合「あめが下しる」ではなく「あめが下なる」とされた写本を引き合いに出しています。「下なる」と変わると、「強い雨に打たれている」という意味になり、それをふまえ「土岐氏は今この強い雨に打たれているような苦しい状態にある5月だが、6月になればこの辛い状況から脱したいものだ」と解釈しました。そして、当発句の最期の句にある「国々はなお長閑なるとき」にも願いが込められているとして、「昔のような平和な時代に戻りたいものだ」と解釈しています。

勝者が作る歴史の定説

歴史は、勝者が自身の正当性を強調するために、演出をほどこして残すこともままあることです。分からないことを資料や考察をもとに想像する、これがまさに歴史ロマンの楽しみの一つ。

これからも新たな発見や研究がなされ、謎が解明されていくことを楽しみに待ちましょう。

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