俳句

発句を原点に貫き通した文学魂−芥川龍之介

2017-03-10

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「蜘蛛の糸」や「羅生門」で知られる芥川龍之介ですが、実は俳句も数多く残しています。
大学在学中には級友の誘いで夏目漱石の門下生になり、俳句の世界に惹かれていったのはどうやら師と仰ぐこの夏目漱石との出会いがきっかけだったようです。

芥川龍之介の人生を見ると先生と慕う夏目漱石の人生にとてもよく似ており、尊敬するあまり同じような人生を選んだのではないかと思わずにはいられません。 短い人生の中で多くの作品を残した芥川龍之介とはいったいどのような人物だったのでしょうか。

夏目漱石の門下生になるまで

芥川龍之介は、明治二十五年に東京で生まれました。芥川姓を名乗ったのは叔父の養子になった11歳の頃です。

成績がとてもよく東京帝国大学の英文学科に入学し、大学在学中に同人誌「新思潮」を刊行。さらに芥川龍之介の代表作となる「羅生門」を発表し、夏目漱石の門下生になっていくのです。

夏目漱石も認めた芥川龍之介の才能

夏目漱石を慕う若手文学者が次々と門下生になり、日程を決めて漱石の家を訪れ、日々文学についての議論をし合っていました。議論が過ぎると学生たちは、先生である夏目漱石に喰ってかかる場面もあったようですが、肝心の漱石はというと、軽くあしらい、最後には核心を突くような言葉で門下生を納得させていました。

この集まりは「木曜会」と呼ばれていましたがなぜでしょう。それはとても単純で、集まる日程を「木曜日」と定めていたため、木曜会という名前がついたということです。若手文学者の中でも夏目漱石芥川龍之介の作品を激賞していたと言います。

芥川龍之介夏目漱石のことを「先生」と呼んで慕っていました。龍之介が俳句に魅せられた過程にはこの先生の存在が大きかったことは間違いありません。

俳句の師匠は松尾芭蕉

俳句との出会いは小学生の頃、9歳とまだ幼い頃に芥川龍之介は俳句に出会っています。この頃から完成度の高い俳句を芥川龍之介は詠んでいます。

「落葉焚いて 葉守の神を 見し夜かな」(澄江堂句集)
それでも本格的に俳句を詠み始めたのはやはり夏目漱石と出会った以降のことでした。
芥川龍之介夏目漱石と同じように英語の教師になっていますが、その後辞職して新聞社に就職しています。この辺りも夏目漱石にとてもよく似た人生を送っているのです。

大正五年ごろには漱石をよく訪ねるなかでこのような俳句を作っています。

「蝶の舌 ゼンマイに似る暑さかな」(澄江堂句集)

「木枯らしや 目刺に残る海のいろ」(澄江堂句集)

芥川龍之介の求める俳句は、正岡子規が否定した俳諧に近く、芭蕉こそが自身の求める俳句だと感じていたようです。そのため芥川龍之介は生涯「俳句」とは言わず「発句」と呼んでいました。

芭蕉の代表作を手直しした一句

芥川龍之介は、松尾芭蕉のあの代表作をも芥川流に変えてしまった人物なのです。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」を「古池や 河童飛び込む水の音」としています。 それだけではなく、「この方がより良い句になる」とも言い放っています。

晩年の代表作「河童」の世界がこの芭蕉の句をも河童に変えてしまったのです。 松尾芭蕉の俳諧を愛したが故の一句だったのでしょう。

亡くなる前の年に俳句を整理していた

芥川龍之介は亡くなる前に遺品を整理するように、自身の俳句を整理していました。生涯1000句以上もの俳句を詠んでいましたが、その中からたったの七十七句を精査し残しています。それが「澄江堂句集」です。
いくつか紹介します。

松尾芭蕉を賛辞していた芥川龍之介の句はどことなく芭蕉の句に似ているものがあります。

春の発句
「雪どけの 中にしだるゝ 柳かな」

いかにも芭蕉が好みそうな「さび」、「余情」が込められた一句になっています。芥川龍之介はこの句集を最後にこの世を去っています。

新年の発句
「お降りや 竹深ぶかと 町のそら」

夏の発句
「更くる夜を 上ぬるみけり 泥鰌汁(どじょうじる)」

秋の発句
「風落ちて 曇り立ちけり 星月夜」

冬の発句
「老咳の 頬美しや 冬帽子」

繊細な自身の心を詠むかのような繊細な発句をたくさん残した人物です。芥川龍之介はその後自殺をして亡くなってしまいますが、命日は夏真っ盛りの7月24日。その日は「河童忌」、「龍之介忌」、「澄江堂忌」と言われています。俳句の季語としては夏の季語として今も残されています。

現実社会に何を感じ死んでいったのか

芥川龍之介は35歳という若さで亡くなりました。晩年は常に「死」を考えており生死に関わるような作品が多かったと言われています。自殺の原因は、先の人生に不安を感じたと語っていたようですが、本当のことは誰にもわかりません。

芥川龍之介の代表作でもある晩年の作品「河童」では突如河童の世界を体験するという奇想天外な作品になっています。この作品で同時に人間社会を否定していたのかもしれません。

文学に全てを捧げた芥川龍之介は最後まで発句を大切にしていました。芥川龍之介の発句には人との交友の中で培われた温かなぬくもりがあります。 人間が嫌いなのではと思わせる作品もありますが、実は人とのぬくもりを誰よりも必要としていたのかもしれません。

なぜなら亡くなる直前に室生犀星に会いに行ったり、昔からの親友や妻に遺書を遺していたり。きっと人との交わりを誰よりも必要としていたのです。先の見えない不安を誰かに解消して欲しかったのかもしれません。

「さび」や「余情」、詩的な美をも感じさせる芥川龍之介の発句は、とても人間嫌いの人が詠めるような発句ではないのです。
漱石に見出され生涯尊敬し続けた、俳句よりも俳諧にこだわり続けた芥川龍之介。その発句に幽玄すら感じます。俳句を文学の拠り所として小説を書いていたとも言われているからそのせいでしょう。

文学者の原点が俳句にあるように、芥川龍之介の原点も発句にあったのです。

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