旅に出て歌を詠んだ女性・与謝野晶子

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官能的な「みだれ髪」で有名な与謝野晶子。その時代にはまだ女性が官能小説を書くという概念がなかった時代です。のちに夫となる鉄幹と出会い、女性として大きく羽ばたいていく与謝野晶子とは、いったいどういう人物だったのでしょうか。

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幼少期から文学に傾倒した与謝野晶子

与謝野晶子は明治11年、大阪の老舗の和菓子屋の三女として生まれました。

幼い頃から源氏物語などの古典や樋口一葉などの小説を読む文学少女。9歳の時には漢学塾に通い漢学を習っています。その他、お琴や三味線を習い女性らしさを身につけていきました。

夫・鉄幹との出会い

文学の道に進もうと和歌の投稿をしたり文学会に参加し、そこで与謝野鉄幹と出会います。
鉄幹もまた歌人です。その頃は、詩歌を中心とした月刊文芸誌「明星」を発刊しています。当時無名の北原白秋、石川啄木を世に出した立役者です。鉄幹によって与謝野晶子もみだれ髪を刊行し文学者としての第一歩を歩むことになるのです。

結婚後は鉄幹との間に十二人もの子供が生まれています。子供には与謝野晶子が影響を受けた人物の名前がそれぞれ付けられています。八峰(やつね)、七瀬(ななせ)とその時代には珍しい名前は、森鴎外の歌から付けられ、四男に至ってはオーギュスト・ロダンからアウギュストという名前が命名されています。

こだわり抜いた与謝野晶子という人物は流されることのない強い女性だったことが分かります。
歌人であり、母であり、そして生涯鉄幹を愛し続けた一途な女性でもあったのです。

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諸国を旅して歌を詠んだ女性

与謝野晶子は大正後半から昭和にかけて国内を旅しながら歌を詠んでいます。現在では与謝野晶子が訪れた各地に歌碑が建立されています。実にその数二百五十ヶ所余りというのです。

或る時は温泉地で温泉に入り、また或る時は自然を眺め歌を詠んでいます。

「何となく 君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」(与謝野晶子)

京都の鞍馬寺で詠んだ歌です。この時は夫の鉄幹とともに訪れています。

「遮那王が背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」(与謝野鉄幹)

母・常盤に修行に出された遮那王こと源義経がこの鞍馬寺で天狗に稽古を付けてもらっていたというのは有名な話、その義経のことを思い鉄幹が歌を詠んでいます。

温泉地に足を運ぶ無類の温泉好き

温泉地で有名な場所は国内でもたくさんありますが、与謝野晶子は温泉とあらば何処へでも行く、その当時まだ道が出来てなかった秘湯にも足を運んでいたようです。晶子が旅した温泉地の軌跡を紹介します。
兵庫の有名な温泉地・城崎温泉にて詠んだ歌です。

「日没を 円山川みてもなほ 夜明けめきたり 城の崎くれば」

城崎温泉に来ると、日没を過ぎても人は多く街灯も明るい。

昔は城崎温泉に泊まって外湯を巡ることが一般的だったようです。与謝野晶子も外湯を巡りながら、日が落ちてもここが賑やかなことを知っていたのでしょう。

そして、都心からも行きやすい近い石段が有名な温泉地・伊香保にも訪れています。

「伊香保にて 昔を少し思ふとき 赤城の山の 動き来るかな」

伊香保に来て昔をふと思い出すと、私のこころが動揺するように赤城山さえも動いているように見える。

このような謎めいた歌を詠むこともありました。

さらに四万川のほとりにある鄙びた温泉地・四万温泉には長期で滞在をしています。

「山、浴舎、灯を置けるもの風流(みやび)に見ゆる 五月の夜と なりにける」

静かな山あいの温泉に入り、目に見える全てのものがとても雅やかにうつる夜。

近くの水上、谷川温泉にも訪れています。
この他にも各地の温泉地を巡り歌を遺していました。「こんなところにも」という秘境の温泉地にも今や与謝野晶子の歌碑が建立されているほど無類の温泉好きだったのです。

このように旅の途上で詠んだ歌にはどこかもの悲しさを感じます。みだれ髪を刊行した若き時代には夫のことをよく歌に詠んでいましたが、四十代になった与謝野晶子は夫を詠む歌から自然と向き合う自身のこころを詠む歌へと作風が変化していきました。

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戦争の悲しみを味わった与謝野晶子

「君死にたまふこと勿れ」
旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて
あゝをとうとよ 君を泣く 君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも~(以下省略)

これは日露戦争に行ってしまった弟へ向けた詩です。

国のために死することこそが日本人としての誇りとされていた戦中の日本で、与謝野晶子は大胆にも弟に、死んではいけない、堺の実家を継ぐ人なのだから死なないでくださいと訴えかけています。

詩のなかには日本国を痛烈に批判する文章も含まれています。この時代にあってこの詩を詠むにはとても勇気がいることですが、勇気だけではない正義感も兼ね備えていたのです。

時代に流されない強さを持った女性だからこそ、この時代にこの詩を詠むことが出来たのでしょう。

文学を愛し、夫を愛した情熱的な人物。今もなお人気の高い「源氏物語」を二度も口語訳しました。日本の文学界において大きな業績を残した女性です。

女性の立場で女性の自立と地位を確立しようと懸命に奔走した人でもありました。

晩年は淋しい和歌を多く詠んでいますが、それもまた奥行きがあります。時代の先を見据えて行動し続けた与謝野晶子の詠む和歌や詩はとても華やかで人気がありました。

今もなお、時代に負けない与謝野晶子に多大な影響を受ける人々はきっと多いのでしょう。

与謝野晶子歌碑巡り 鹿児島編

与謝野晶子の夫である与謝野鉄幹は鹿児島県姶良市にある加治木町にて幼少期を過ごしたといいます。

鉄幹は晶子とともに共通の知人である、改造社(当時の大手出版社)の編集者が鹿児島のガイド役を引き受けてくれたことから与謝野夫妻が半年ほど滞在し、鹿児島のあちこちで歌を詠んだといい、現在も各地に歌碑が残っています。

霧島
・霧嶋のからくに岳の麓にて わがしたしめる夏の夜の月

鹿児島
・さくら嶋わが枕よりやや高く 海に置かるる夏の月明

桜島
・嬉しくも身をば矢として達したる 桜嶋かと白き船出づ

川内
・月光に比すべき川の流るるや 薩摩の国の川内郷に

市比野温泉
・水鳴れば谷かと思ひ遠き灯の 見ゆれば原と思う湯場の夜

宮之城
・船一つとどろの瀬をば流れ出づ いのちを賭けて恋する如く

指宿
・しら波の下に熱砂の隠さるる 不思議に逢へり指宿に来て

池田湖
・さざ波は洞の中ほどしづかなる  池田の湖の面に遊ぶ

これらの歌は、短歌集として昭和4年(1929年)に「霧嶋の歌」として、お世話になっていた改造社より出版されましたが現在は絶版となっており、代わりに講談社の「定本 与謝野晶子全集」に掲載されています。

与謝野晶子歌碑巡り 山形編

与謝野晶子は昭和10年(1935年)6月末から7月にかけて、山形県鶴岡市にある名湯「温海温泉」を訪れていました。

・さみだれの出羽の谷間の朝市に 傘して売るはおほむね女

この短歌は歌碑として現在もあつみ温泉の観光スポットになっています。

与謝野晶子はこの他にも、

・朝市の始まりぬとて起される ほととぎすなど聞くべき時刻

・二日して湯の香混じりの五月雨に 馴れし出羽の温海山かな

を詠っており、これらの短歌は昭和10年(1935年)に刊行された「白桜集」の中にて、「越より出羽へ」と題されて10首載っています。

与謝野晶子歌碑巡り 青森編

青森県板柳町では「幻の銀杏」と題した詩を詠い、その詩を刻んだ歌碑が建立されました。

まばゆかる大和錦と云へる名の 林檎の枝にかかる月かな

みちのくの津軽の友の 云ひしこと今ゆくりなく 思ひ出涙流るる

悲しやと、さまで身に沁む 筋ならず聞きつることの 年を経て思はるゝかな

おん寺の銀杏の大木 色うつり黄になるみれば 朝夕になげかかるなり

忌はしく、ゆかしき冬の 近づきしこと疑ひも なきためと友は云ひてき

今われが柱に倚りて 見るものに青々たらぬ 木草なし満潮どきの

海鳴りのごと蝉の鳴く 八月に怪しく見ゆれ みちのくの板柳町

岩木川流るるあたり 古りにたる某寺の 境内の片隅にして

上向きに枝を皆上げ 葉のいまだ厚き銀杏の 黄に変り冬を示せる

立姿かの町びとの 目よりまた除きがたかる 寂しさの備る銀杏

うつゝにし見るにはあらず この庭に立つにはあらず おとろへし命の中に

北の津軽の 黄葉する大木の銀杏

与謝野晶子歌碑巡り 滋賀編

滋賀県高島市にある白鬚神社にも、与謝野晶子の詠った詩が刻まれている歌碑があります。

・しらひげの神の御前にわくいつみ これをむすへは人の清まる

この詩の刻まれた歌碑は、白鬚神社の境内にあります。

与謝野晶子歌碑巡り 鳥取編

鳥取県内の鳥取砂丘にも、与謝野晶子の詠った詩が刻まれている歌碑があります。

・砂丘とは浮かべるものにあらずして 踏めば鳴るかなさびしき音に

これは与謝野夫妻が昭和5年(1930年)5月25日に訪れた際に与謝野晶子が、友人である有島武朗への鎮魂歌として詠ったものが歌碑として建立されました。

有島武朗とは、大正12年に鳥取砂丘を訪れ、そのわずか一ヶ月後に軽井沢で心中してしまった人物です。

そんな有島武朗も鳥取砂丘で詩を詠っており、歌碑に刻まれています。

与謝野晶子歌碑巡り 大分編

大分県竹田市にある長湯温泉にも、与謝野晶子の詠った詩が刻まれている歌碑があります。

・湯の原の雨山に満ち その雨の錆の如くに浮かぶ霧かな

長湯温泉には夫である与謝野鉄幹とともに昭和7年(1932年)8月4日に訪れたようで、この歌碑には晶子の他に夫・鉄幹の詠った詩も刻まれています。

与謝野晶子歌碑巡り 香川編

香川県善通寺市にも、与謝野晶子の詠った詩が刻まれている歌碑があります。

・讃岐路は浄土めきたり秋の日の 五岳のおくにおつることさへ

こちらには昭和6年(1931年)慶応大学の教授をしている夫・鉄幹が講演を行うために善通寺市を訪れた際に、それに同行した晶子が詠いました。

鉄幹も詩を詠っており、出釋迦寺の本堂から奥の院へと至る参道脇に、与謝野夫妻を記念した「与謝野晶子・寛(鉄幹の本名)庭園」があり、そこに2人が詠った詩を刻んだ歌碑があります。

与謝野晶子歌碑巡り 岡山編

岡山県津山市にも、与謝野晶子の詠った詩が刻まれている歌碑があります。

・うつくしき五郡の山に護られて 学ぶ少女はいみじかりけれ

この詩は昭和8年(1933年)に夫・与謝野鉄幹が美作学園に講演に訪れた際に、同行した晶子が詠ったものです。

詩を刻んだ歌碑は、正門前の植え込みの中に残っています。

与謝野晶子歌碑巡り 東京編

東京都新島村にある式根島にも与謝野晶子の詠った詩が刻まれている歌碑があります。

・波かよう門をもちたる岩ありぬ 式根無人の嶋なりしかば

昭和13年(1938年)に与謝野晶子が式根島を訪れた際に詠われ、これを記念して昭和61年(1986年)に歌碑が建立されたそうです。

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