千利休ゆかりの寺!茶道との関わりが深い大徳寺!

2017-04-03

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臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺、山号は龍宝山であり、創建は1315年、寺名は大燈国師が赤松則村の帰依を得て紫野の地に小庵を建立して「大徳」と名付けたことに由来しています。
千利休の帰依を受けて以来、茶道との関りが深く、千家の菩提寺である聚光院をはじめ、ほとんどの塔頭に茶室があります。お茶にゆかりの深い寺であることから、「大徳寺の茶面」という言葉も存在しています。今回の記事では「茶道文化」にスポットを当てて、大徳寺をご紹介していきたいと思います!

千利休と大徳寺

大徳寺は千利休が帰依したお寺でありますが、具体的に大徳寺は千利休とどのような関係があったのでしょうか?それを見ていきたいと思います。

・堺の茶人たちと大徳寺との結びつき
時代は応仁の乱の後、焼け野原となった大徳寺の復興のために、有力町衆が尽力して経済的援助を行いました。これはひとえに、町衆たちが利休のことを慕っていたからです。こうした富裕町人の帰依と喜捨により、応仁の乱後の大徳寺は相国寺などの五山に代わり発展していきました。特に大阪堺の町人は大徳寺の復興に一層尽力しました。その間に、堺の南宗寺で修行をして京都の大徳寺に出世するという慣例が茶人たちの間で生まれ、堺の南宗寺と京都大徳寺との関係が密接なものとなりました。それが元になって、堺の茶人たちと大徳寺との結びつきが生まれていきました。
堺でも頻繁に活動していた利休は、その後信長の茶頭になり、大徳寺の門前に屋敷を構えました。この大徳寺門前屋敷が利休の京都での活動の拠点となり、利休は大徳寺で茶道を嗜むようになったのです。

・利休の2つの墓
利休は生前、大徳寺に墓をつくっていました。大徳寺の塔頭である聚光院を墓所と定め、永代供養量を納めることとしています。
利休の墓は大徳寺にもう一基あり、それは本坊の開山祖師塔のうしろ、基壇と築地塀との間のわずかの空間にひっそりと建つ宝篋印塔です。聚楽屋敷で自害した利休の、首を失った遺骸は大徳寺に引き取られ、ここに葬られたのです。

*利休の死については数多くの説がありますが、当時公にされた罪状は2つでした。1つは、大徳寺山門木造の件、2つは、新しい道具に法外な高値をつけて売買した売僧の振る舞いです。1つ目の大徳寺山門の件とは、応仁の乱後に檀越としての利休やその一族の名を後世に伝えるために、大徳寺側が等身大の利休木像を楼上に安置したことです。これは大徳寺が利休の労に応えた行いであったはずなのですが、これが不敬不遜との非難を受けることとなりました。
その木像は一条戻橋のところでハリツケにされ、利休の首はその木像に踏みつけられる形でさらされたと言われています。そのときに残った胴体が大徳寺の宝篋印塔に眠っているのです。

以上が千利休と大徳寺との関わりでした!利休の死については諸説紛々ありますが、実際に大徳寺を訪れることで千利休の思い、志半ばにして自刃した利休の慟哭の声が聞こえてくるでしょう。

というわけで、次は千利休に関わりのあった大徳寺のスポットをご紹介いたします!

聚光院

大徳寺の塔頭であり、本坊庫裏の西隣にある聚光院は茶道三千家の菩提寺であり、境内の墓地には千利休の供養塔を始め、歴代の墓があります。現在の本堂は室町時代後期に造営されたとされ、入母屋造檜皮葺で、他に玄関が別棟で付属しています。
閑隠席および桝床席と称する茶席はともに重要文化財であり、露地も見事です。方丈の南庭は百積の庭と呼ばれる枯山水の庭であり、千利休によって造られたとされています。低く整えられた生垣に沿って小さめの石組を配し、もとは白砂でありましたが現在は苔庭となっています。西側には利休お手植えの沙羅の木があり、こちらは3代目とされています。
なお、方丈の襖絵「四季花鳥図」「琴棋書画図」は狩野永徳によって描かれたもので、いずれも国宝に指定されています。

真珠庵

堺の豪商尾和宗臨が一休宗純の弟子たちとともに、一休の塔所として建立しました。
こちらには大燈国師墨蹟(国宝)や一休宗純墨蹟(重要文化財)をはじめ多数の寺宝が所蔵されており、特に一休の弟子で周文に水墨画を習ったといわれる墨渓筆「達磨図」には一休の画賛が添えられています。こちらは作者と制作年代が明確であるという点で重要な遺品といえます。

徳禅寺 客殿前庭

南北朝時代に創建された徳禅寺は、総門を入ってすぐ左手にあります。
こちらの客殿の前庭には一休和尚お手植と伝える大きな五葉松があります。徳禅寺が現地に移ってまもなく一休が盆栽の松を植えたものとされ、一休が庭におろした当時、樹齢はすでに100年であったと伝えられています。

いかがでしたでしょうか?
今回は「大徳寺の茶面」とも言われるように、茶道に関わりの深いお寺であったので、茶の湯を大成させたことでも有名な千利休にスポットを当ててご紹介させていただきました!
大徳寺へ訪れた際は是非とも千利休へ思いを馳せ、塔頭を回ってみてくださいね!

<基本情報・アクセス>
住所:京都市北区大徳寺町58
・聚光院の拝観
詳細はこちらのホームページ
http://kyotoshunju.com/?temple=daitokuji-jukoin
をご覧ください。
※時期によって内容が異なりますので、訪れる前に必ずチェックすることをオススメいたします。

JR京都駅から京都市バス205・206番系統などで約30分、大徳寺前、あるいは健君神社前で下車、徒歩5分
市営地下鉄烏丸線北大路駅下車、京都市バス1・204・205・206番系統で大徳寺前下車、徒歩5分
総門前駐車場の手前に、乗用車用駐車場がございます(有料、60台収容)

静寂に包まれた名刹! 大徳寺で”和”を感じてみよう!!

京都市北区紫野に大徳寺があります。
大徳寺は朝廷から篤く信仰される名刹でしたが、運命に翻弄されたお寺でもあります。
しかし、さまざまな高僧や商人、戦国大名たちによる支えのおかげで、輝きが保たれています。
今回は大徳寺の魅力をたっぷりとご紹介いたします!

大徳寺の歴史とは?

大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、山号は龍宝山といいます。

正和4年(1315年)、大燈国師(宗峰妙超)が甥である赤松円心の寄進した小庵に入り、「大徳」と名付けたことがはじまりです。 正中2年(1325年)には、花園上皇より大徳寺を祈願所とする院宣(上皇の命令を奉書で発給される文書)を賜り、翌年に大徳寺が創建されました。

この時代はのちに北朝や南朝になる「持明院統」と「大覚寺統」という皇統にわかれていました。
しかし、持明院統の花園上皇も大覚寺統の後醍醐天皇も大徳寺を信仰していました。 天皇の祈願所であった大徳寺はその名を広め、建武元年(1334年)には五山の上に列せられるようになりました。 その3年後、花園上皇は宗峰妙超に「興禅大燈国師」の号を賜り、大徳寺は「一流相承、他門勿住」の寺院にすべき、と自らが書いて贈ったのです。 花園上皇の帰依がいかほどだったか、よくわかるエピソードです。
しかし、享徳2年(1453年)と応仁元年(1467年)の大火により、伽藍はほぼ焼失してしましました。 ここで立ち上がったのが、アニメ「一休さん」のモデルにもなった一休宗純です。 実際の一休宗純はアニメの一休さんのようにとんち話をするわけではなく、禅僧でありながら飲酒や肉食、女犯などを行う奇抜な人物でした。

一休宗純は応永元年(1394年)に生まれました。
実父は第100代後小松天皇といわれており、落胤と伝えられてきました。
そして、6歳で京都の安国寺に入り、17歳で宗純と改めました。
宗純は師匠の死を乗り越え、近江国堅田の祥瑞庵に住んでいた華叟宗曇(けそうそうどん)の元を訪ねました。 華叟ははじめ入門を認めませんでしたが、会下で参禅する宗純を入門させ、「一休」の道号を授けました。
一休宗純はその後、大阪高槻の尸陀寺や京都の瞎驢庵に住み、たくさんの民衆と交流しました。
また、父と聞かされていた後小松天皇によばれ、法を説いたことがあったと伝えられています。 そして、81歳になった一休宗純は勅命により、大徳寺の第47代目の住職となりました。
応仁の乱により被害を受けていた大徳寺の復興をするためでした。 一休宗純は一所懸命、復興に努めました。
1年という短い期間で、一休の元で修行したいと志願する僧侶は100人を超えました。そして、大阪堺の豪商たちの援助を得り、伽藍を再建できました。 高齢にも関わらず、再興の任務を果たした一休宗純は88歳で亡くなりました。

千利休の「和敬静寂」を感じよう!

実は、大徳寺は茶の湯と深い関係があります。
さきほど登場した一休宗純を師とした村田珠光は、闘茶(お茶の種類を飲み当てる勝負)や殿中茶の湯(武家の儀礼としての茶)を得意としましたが、趣向の違う「侘び数奇の茶の湯」をひらきました。
また、その茶の湯を引き継いだ武野紹鴎は、大徳寺第90代住職の大林宗套に参禅し、交流をもちました。 その大林に参禅し、紹?の弟子になったのが千利休です。
利休は禅の精神を茶の湯に取り入れ、「茶の道」を大成させました。 さらに、大徳寺第117代住職の古渓宗陳に帰依し、親交を深めていました。 しかし、順調にみえた利休でしたが、大徳寺の三門の楼上に自分の木像を置いたことをとがめられ、豊臣秀吉に切腹をせよと、言い渡されてしまったのです。 さらに秀吉は大徳寺一山をつぶそうとしましたが、宗陳が説得してこの危機を逃れました。

そんな大徳寺にはたくさんの茶器や茶室があり、「和敬静寂」の精神が残っています。
その静けさに心もホッと落ち着くことでしょう。

大徳寺の庭園を見てみよう!

大徳寺の庭園は人気があり、人々を楽しませています。
特に、大仙院の枯山水は特別名勝・史跡で、本堂は国宝に指定されています。
大仙院の庭園は『蓬莱山』を起点としています。
蓬莱山は中国の神仙思想で不老不死の仙人が住んでいるといわれています。
山からみて左側には滝を表す三段の石があります。 川を表した白砂が南下すると、ゆるやかな流れになり、『宝船(長船石)』が浮かんでいます。 宝船は蓬莱山の宝を運ぶ船のことです。

そして、南庭には『大海』が広がり、円錐形の砂盛が一対あるのが特徴です。 庭は30坪あまりしかありませんが、仙境から海原まで表していて壮大な雰囲気を醸しだしています。 そのほかにも私たちの心をホッとさせてくれるような庭園があります。 ぜひ、ご覧になってくださいね。

一休ゆかりの大徳寺納豆をいただこう!

大徳寺の目の前には「大徳寺一久」という精進料理のお店があります。
文明年間(1469年~87年)に創業された老舗です。

一久という店名や宋から伝えられた納豆の製法は、一休宗純から授かったものだといわれています。
大徳寺納豆はスーパーなどで売っている納豆とは違い、醤油麹で大豆を発酵させて天日で乾燥させたものです。 昔から保存食として重宝され、僧侶だけではなくお茶席や和菓子の餡に使われました。
現在では、おつまみやお茶漬け、焼きめしやスパゲティの塩代わり、味噌代わりにも利用されています。 また、大徳寺納豆は体にも優しく、研究結果ではペニシリンの数十倍の効果があるといわれています。 殺菌作用もある栄養食品として、疲れた胃腸に与えてあげるのもいいでしょう。
さらに、麹のだす酵素はミネラルの吸収を抑える「フェチン酸」を分解し、栄養をとるための手伝いをしてくれます。

一久では予約制の精進料理もいただけます。
ぜひ、大徳寺にお参りしたときは一久にお越しください!

○所在地
〒603ー8215
京都市北区紫野大徳寺下門前町20
電話番号075ー493ー0019 FAX075ー491ー1900

○営業時間
午前9時~午後8時
精進料理午後12時~午後6時
(精進料理は要予約)

○定休日
不定休

番外編! 大徳寺鎮守の神社・今宮神社へ行ってみよう!

大徳寺の北側に「今宮神社」があり、大徳寺の鎮守社といわれています。
今宮神社は元々、災厄や疫病をはらうために疫神を祀ったのが始まりですが、別名「玉の輿神社」とよばれているほど縁結びで有名な神社です。

ご祭神は本社の中御座に大己貴命(出雲大社のご祭神・大国主命の別名)、東御座に事代主命(大己貴命の御子神)、奇稲田姫命(大己貴命の祖先神とも母神ともいわれている)が祀られています。
なぜ、「玉の輿神社」とよばれるようになったかというと、徳川幕府第5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が関係しています。
桂昌院は西陣の八百屋で生まれ、「お玉」とよばれていました。 第3代将軍・家光の側室となり、綱吉を出産。将軍の生母として大奥で権力を奮いました。 八百屋の娘から将軍の母へ。婚姻により富や名誉を手に入れたお玉から、「玉の輿」という言葉が生まれました。 そんなお玉は故郷にある今宮神社を崇敬しており、社領100石を寄進して社殿の造営などを行いました。
衰退していた神社は再興し、現在の輝きを保っています。

ぜひ、大徳寺へお参りした際には、今宮神社にも行ってみてくださいね!

いかがでしたか。
大徳寺は茶の湯や庭園など、”和”がつまったすばらしい寺院です。
新興ながら天皇に愛され、伽藍の焼失では僧侶や豪商、民衆に支えられ再生してきました。
今でも人々によりそい、たくさんの”和”を感じさせてくれます。
ぜひ、みなさんの目と心で確かめてみてくださいね!

■所在地
〒603ー8231
京都市北区紫野大徳寺町53

20余りの塔頭を持ちます!広大な敷地と深い歴史を持つ大徳寺!

※上の写真は大徳寺の数ある塔頭のうちの1つ、高桐院の写真です。

臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺、山号は龍宝山であり、創建は1315年、寺名は大燈国師が赤松則村の帰依を得て紫野の地に小庵を建立して「大徳」と名付けたことに由来しています。
かつて豊臣秀吉が織田信長の葬儀を盛大に挙行し、その菩提寺として総見院を建立して以来、武将による塔頭建立が相次ぎました。その数はなんと20以上!さらに千家の菩提寺である聚光院をはじめ、ほとんどの塔頭に茶室があるのも大きな特徴です。
そんな塔頭の多い大徳寺、今回はそんな塔頭の数々にスポットを当てて見どころを紹介していきたいと思います!

塔頭とは?

まずは、塔頭についてご存じでない方もいらっしゃると思うので、塔頭について説明いたします。

塔頭とは、もともとは先代住職の墓のそばに建てられた庵のことを意味し、主に禅宗で使われる言葉でした。しかし、後に大寺院に所属する坊のことを指すようになりました。
祖師や高僧の死後、弟子が子の徳を慕って大きな寺に寄り添って建立した塔や庵のことを指しています。
具体的な例では、京都の圓徳院などが有名です。

塔頭紹介

それでは、塔頭について理解できたところで、大徳寺の主な塔頭について紹介していきたいと思います!

・黄梅院
本尊は釈迦如来、1562年創立の春林宗俶の庵室に始まります。1589年から17年かけて本堂や庫裏を新造し、春林を開祖として黄梅院との名がつけられました。 見どころとしては、千利休の師とも言われる武野紹?好みの茶室「昨夢軒」があります。庫裏は大徳寺内に現存する中で最も古く、本堂の襖絵である「竹林七賢図」は雲谷派の祖である雲谷等顔の代表作とされています。

・高桐院
細川三斎が父のために1601年に創建しました。
書院の意北軒は千利休邸からの移築と伝えられており、墓地には歌舞伎の創始者とされる出雲阿国らの墓があります。
庭園は楓一色で自然のままの林となる本堂南庭と、飛石本位で深山幽谷の趣をもつ西庭とからなり、西庭には「袈裟型の手水鉢」が据えられています。

・狐篷庵
1612年に大名茶人として知られる小堀遠州が龍光院内に建てた小院です。
著名な茶室である忘筌席と書院直入院は共に重要文化財に指定されており、忘筌席の庭は「露結の手水鉢」と寄灯篭を近景とし、直入軒の庭を遠景として取り込んだ構成で知られています。
他に山雲床と称する茶室もあり、庭園は国の史跡及び名勝に指定されています。
また、「喜左衛門井戸」と称される井戸茶碗を所蔵しており、こちらは国宝に指定されています。

・聚光院
1566年に三好義継が創建しました。茶道三千家の菩提寺であり、境内の墓地には千利休の供養塔を始め、歴代の墓があります。現在の本堂は室町時代後期に造営されたとされ、入母屋造檜皮葺で、他に玄関が別棟で付属しています。
閑隠席および桝床席と称する茶席はともに重要文化財であり、露地も見事です。方丈の南庭は百積の庭と呼ばれる枯山水の庭であり、千利休によって造られたとされています。低く整えられた生垣に沿って小さめの石組を配し、もとは白砂でありましたが現在は苔庭となっています。西側には利休お手植えの沙羅の木があり、こちらは3代目とされています。
なお、方丈の襖絵「四季花鳥図」「琴棋書画図」は狩野永徳によって描かれたもので、いずれも国宝に指定されています。

・真珠庵
堺の豪商尾和宗臨が一休宗純の弟子たちとともに、一休の塔所として建立しました。
こちらには大燈国師墨蹟(国宝)や一休宗純墨蹟(重要文化財)をはじめ多数の寺宝が所蔵されており、特に一休の弟子で周文に水墨画を習ったといわれる墨渓筆「達磨図」には一休の画賛が添えられています。こちらは作者と制作年代が明確であるという点で重要な遺品といえます。
・大仙院
1509年に近江の六角氏の出身である古嶽宗亘が創建しました。
本堂は16世紀の棟札が残っており、禅寺の客殿遺構として大徳寺内では最古のものにあたり、本堂自体も国宝に指定されています。書院の庭園は枯山水庭園であり、狭い敷地内に樹木と白砂を配置し、密度の高い山水が表現されています。こちらの庭園は国の名勝に指定されており、中でも書院庭園は国の史跡及び特別名勝に指定されています。

・芳春院
1608年に前田利家の夫人松子が創建しました。
楼閣の呑湖閣は金閣、銀閣、飛雲閣と並び京都の四閣とも称されるほどのものです。
庭園は、狐篷庵と同様に大名茶人であった小堀遠州が作庭したものと伝えられています。

いかがでしたでしょうか?
まだまだ紹介しきれていない塔頭はございますが、有名な塔頭は以上のものになります。
拝観できる塔頭は限られていますが、拝観受付可能な塔頭には是非訪れて、古の茶室と庭園をご覧になってみてくださいね!

<基本情報・アクセス>
住所:京都市北区大徳寺町58
詳細はこちらのホームページ
http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/
をご覧ください。
※時期によって内容が異なりますので、訪れる前に必ずチェックすることをオススメいたします。

JR京都駅から京都市バス205・206番系統などで約30分、大徳寺前、あるいは健君神社前で下車、徒歩5分
市営地下鉄烏丸線北大路駅下車、京都市バス1・204・205・206番系統で大徳寺前下車、徒歩5分
総門前駐車場の手前に、乗用車用駐車場がございます(有料、60台収容)

大伽藍と塔頭は圧巻!戦国時代ともゆかりの深い大徳寺!

臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺、山号は龍宝山であり、創建は1315年、寺名は大燈国師が赤松則村の帰依を得て紫野の地に小庵を建立して「大徳」と名付けたことに由来しています。
中心伽藍は勅使門から三門(山門)、仏殿、法堂と南北に一直線上に並び、後方に庫裏、東に方丈が配される禅宗寺院の典型的な伽藍配置を示しており、そのスケールの大きさは圧巻です。
今回はそんな大徳寺の禅宗式伽藍にスポットを当てて、大徳寺を紹介していきたいと思います!

歴史

歴史の深い大徳寺、まずは歴史から解説していきたいと思います。

創建は1315年と伝えられており、1334年に後醍醐天皇により「本朝無双の禅苑」として京都五山の上に置かれ、寺域も拡大されました。しかし、大徳寺と対立する夢窓疎石に帰依した足利尊氏が政権を握るとその勢いは急激に衰退し、寺格も五山の下の十刹に置かれました。しかし、1431年には自ら五山を脱し、「林下」と呼ばれる在野の禅院として独自の宗風を築きました。その後一時は荒廃しますが、堺の商人であったり、連歌師であったりの支援を受け再興しました。
そして本能寺の変が勃発した1582年、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を盛大に挙行し、その菩提寺として総見院を建立しました。ここから以後、武将による塔頭建立が相次ぎ、現在は20以上にも及ぶ塔頭が大徳寺に立ち並ぶこととなりました。

伽藍など、見どころ解説

それでは、大徳寺の中心伽藍を紹介していきたいと思います!

と、その前に、まずは禅宗寺院の基本的な伽藍配置を解説しておきたいと思います。

「伽藍配置という言葉は聞くけれど、イマイチどういう配置のことなのかわからない」
そう感じる方が多いと思います。
ですが、鎌倉時代以降の禅宗式伽藍配置に限ってみればその配置は全て規則に基づいていますので、その法則さえ覚えてしまえば今までよくわからなかった伽藍配置という意味も理解できるようになりますよ!

・禅宗の伽藍配置
まず、禅宗の伽藍配置は古代の塔と金堂を中心としたものとは違い、法堂と仏殿を中心としたもので、左右対称の伽藍配置になります。
具体的には、三門(山門)・仏殿・法堂が南北に一列に並び、仏殿の左右には僧堂と庫院が置かれ、三門・僧堂・仏殿・庫院(庫裏)は回廊で結ばれます。
これだけが禅宗の伽藍配置の基本規則です!その他、東福寺のように東司(とうす)や浴室も重要な伽藍として大切にされることもありますが、基本的には禅宗寺院の伽藍配置は上記の規則が当てはまります。
大徳寺はその規則の典型と言えるでしょう!

禅宗寺院の伽藍配置を理解していただいたところで、大徳寺の伽藍についてご紹介していきたいと思います!

大徳寺の伽藍紹介

・三門(金毛閣)外観
総門を入って右側に、朱塗で重層造の豪華絢爛な三門を見ることができます。入母屋造本瓦葺きであり、両翼に三廊がつきます。下層は連歌師宗長が、上層は後日千利休が完成させました。そして、三門上層には利休自身の木像が安置されたことから、利休は豊臣秀吉の逆鱗触れ、自刃するにいたりました。

※秀吉の怒りを買う原因となった千利休像も実際に見ることができます!
・仏殿
禅宗式伽藍配置の通り、三門の北に並んで建つのが仏殿です。入母屋造、本瓦葺き建築です。典型的な唐様であり、仏殿内部中央には和様の須弥壇があり、壇上には釈迦如来坐像が安置されています。

・法堂
仏堂の後方に続いて建つのが修行者に法を説くための法堂です。こちらも入母屋造ですが、大徳寺伽藍の中で最も大きな建造物です。

・雲龍図
法堂の天井に描かれているのが雲龍図で、作者は狩野探幽として知られており、35歳の若い時代の作品です。鏡天井の三重円相の中に、雲中から現れた龍が力強く描かれています。

・唐門
西本願寺、豊国神社とともに、桃山の三唐門と称されます。切妻造で檜皮葺の門で、現在は本坊本丈の南に建っています。かつて豊臣秀吉が居住していた聚楽第の遺構と伝えられ、大慈院の開創者の1人が豊臣秀吉より譲り受けて移築したと言われています。

・本坊方丈と方丈庭園
本坊伽藍の最奥にあるのが方丈です。方丈庭園は東側を小堀遠州が作庭したと伝えられています。東南隅にツバキの大刈込みと2つの巨石を配して枯滝とし、3か所に大小2つずつの石からなる島を配した白砂の大海へと流れ込む様を表しています。

いかがでしたでしょうか?
今まで伽藍配置と言われてピンとこなかった方も、禅宗式伽藍配置の規則を理解してから伽藍を観光すれば、また新たな発見もあるのではないでしょうか?
禅宗式伽藍配置は大徳寺に限らず鎌倉時代以降の多くのお寺の基本的な伽藍配置になっておりますので、これをしっかり理解した上で、お寺を訪れてみてくださいね!

<基本情報・アクセス>
住所:京都市北区大徳寺町58
詳細はこちらのホームページ
http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/
をご覧ください。
※時期によって内容が異なりますので、訪れる前に必ずチェックすることをオススメいたします。

JR京都駅から京都市バス205・206番系統などで約30分、大徳寺前、あるいは健君神社前で下車、徒歩5分
市営地下鉄烏丸線北大路駅下車、京都市バス1・204・205・206番系統で大徳寺前下車、徒歩5分
総門前駐車場の手前に、乗用車用駐車場がございます(有料、60台収容)

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