書道空海の人物から見る書法 その背景から筆を学ぶ

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 最澄に宛てた書簡、『風信帖』で知られる空海
弘法大師』と呼ぶことから筆の腕前は言うまでもなく後の世に広く伝わっていますね。
この空海の書いた書について、その書の特徴や起源などを空海の人物を通して見ていきたいと思います。

空海とは・・

空海は、嵯峨天皇、橘逸勢と共に平安時代の『三筆』と呼ばれています。
ですが、実はこの呼び方は江戸時代に言われ始めたものです。
江戸時代前期の1678年(延宝6年)に貝原益軒が記した『和漢名数』において記述されています。

 さて、空海の書についてその受けた影響を説明しますと、時期としては空海の幼少期に遡ります。空海は774年(宝亀5年)に讃岐国の多度郡(現:香川県善通寺市)にて出生。家柄が代々高い地位を誇る豪族である父、郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)で、母は叔父である阿刀大足(あとのおおたり)が桓武天皇の皇子・伊予親王の教育係を務めたこともあり、空海の生涯に大きな影響を与えたと考えられます。

 また、中国の書を深く学んだ空海は、その姿勢が15歳で長岡京に上京した経験から培われたものだと自ら説明しています。

 長岡京では伊予親王の教育係であった叔父の阿刀大足から本格的な学問を教わることになり、18歳になった頃には長岡京の大学明経科に入学し、『春秋左氏伝』や『毛詩』などを学ぶ情熱が人智を超越したものであったというのは、『首に縄をかけ、腿に錐を突き刺して眠気を追いやった』という空海本人の言葉から如実に伺えます。

書家としての逸話

「五筆和尚」とも呼ばれた空海の逸話をご紹介

 中国は唐に渡った空海は、805年(永貞元年)に恵果阿闍梨に師事し、密教の全てを伝授されたと言われています。この経歴と書家としての腕を唐の皇帝であった順宗皇帝の知るところとなり、宮殿に召された空海はその壁に文字を書くよう命ぜられました。

 その壁はただの壁ではなく、中国稀代の名書家・王義之が生前に詩を書いた所でした。ただ、長い歳月が経過したことで王義之の書が消えてしまったため、順宗皇帝が空海に新たな書を書くよう命じました。

 五筆和尚の名前。それは、この時に空海が王義之の五行の詩を左右の手足と口を用いて5本の筆で同時に書いたことに由来します。また、空海が別の一間に墨汁を注ぎかけると巨大な『樹』の字が浮かび上がったことに順宗皇帝が大変驚き、空海に「五筆和尚」の称号を与え、さらに菩提樹の種で作った数珠を賜ったそうです。

 また、空海は「楷書・行書・草書・隷書・篆書」の5種類の書体に通じていたため、多くの書体を使い分けていたこともこの所以と言われています。

「弘法筆を選ばず」とは

能筆家の空海弘法大師と呼ばれています。
どのような筆を持たせかいても立派な書を書いていたとされる空海。その偉業から、その道の名人や達人と呼ばれるような人が道具や材料を選り好みせずに見事に使いこなすことを言います。

「弘法も筆の誤り」とは

空海弘法大師)が嵯峨天皇の勅命により応天門の額を書きましたが、この際「応」の字の中の「心」の一番上の点をひとつ書き落してしまいました。
そこから、弘法のような書の名人であっても書き損じることもあると、失敗した際の慰めとしてこの句が使われるようになったそうです。

空海の書風

 空海は幼少より書に親しみ、王義之(303〜361)の書を学んでいたことは有名です。
遣唐使として唐に渡った際には多くの所論を読み、能筆家と交流を持ち、知識や技能を吸収しました。

 また、空海の筆跡を見ると書風としては王義之の書に唐の時代に現れた書家・顔真卿(がんしんけい)(709〜785)の書法を加え、空海の個性を加えたという2人の偉人の影響を受けた書風であると言えます。

 上で述べたように「楷書・行書・草書・隷書・篆書」といった様々な書体に優れていたそうで、当時唐で流行した飛白(ひはく)という刷毛状の独特の筆でかすれたように書く技法もいち早く取り入れました。これは、後漢の蔡?(さいよう)が創始したとされています。

空海による編纂

 こちらは、『梵字悉曇字母并釈義』というもので、空海が梵字の研究書として鎌倉時代に幕府の庇護を受け、高野山で作られた高野版になります。1351年(正平6年)、翌7年頃に出版された一連の仏典のうちの一冊になります。

 空海が編纂したこの『梵字悉曇字母并釈義』は、日本における歴史上初のサンスクリット字典でした。この中にはインドの古典語であるサンスクリットの字母表(アルファベット表記)のほか、その字に含まれる意味などが文法書のように書かれています。

灌頂歴名(かんじょうれきめい)(高雄山寺(神護寺)において灌頂の儀式を執り行った際に伝法を受けた人の名簿)

 こちらは空海が記録のために筆記したもののため、写経のような形を残そうとしたものではありませんが、筆に任せた書であっても王義之や顔真卿から受けた力強い筆運びは変わりません。

現在も続く空海の偉業

弘法大師御遺告』

 こちらは空海が入定に先立ちその6〜7日前に弟子に与えた遺誡の書です。
即身成仏を説いた空海は、隷書の味を持たせ、我が身が仏となることを是と考えているのがよくわかります。

空海筆を下せば文成り、書法に於いて最もその妙を得たり』
続日本後記(835年(承和2年))に書かれているように、現代だけでなく歴史上においても空海の書がいかに素晴らしいものであったかを物語っています。

 空海のように、五筆(楷書・行書・草書・隷書・篆書)に長けたという書家は数少ないでしょう。

 唐に渡り、異文化や歴史を勉強してこそ得られた経験と、空海自身の勉学に対する熱心さの賜物と言えます。

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