日本史 和同開珎の「わどう」とは元号だった!和銅年間に起こったできごと

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日本ではじめての流通貨幣とされる、和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)。
奈良時代の当時、貴族を中心とした「中央集権の律令国家」をめざした日本は、その政策の一環として国内外で通用する貨幣を必要としていました。産業の発展や流通にともなって、従来の価値のあいまいな物々交換よりも、銭貨による「価値の統一」を目指したのです。

618年、中国大陸では随を滅ぼした「唐」が中国統一をはたし、広大な地域を支配下におさめました。その強大な勢力は、ほかのアジア諸国にも大きな影響をもたらし、日本にも交易を通じてさまざまな制度や思想、文化や技術などが輸入されています。
遣唐使が盛んに行き来し、まさに世は唐風ブーム。有名な大宝律令などに始まる「律令制の導入」をはじめとし、唐の都・長安を模倣した都の造営や国史の編纂、統治領域の拡大など、唐を参考にした国家組織作りが推し進められました。

言霊の国日本。元号に言祝ぎをこめて

和同開珎が鋳造されたのは、708年の和銅元年。武蔵の国から朝廷へニギアカガネ=和銅が献上されたとあります(続日本紀)。朝廷はそのことを祝い、元号を『和銅』と改めました。これが鋳造した銭貨「和同開珎」の名の由来ともなっています。

鉱物資源の発見は、国家の力=財力と密接にかかわっていました。田畑を耕すための鉄製の農具は生産性と税収を増やしますし、寺院や仏像の素材や塗料、武具、銭貨、と鉱物はまさに利の多い資源。朝廷が発見を喜ぶのも頷けます。

「おめでたいことがあった」という理由で元号を変えることが、この時代には良くあったようで、和銅以外でも、鉱物の発見・朝廷への献上が由来の元号はほかにもあります。

例えば、大宝律令で有名な「大宝」の元号は、対馬からの金の献上があったことを祝って、また3ヶ月しか使われなかった天平感宝という元号は、陸奥からの金の献上があったことを祝って付けられたと言います。

現在のように新しい天皇の即位にともない元号も新しくなる、という形式になったのは、明治以降になってから。それまでは、随意に元号を変えることができていました。

さて、和銅という元号の期間はどれくらいかと言いますと、708年から715年の7年間を指します。そのあいだには、和銅元年の「和同開珎の鋳造」以外にも、現代においても有名なできごとがいくつか起こっています。

和銅3年『平城京遷都』

受験から遠ざかってしまったオトナ世代でも、「なんと(710)ステキな平城京」というゴロ合わせは覚えている方が多いのではないでしょうか。

710年は和銅3年にあたります。これより以前は政治の中心が奈良盆地南側の飛鳥・藤原の地にありましたが、同じく奈良盆地でも北側の平城京に遷都してから、私たちが歴史の授業で習う「奈良時代」が始まったとされています。奈良時代は、その後794年に平安京に遷都するまでのあいだ約80年間続き、華やかな、また仏教色の強い唐風の文化が特徴的です。

平城京は、唐の長安をモデルにしており、碁盤の目のように整然と並んだ区画が整備された都市でした。中央を貫く朱雀大路により、右京と左京に分けられ、北端中央には天皇の住居「内裏」や各政務や儀式の場である「大極殿」や「朝堂院」、またさまざまな官庁地区が配されていました。

和銅5年『古事記の完成』

これまた有名な『古事記』も和銅5年に完成しました。

律令制・中央集権の導入により、組織や制度ができあがっていく中で、日本各地の統治管理の必要性も生じてきます。それまではそれぞれの地域ごとに地を治める首長がいて、自治を行ってきましたが、朝廷に力と財を集中させるには、自治を認めず、運営管理は中央で行うようにするのが必須。当然反発がおきますが、朝廷は武力で平定するだけでなく、思想面でも朝廷に従わせるためには、「朝廷による統治に正当性を」持たせる必要があると考えました。そのため、国の成り立ちを神話や伝説をもとに天皇を中心とした物語を「国史」として編纂することが盛んになったのです。

古事記』は、天地の始まりや国生み、神様が地上統治のために子孫を遣わしたとする神話「天孫降臨」、神武天皇やヤマトタケルの地方征討征などが描かれています。それらの物語により神話の神々の子孫が天皇の系譜であり、天皇を擁する朝廷こそ国を治めるにふさわしいと、位置づけたのです。

和銅6年『風土記の編纂の命が下る』

朝廷による支配が進む中、中央編纂の歴史書のみならず、その地方の産物や土地・河川・山・原などの名前の由来、古老の語る伝承・口承などをまとめた、いわゆる地方誌の編纂の命が、和銅6年日本諸国に出されました。これが『風土記』です。

現在、伝えられているものは「出雲」「播磨」「豊後」「常陸」「肥前」の五国で、その中でも完全に近い形で残っているものが「出雲国風土記」です。当時の出雲を、日本を知ることができる、日本古代史の貴重な資料として大切にされています。

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