日本史 竪穴式住居ライフは楽しい!縄文人の一日はどんな感じだった?

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旅する狩猟民族が定住したマイホーム。竪穴式住居と縄文人

「毎日ゆったりした、ナチュラルな生活が送りたい。」
手元の有能すぎる電子機器に向かって言葉を発すれば、必要な情報を瞬時に手に入れられるご時世なのに、なぜ私たちは時代を重ねるにつれ、余暇を楽しむどころか忙しさが加速した生活を送っているのか不思議に思う今日この頃です。

ここ10年ほどのファッションシーンにもその傾向は顕著で、体を締め付けてより美しいラインを作るデザインよりも、プレーンなシャツにデニムをラフに着こなしたり、ジェンダーレスなカラーをグラデーション気味に身につけたり、民族の壁を超えたフォークロアファッションがトレンドだったりと、文明が進むにつれて細分化された人間同士の「こうであらねばならない」という壁をなくし、「自分らしく生きる」ことに注目が集まっています。

人間本来の生きる力をたどる上で、現代日本でちょっとしたブームとなっているのが、竪穴式住居で生活していた縄文人の暮らし方です。

生きるために家族を引き連れ、食料にする獲物を追って旅をする狩猟民族だった古代人が、地球の温暖化で海水面が上昇し、豊かな自然の恵みの中で旅をしなくても十分暮らしていけるようになった縄文時代に定住生活を選ぶようになった彼らの夢のマイホームが、竪穴式住居です。

近年の研究によりきめ細やかなところまで明らかになった、自然に忠実で自由かつ慈愛ある竪穴式住居生活をチェックしましょう。

縄文人の竪穴式住居生活はどんなもの?

ほんの十数年前までは、竪穴式住居=弥生人という印象だったものの、近年の研究では今から1500年〜2400年前まで続いていた縄文時代まで遡ることがわかりました。

そのいずれかの時期、浜辺に近く、川も森もあり、安全で見晴らしのいい高台を見つけた縄文人が定住を始めました。

竪穴式住居ひとつにつき、一家族4〜6人が収まるワンルームが設置され、家族が増えるにつれ、周囲に新しい竪穴式住居が作られ、基本的な竪穴式住居の集落は10軒に満たない数だったようです。

これは、周囲の海・川・森から採集する食料で賄える人数によって増減があるので、中には何十戸もの竪穴式住居の遺跡が残っている、食料採集に恵まれた場所もありました。

最近の研究によると、縄文土器などに残っていた食料の痕跡の一粒の大きさを時代ごとに比較してみたら、クリやマメの一粒がある時期から明らかにサイズアップしたことが分かったそうです。どうやら縄文人は、森から採集してきたクリやマメから大きなサイズの物を取っておいて、集落の近くなどで栽培することを発明したのではないか、と考えられています。

食料調達センスのある縄文人がすでにいたところに、大陸から稲作文化とともに弥生人が渡来してきて、文化を上書きする形で稲作が広がり、竪穴式住居の大集落が十分維持できる収穫を得られるようになったのではないでしょうか。

天気のいい日は食料採集へ出かけよう

ワンルームの竪穴式住居の真ん中には炉があり、朝日とともにその火種を起こすことから始まる縄文人生活は、一日の多くを食料採集に使います。

果実や木の実採集チーム、大型動物狩りチーム、魚獲りチーム、貝拾いチームetc…縄文人それぞれのポテンシャルによって組み分けられて、各担当箇所に向かう集団がある一方、集落に残った体の弱い女性や幼い子供、病人や負傷者、老人たちも仕事があります。

燻製などの保存食、縄文クッキーと言われる常備食、集落の周りのドングリ拾いや粉末加工といったクッキングはもちろん、竪穴式住居のメンテナンスも重要な仕事です。服や道具の修繕など、日が暮れて食料調達チームが集落に戻ってくる日暮れまで、やることはたくさんありました。

とはいえ、目標を早く達成してしまえば余暇はたっぷりありますから、土器に美しい細工を施したり、動物の骨や輝石を細工してアクセサリーを作ったり、長い髪の毛をオシャレに編み上げたり、動物の毛皮をアレンジしたり草の繊維で軽い生地を開発したり、それぞれの趣味に沿った楽しみを見つけることができました。

冒険心ある者は山を越えて旅に出て商人となったり、グルメハンターとして新しい食料を探しに行ったり、それぞれが生まれながらに持つ個性をいかんなく発揮した生活の活力の源は、やはり竪穴式住居集落という、血縁関係を中心にした大家族が暮らす竪穴式住居集落というホームポイントのおかげだったのではないでしょうか。
稲作文化到来前の食料は、旬の果実や魚、動物、木の根など、広範囲のビタミンが取れるバランスが良い高タンパクなものだったので、栄養バツグンに生き生きと暮らしていた縄文人に、憧れに近い思いを抱く現代人もきっと多いはずです。

竪穴式住居で変化する、古代人の縄張り意識

マイホームに対する特別な想いは、現代人も縄文人も変わりません。
なぜなら、定住生活をすることで、住まいの周囲に愛着ある景色が生まれ、「ここは自分の縄張りだ」という防衛意識が生まれるからです。旅する狩猟民族なら、周囲の環境が自分のライフスタイルと合わなくなったり、食べていくに不十分な状態になったとたんに、次の場所をめざし旅立つことができますが、竪穴式住居だからこそ蓄えられたたくさんの土器や家具、周りに作った植栽や畑、幼い子供たちや友人関係や先祖の墓、それらがありながら引っ越すことは、現代でさえ一苦労です。

この意識は、稲作文化を迎えたことでさらに強固なものになり、大集落を維持していくために合議が行われ、集落をコントロールする権力者が生まれるもとのひとつになりました。

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