世界史

メソポタミア文明にまで遡るビールの歴史。気になるプリン体や尿酸と人の歴史とは?

2018-11-12

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メソポタミア文明にまで遡るビールの歴史。気になるプリン体や尿酸と人の歴史とは?

メソポタミア文明は現在のイラクに当たる付近で、紀元前8000年紀の頃より発展してきた世界最古の文明と考えられています。その中でも、紀元前6500年頃に誕生したと考えられているシュメール人によるシュメール文明では、紀元前5000年紀頃より薬の精製、紀元前4000年紀頃よりビールの精製が行われ始めたと考えられています。

このように人とアルコールの歴史はかなり長いのですが、アルコール飲料と言えば気になるのは尿酸値の上昇ですね。中でもビールには尿酸値をさらに上昇させてしまうプリン体が多く含まれています。尿酸値が上がることで患ってしまう疾患である痛風はよく知られているのではないでしょうか。そこで、人とビール、プリン体、尿酸と痛風の歴史を調べていきたいと思います。

メソポタミア文明とビールの歴史

メソポタミア文明は、長い歴史を重ねていくなかで複数の民族と文明をまとめ、農耕や貿易を行い、金属素材・木材・石材を用いて様々なものを作り上げ、どんどん新たな土地を開拓していくことで文明を発展させていきました。中でも、シュメール人によるシュメール文明では、神々に捧げる他、一般市民の飲み物として、ビールの精製が始まりました。そして、その精製方法が広く伝わっていき、現代では色々な国で様々な種類のビールが精製されるようになりました。

シュメール文明当時のビール精製は大麦やエンメル麦から作られていたと考えられており、種類も黒ビール、褐色ビール、強精ビールなどの種類が作られていたと考えられています。穀類を豊富に生産することができたメソポタミアでは、日常の食物として食べられていたパンを作る技術からビールが派生し、日常食物と同じく、日常飲料として飲まれていたと考えられています。

広く伝来したビールの精製方法ですが、国により気候が異なるため、腐りやすい環境では防腐目的であったり、風味などを添加したりするために、様々な薬草を使用して加工されるようになったと考えられています。

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痛風と治療の歴史

ビールの精製はとても長い歴史があると分かりましたが、人類の歴史にはビールの歴史よりももっと古くから病気の治療が行われていた記録が発見されています。その中でも痛風の歴史は、古代エジプトのミイラから尿酸結石が発見されたり、さらに昔に遡ると、白亜紀の恐竜であるティラノサウルスの化石から尿酸により浸食されたと思われる関節痕が見つかったりと、ビールよりもさらに長い歴史があると考えられています。

その痛風の治療の歴史は、紀元前1500年頃のエジプトにおいて、パピルス紙に痛風の治療薬に関する記述が発見されており、紀元前500年頃には西洋医学の父と言われるヒポクラテスが痛風の臨床的観察を著しています。ヒポクラテスは痛風の治療法も著しており、冷やすなどの方法を行っていたようです。強烈な痛みが長期にわたり癒しにくいとし、原因も考察していたとされる記録が残っています。

このように痛風には紀元前からたくさんの人が苦しめられてきており、その都度色々な研究がなされてきました。ヒポクラテスとほぼ同時期の紀元前500年頃において、東ローマのビザンチン医師団が初めて痛風の薬をヘルメスの指という名称で使用していたと言われています。痛風発作に対する有効性はその後18世紀末に発見され、長い研究、治療の歴史を経て、痛風の原因が特定されるようになり現代に至っています。

人とプリン体と尿酸値発見の歴史

痛風の研究、治療の歴史は紀元前から続くとても長いものですが、原因の考察はできても特定はできないまま長い歴史が経過していきました。痛風を引き起こす具体的なメカニズムや原因物質の特定は、近代医学が発展してきてからになります。17世紀の科学者で自身が痛風患者であった人が、自らの症状を詳細に記録し、時同じ頃に尿酸塩結晶を顕微鏡で観察する技術が確立されます。研究が続き、18世紀後半になると、尿酸が発見されました。尿酸結節の中にある尿酸を発見し、尿酸が痛風結節の成分であることを特定できました。さらに、血中尿酸濃度の測定法が開発され、痛風を患う人の尿酸値が高いことが証明されるようになりました。20世紀に入り、尿酸の化学構造が解明され、複数の尿酸測定法が開発されるようになりました。

プリン体の代謝に関する研究は19世紀に始まり、20世紀に入るとプリン体から尿酸が作られる代謝の過程が明らかにされ、その後さらに研究が進んでプリン体と尿酸値の関係が痛風発作を引き起こすことが証明されました。

このように、プリン体と尿酸値の関係が痛風発作の原因となっていると明らかになるまで、痛風が指摘された紀元前から考えると、とてつもなく長い時間がかかったことになります。原因が特定されたことで、治療薬も進化を遂げることになります。現在では、鎮痛薬や、尿酸排泄促進剤などの様々な治療薬が開発され、痛風予防値対策として、食生活、日常生活における注意点などが積極的に呼びかけられるようになりました。

近代では、痛風予防の視点から、低プリン体ビールの開発や、サプリメントによる尿酸値対策などが盛んになってきています。紀元前から知られる痛風ですが、現代ではその患者数は増えている傾向があり、現代病の1つとなっています。それに伴い、痛風診療は痛風の治療ガイドラインが活用されるようになり、専門の科でなくても、一般的な痛風診療が受けられる環境が整っています。

人とプリン体と尿酸値発見に至る歴史はわりと近年になってのことで、それから短期間で劇的に研究と治療方法が進化しました。さらに研究が進み、尿酸をさらに分解する酵素が発見され、哺乳類のほとんどがそれを有していることが分かってきています。残念ながら人はこの酵素がないため痛風を発症してしまうそうです。他にも、類人猿、爬虫類、鳥類も痛風になると考えられています。

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文明は大河とともに生まれることが多いですね。世界4大文明は「メソポタミア文明」「エジプト文明」「インダス文明」「黄河文明」の4つですが、すべて大きな河の周辺にあらわれた文明です。
これら世界の文明の中でもっとも古い文明が「メソポタミア文明」。チグリス川とユーフラテス川の流域に栄えた文明です。「メソポタミア文明」の名を知ってはいても、場所や文明の内容についてはあまり知らない方も多いのではないでしょうか。
しかし「メソポタミア文明」はとても面白いミステリーに彩られている文明なのです。今も解明されていない「メソポタミア文明」の謎を追ってみましょう。

いつ?どこで?誰が?メソポタミア文明を知る!

さまざまな謎が残されている「メソポタミア文明」は紀元前3000年頃に成立したとされています。紀元前3000年頃、日本は縄文時代。この頃の地球は「ネオグラシエーション」と呼ばれる寒冷期で、その後紀元前2500年頃からは温暖期に入り現在に至っています。

さて「メソポタミア文明」がチグリス川とユーフラテス川の流域に開花した文明であることは知られていますが、この2つの川はどこを流れているのでしょうか。チグリス川とユーフラテス川はトルコの山を源流としてイラク国内を流れてペルシャ湾へと注いでいる川です。「メソポタミア」という語は「川の間の地域」という意味で、2つの川はペルシャ湾へ注ぐ手前で合流して1つの川となっているため、川にはさまれた地域は三角形になっています。

チグリス川とユーフラテス川の流域では「シュメール文明」・「バビロニア文明」・「ヒッタイト文明」・「アッシリア文明」の4つの文明が生まれ、これらの文明の総称が「メソポタミア文明」なのです。

チグリス川とユーフラテス川の流域にシュメール人が都市を形成したところから「メソポタミア文明」がはじまりました。メソポタミアで発明された文化はくさび形文字、天文学、六十進法、1週7日制、などなど数多くあり、たとえば発達した天文学は現在われわれがよく目にする西洋占星術の基礎となっています。これらの文化を生み出した「メソポタミア文明」の主人公であるシュメール人は、どこから来てどこへ行ってしまったのか現在でも明らかになっていません。遺跡から出てきたシュメール人の像などが黒々とした大きな目をしていることからシュメール人が実は宇宙人だったのではないか、という説まであります。

メソポタミアの高層建築をめぐるミステリー!【バベルの塔】と【空中庭園】

「バベルの塔」という建築物をご存じでしょう。旧約聖書「創世記」に出てくる巨大な塔が「バベルの塔」です。「バベルの塔」は神話の中だけの架空の塔という説がある一方で、ひとつの有力な説があります。それが「メソポタミア文明」においてシュメール人が作り出し新バビロニア帝国の第2代の王ネブカドネザル2世が完成させた「ジッグラト」といわれる塔がモデルであるという説。バビロンにあった「エ・テメン・アン・キ」という名の「ジッグラト」は、7層からなる塔で各層は土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月を表すものだったようです。天文学が生み出された「メソポタミア文明」を象徴するような塔なのですね。塔の頂上へ向かってらせん状の通路がグルグルと伸びていたといわれています。

「バベルの塔」のモデルになった「ジッグラト」のあった都市バビロンは、バビロニア帝国の首都。「目には目を、歯には歯を」で知られるハンムラビ法典を作ったのはここバビロニア帝国の第6代の王ハンムラビです。メソポタミア一帯をはじめて統治したのがバビロン第1王朝のハンムラビ王でした。そしてバビロン王朝はやがて新バビロニア帝国となり、「バベルの塔」を完成させた第2代の王ネブカドネザル2世によってふたたび高層建築の「空中庭園」が造られました。この「空中庭園」はネブカドネザル2世が妻のアミュティスのために造ったものです。5層からなるテラスに土を入れて植物が植えられ、地上から水がくみ上げられ下層へ流された「空中庭園」は、あたかも空中に浮かぶ庭園のようだったといいます。どのようにして水を高い所までくみ上げていたのか、現在でも謎とされています。

【バベルの塔】に思いを馳せて:世界遺産「チョガ・ザンビール」

「バベルの塔」のモデルになったジッグラトは「エ・テメン・アン・キ」と呼ばれるもので、建物自体はすでにありません。しかし、一辺が91m、高さは推定約90mもあったとされています。
そんな、当時としては規格外の建物の存在感を感じさせてくれるジッグラトが今もなお残されています。それがイラン初の世界遺産「チョガ・ザンビール」です。

紀元前1250年頃につくられたもので、一見すると階段状のピラミッドのように見えます。現在残されているものは損傷しているため、高さは25m弱ほどですが、建設当初は高さ約53m、5層から成り、一辺が約105mという規模だったと推定されています。
現代にすれば、「エ・テメン・アン・キ」は25~30階建て、「チョガ・ザンビール」は15~20階建ての高層ビルにも相当する高さですから、紀元前の時代にそれがつくられたとなると、さぞかし威圧感と存在感があったことでしょう。

ジッグラト自体、視覚効果や陰影などを計算した上でつくられたという説もありますし、「チョガ・ザンビール」の整然と積み上げられた日干しレンガの緻密さを見ても、もしかすると「空中庭園」も実際に存在しえたのではないかと思わされます。

巨大すぎる【バビロンの城壁】

「バベルの塔」の途方もない巨大さが、あながち伝説でもないのかと思わされてしまう要素として、「バビロンの城壁」の存在も見逃せません。 バビロニア帝国の首都バビロンを守る城壁として、ネブカドネザル2世によってつくられたものですが、高さは何と90m、厚さ24m、総延長が数十?にも及ぶ、まさに鉄壁だったというのです。また、城壁には100の門と250の塔が設置されていたそうですよ。 この門のうちのひとつ「イシュタル門」は復元され、ベルリンのペルガモン博物館に展示されています。美しい青色とモザイクの装飾が印象的で、やはりメソポタミア文明のすごさを実感できます。

〈ギルガメシュ叙事詩〉に〈ノアの箱船〉が書かれている?!

2つの川の流域に栄えた「メソポタミア文明」の都市は豊かな農耕文化によって支えられていました。流域の肥沃な土地からは麦などの穀物が豊富に収穫できていたといいます。大河の流域に花開いた都市ですから、しばしば河の氾濫による大洪水に見舞われたようです。メソポタミアで起こった大洪水は、「旧約聖書」にある「ノアの箱船」の話のルーツではないかといわれています。

粘土板にくさび形文字で書かれた「シュメール神話」には神が洪水を予言し船を作れと語ったとあり、また「ギルガメシュ叙事詩」には神のいう通りに箱舟を作り家族や財産や家畜を乗せると洪水が起こり、水が引いたのちに箱舟は山の上にあったと書かれています。「旧約聖書」の「ノアの箱舟」の話とそっくりですね。「ギルガメシュ叙事詩」は古代のメソポタミアの歴史文です。紀元前2600年頃のシュメール人の王ギルガメシュの冒険を描いた叙事詩です。

「シュメール神話」同様、粘土板にくさび形文字で書かれた「ギルガメシュ叙事詩」には、粘土から作られた人造人間エンキドゥが出てきたり、絶世の美女でありながら残酷な女神イシュタルに誘惑されたり、不死の薬を探して歩いたりと波乱万丈なギルガメシュの人生がつづられており、オリエント地域での最古の文学ですが現代でも面白く読める作品です。日本語訳もいくつもありますので気軽に読むことができますよ。

〈ソドムとゴモラ〉は実在した?!

「旧約聖書」に登場する「ノアの箱舟」の話だけでなく、メソポタミア文明に関するもので「旧約聖書」とのつながりを感じさせるものはまだまだあります。

「創世記」に登場する、死海の南にあった「ソドムとゴモラ」は、退廃的すぎるあまりに天からの硫黄と火で焼きつくされてしまった都市。この都市が実在したのではないかという説があるのです。

それは、メソポタミア文明の都市ニネヴェの遺跡で発見された粘土板に、紀元前3123年6月29日未明に小惑星の衝突を観測したと記録されていたことが始まりでした。

この小惑星はアルプスの上空で爆発を起こしたそうですが、その威力は核兵器の100倍もあったとされています。そのため、降り注いだ隕石の破片(=天からの硫黄と火)によって都市が壊滅したのではないかとも言われているのです。

実際、紀元前3100年頃にかなりの気温低下があったというデータが取られており、恐竜が隕石によって滅んだと言われるのと同様、小惑星の衝突によって生まれた塵などで地球が覆われて気温が低下したという裏付けにもなるのです。

メソポタミア文明が生んだ「ミステリーバッグ」の謎

ところで、メソポタミア文明期に彫られた壁画に登場する神々などが、かばんのような形のもの「ミステリーバッグ」を持っているのをご存知でしょうか。実はこの「ミステリーバッグ」、はるか後の中南米や東南アジアの文明の壁画にも似たようなものが登場するのです。エジプト文明に関しては「アンク」と呼ばれるエジプト十字ですが、やはり神が手に持っています。

なぜ時代を超えてこの「ミステリーバッグ」が登場するのか、それはまだ謎に包まれています。

ただ、「ミステリーバッグ」は旧約聖書に登場する「生命の樹」に関わっているとも言われています。
「生命の樹」とは「エデンの園」の中央に生えている樹で、アダムとイヴが実を食べて追放されることとなる「知恵の樹」のそばにあるとされています。

この「エデンの園」もまた、実在する場所ではないかという説があります。ひとつは、メソポタミア地方の古代都市ディルムン(バーレーンのバーレーン要塞と推定する説あり)。もうひとつは、紀元前2600年から紀元前2500年頃に都市国家が所有を求めて争った肥沃な土地「グ・エディン」だとする説です。

ネブカドネザル2世の「バビロン捕囚」により、バビロニアに移住させられたユダヤ人は、そこで自分たちのアイディンティティを改めて見つめ直し、そこからユダヤ教を成立させました。おそらくその過程で、メソポタミアの影響があったと考えられます。となれば、「メソポタミア」と「旧約聖書」に関連が見られるのもうなずけるのではないでしょうか。

まとめ

メソポタミア文明は現代から見るとまるでファンタジーの世界のようです。しかし実は日本人の生活に欠かせないハンコも、はじめて作ったのはメソポタミアのシュメール人でした。日本から遠く離れた土地に栄えた大昔の文明が、現在のわれわれの生活と繋がっているなんて不思議な感じがしますね。

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