景勝地

美しさと恐ろしさの饗宴、雲仙岳

2017-07-19

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 長崎県の雲仙と熊本県、鹿児島県の3県にまたがる国立公園が雲仙天草国立公園です。昭和9年にわが国最初の国立公園としてまず雲仙が指定を受け、昭和31年にさらに天草諸島が追加指定されました。

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 ここでは雲仙地区を便宜上、雲仙国立公園と呼びます。この雲仙国立公園は島原半島の中央部に位置し、雲仙火山群を中心に、半島内の幅広い地域にまたがる国立公園です。雲仙岳は主峰普賢岳(1359m)を中心に3つの火山群によって構成されています。

 この国立公園は雲仙岳の山岳美と温泉郷を有し、観光の中心は雲仙岳のうち最初に形成された絹笠火山群中の盆地にある雲仙温泉と、1990年から1995年ごろの火山活動で新たにできた平成新山付近です。この平成新山は主峰の普賢岳よりも高く(1483m)火山活動の大きさを示しています。

 温泉の北東にある妙見岳傾斜地は、ゆるやかなスロープになっていて、キャンプ場、ゴルフ場として利用されてきました。また、仁田峠・妙見岳および普賢岳からの展望は阿蘇・天草・五島・などまわりの景色を一望におさめることができます。

 また、絹笠山の付近は渓谷美にすぐれ、南部にある諏訪池の周囲はキャンプ地として利用され、北部島甲山には大断層がみられ、雲仙温泉付近、島甲山付近、諏訪湖周辺は国の特別名勝地に指定されています。

 さらに雲仙をいろどるものとしては群生する樹木があります。普賢岳の紅葉、野岳のイヌツゲ、池の原のミヤマキリシマ、地獄のシロドウダン、原生沼沼野植物群はそれぞれ、天然記念物の指定を受けています。

 雲仙岳は島原半島中央に形成された複式火山群で、雲仙火山群・九千部火山群・絹笠火山群から成ります。古くは高来峰とか、温泉岳と書かれました。

 雲仙火山群の野岳は春の雲仙をいろどるつつじの名所です。妙見岳の南に位置し、東山麓に深江町から有明海を望む景勝地です。

 昭和25年、この地を訪れた天皇陛下が詠まれた
「高原に みやまきりしま 美しく むらがり咲きて 小鳥飛ぶなり」
の歌碑があります。

 なお、この野岳の北方に群生するイヌツゲは、野岳イヌツゲの群落として、国の天然記念物に指定されています。

 仁田峠は妙見岳と野岳の鞍部にあり、普賢岳の5合目に仁田峠展望所があります。

 春には峠にツツジが咲き誇り、夏の緑、秋の紅葉、冬の霧氷と四季を通じて雲仙観光のメッカとなっています。

 仁田峠から妙見山頂へロープウェイが運行し、仁田・妙見の展望ラインを形成しています。

 峠へは全長11.3kmのスカイラインが通じ、途中に杉の樹林をぬって、有明海・橘湾の海洋美や九州連山の展望を楽しみながらドライブができます。

 雲仙温泉は普賢岳の南西、絹笠山火山盆地に位置し、雲仙国立の中心をなす温泉郷で、標高727mの地にあります。

 温泉は古湯・新潟・水地獄にわかれ、ここ最近は新潟と水地獄がさかんに活動しています。なお、古湯と新潟の一帯を大地獄と総称して、小地獄と対比させています。小地獄は新潟の南1kmのところにある温泉郷で、湯の量が多く、ひっそりとしていて落ち着いた雰囲気が人気のスポットです。

 古湯は、温泉郷の最北にある旧湯で、その歴史は古く、すでに奈良時代から知られていました。新潟は明治11年(1878年)に開発されたもっとも新しい温泉で、現在はここが温泉郷の中心をなしていて、古湯との間には地獄があります。

 新潟から南に少し離れたところにある小地獄は享保16年(1731年)に開かれたと伝えられる静かな温泉郷です。

 島原から雲仙を経て、小浜温泉に至る観光国道57号線が完備され、山あいをぬって美しい曲線を見せています。

 雲仙温泉から千々石へ抜ける途中、加持川にかかる滝が稚児落としの滝です。

満明寺が隆盛を極めたころ、白雀の乱が起こり、全山の僧たちが2派に分かれて争ったことがありました。当時この争いは、この地の領主であった有馬氏が兵を派遣してようやく鎮まりましたが、争いの原因となった稚児を捕らえて、ことごとくこの滝つぼに落としたというのが名前の由来です。

 温泉町の西、絹笠山の麓にある池で、周囲に茂る松が美しいのが白雲の池です。ボートに乗ることもでき、憩いの場所となっています。

 絹笠山は湯町の西にある、小高い山で遊歩道が通じていて20分ほどで頂上につきます。頂上には温泉岳測候所の観測所があります。橘湾をへだてて、西の長崎市から、北に遠く銀色に輝く西海橋を望み、ここを訪れた外国人が落陽の美しさをたたえて、「サンセット・ヒル」と名付けたといいます。

 温泉神社は古湯の近くにある神社です。創建時代ははっきりしませんが、すでに大宝元年(701年)に、満明寺が別当寺として当社の社務にあたったと記録にあるところから、かなり古いものであることがわかります。昔から九州全土の祈願所として有名でしたが、多くの塔坊は戦乱により焼失しました。寛永年間には高力氏の祈願所となったこともあります。温泉神社の名前は大正4年に改められたものです。

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