仏像

意外に身近!?実は仏教用語だった言葉達・日常語と化した言葉編

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本を読んだり、インターネットを見たり、時には誰かと会話をしたり。人は言葉を使います。何気なく使っている言葉が1000年も前の若者言葉が発祥だった、ということもあります。意外な起源を持つ場合があるのをご存知でしょうか?

【しゃもじ】
平安時代に女房たちが使っていた言葉が元。当時は語尾に「〜もじ」と付けるのが流行っており、それが浸透して今も使われているわけです。

【ごきぶり】
御器かぶりが語源(一説)。御器とは食器で、かぶりは「かじる」と言う意味。「食器をかじる虫」と言う意味があります。

このように、今尚使われる言葉には古く、そして面白い語源があるわけです。仏教由来の言葉もいくつも存在します。

意外な仏教由来の言葉

【絶対】
意味としては「必ず」と同じような意味で使われたり、他の何者にも制限を受けることのないことを意味しますね。仏教では「絶待」と書き「ぜつだい」と読みます。意味は善と悪、美や醜といったあらゆる対比、観念を超越した立場、状態のこと。

【皮肉】
これは仏の道の表面を撫でただけで、真髄まで達していないという意味です。禅宗の祖、達磨大使は弟子たちが何をどう悟ったのかを聞き出し、あまり深く悟っていなかった弟子たちに対し「お前は皮を手に入れたに過ぎない」「肉を手に入れたに過ぎない」と言ったとされます。

【退屈】
暇という意味でつかわれますが、本来の意味は修行に耐え切れずに逃げ出してしまうこと。それほどに、悟りを目指す仏道の修行は厳しい物なのです。

【機嫌】
元の字は譏嫌。「譏」は「そしる」、つまり悪口を言うという意味。譏嫌の意味は「人が嫌がること」です。現在では「機嫌いいねえ」など、「今の気持ち」として使われていますね。字が変わったのは、「機」という文字に心の状態などの意味がある為です。それを自分の心で探ることから、「機嫌」と書くようになりました。

【迷惑】
これも実は仏教用語。迷い、惑うの文字通り、「仏道が分かりませんです」「俺ちゃんと理解しているのかなあ」という状態を表す言葉でした。

【うろうろ】
うろうろするという言葉、実は感じがありました。それは有漏。漏(ろ)は煩悩のことです。つまり、有漏とは煩悩に悩まされた人物という意味です。意味もなく歩き回る人や様子を「うろうろする」と表現するのは、煩悩に翻弄されている様の表現でしょうね。

【とにかく】
漢字では「兎に角」と書きます。「いつの間にか」とか「その話はいったん置いといて」と言う意味で時に使いますね。「とにかく、話を聞け」といった具合に。しかし何故兎(ウサギ)と角?本来の意味は「あり得ない、もしくは間違った物の見方或いは執着などを「兎角」と呼んでいました。「ウサギに角が生えて、亀の毛がフサフサになるようなもの」ということらしいです。フサフサの亀は縁起良さそうですね。この「縁起」も、仏教から生まれた言葉です。しかし、意味は変わっていました。

【工夫】
問答という言葉があります。これは禅宗から生まれた言葉で、師匠と弟子が仏道についてあれやこれやと議論することを言いますが、工夫は問答から更に先を言った段階です。「師匠はああ仰ったが、つまりどういうことだ?ああかな?こうかな?」と座禅を組みながら考えること。これが工夫の語源で、正確には工夫弁道(くふうべんどう)といいます。

【虚仮】
「コケにされた!」と相手を舐めきったり馬鹿にしたりする時に使いますね。元々「虚仮」とは言っていることと心が一致しないこと、真実とは違うことを意味します。虚仮脅しという言葉も、こちらから来ているようです。

お釈迦様絡みだった言葉

【出世】
「あなた、早く出世してくださいよ」「これで俺も出世街道をばく進だ!」と、社会的地位が上がる意味合いで使われる「出世」も仏教由来です。お釈迦様説法の為現世に現れること、または出家することを差します。

【縁起】
「縁起が良い」とか普通に使うこの言葉、実は略語です。正式名称は因縁生起(いんねんしょうき)。「この世の物は、全て原因があり、縁があって色々なことが起こるのだよ。皆、何かしらの縁で繋がっているの」というお釈迦様のありがたいお言葉なのです。

【方便】
サンスクリット名はウパーヤ。目的、つまり悟りに至るまでの方法、道が元の意味です。お釈迦様は色々な弟子などに色々な方法、つまり方便を使って諭したわけですね。本来の方便は『法華経』の中にある『法華七喩』に記されています。色々な方法を使っていたのが、いつからか嘘をついてでも!との意味になってしまいました。

悟り関係だった言葉

【大丈夫】
丈夫というのは健康もしくはちょっとやそっとじゃ壊れない者や状態を示しますが、「美丈夫」というように、成人男性などを指すこともあります。そんな丈夫、実は仏教用語でした。それ即ち、仏の称号の一つであり、いわば菩薩の別名「調御丈夫」。更に「大」をつけた「大丈夫」も仏教用語。意味は同じですので、混乱しなくても大丈夫です。

【無頓着】
「気にしない」が現在の大体の意味。仏教には三毒という言葉があります。悟りの妨げ、害となる心の動きです。そのうちの一つが貪(とん)。またの名を頓着。無頓着とは元々、何の欲も持たないという意味でした。欲がないから気にもならない、ということでしょうか。

【世間】
「いいか、社会人新入生。世間という物はだなあ!」と現代では人間の世界に限って使われる世間も仏教由来でした。人間だけでなく、あらゆる生物による生きる営み、生の移り変わりを意味します。全ての生き物の世間(衆生世間)、その住処も世間(国土世間)、精神や肉体の世間(五陰世間)と、三つの世間が存在。出世剣という言葉もありますが、こちらは生滅の変化を越えた悟りの域を指します。スケール感はすぼまりましたが、人間の世界という意味ではちゃんと残っているでしょう。

【面目】
禅宗の言葉で、真理、真髄を表します。現在では「面目が立たない」と言ったように、世間体を気にするような意味合いで使われますが、面、つまり顔と目を重要な器官として認識。仏教の心理もまた同じように重要であり、尊いとの考えのようです。

【成仏】
「迷わず成仏して!」と、極楽往生やあの世へ行くイメージのあるこの言葉。仏教では文字通り仏と成る意味を持ちます。「仏さんになる」との言葉自体、主に刑事ドラマなどの影響で死を連想しますが、本来の意味は悟りを開くことです。

【玄関】
建物の出入り口ですね。「そんな大仰なものだったの!?」そうです。元はサンスクリット語のジャーナを訳した言葉。意味は禅です。座禅を組む、あの禅ですね。禅那(ぜんな)という当て字がありましたが、意味と照らし合わせて「玄」の字を使うようになりました。禅の目的は、心を静かに落ち着かせ、あらゆる迷い、煩悩から解き放たれて真理を悟ること。「関」は関所を意味します。つまるところ、「悟る為に通る関所」でした。当初は禅寺にしかなかったようですが、「何かいい感じ」と皆玄関を付けるようになり、今に至ります。

まとめ

意外な言葉に意外な意味があったものです。関係性も面白いですね。
日常生活だけでなく、食べ物やことわざなど、仏教生まれの言葉はまだまだあります。

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