世界史

ナポレオンはなぜ大陸支配に失敗した?

2017-09-01

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フランス革命にてルイ16世とマリー・アントワネットを断頭台へと送ったジャコパン派は、そのまま政権に居座り、恐怖政治を続けていました。しかしロベスピエールらは反対派により捉えられ、やはり断頭台へと送られることになります。

問題はその後でした。王家による統治を否定し、国民が選んだはずの革命家をも否定したフランス国民は、「自由と平等」を体現する次なる象徴を欲していました。

王家を倒した革命の火を広げさせまいと、周辺諸国はフランスに休む間も与えず侵略をしかけてきます。

社会不安を改善し、自分たちの革命の正当性のシンボルとなるべき、強さと勇敢さを併せ持つ国民的ヒーローはどこにいるのでしょう?

「革命の申し子」ナポレオン=ポナバルトは、フランス国民に支持されるべくして、混乱するフランスに彗星の如く現れたのです。

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実力が物言う革命の申し子、ナポレオン

ナポレオン=ポナバルトはコルシカ島生まれ。フランス語よりもイタリア語を流暢に話す彼の実家は貧しい貴族階級でした。

そのナポレオンが率いた鎮圧部隊が、1795年に起こった王党派の反乱をたった一晩で制圧してみせたことで、軍事の天才として社交界の評判となっていたその凄腕が、国民の間にも鳴り響くこととなりました。

そして同じ年に制定された新憲法を元に5人の総裁が分権統治をする総裁政府の国内軍司令官に任命されると、ナポレオンは兵を率いてオーストラリア攻略作戦の一環であるイタリア方面に遠征をします。

オーストリアの圧制に苦しんできたイタリアの民から、「古びたシステムを壊す革命軍」として歓迎されたナポレオン軍は、現地から熱烈な支援を受けながら快進撃し、オーストリア軍を撃破しました。「革命の申し子」「フランスの英雄」としてのナポレオンの勇姿は、フランスのみならず周辺諸国の民衆にまで深く刻まれることとなったのです。

「エジプト4000年の歴史が諸君を見おろしている」続いて行われたイギリス侵攻作戦にて、司令官として赴いたエジプト遠征では、「ロゼッタ・ストーン」という考古学的大発見を遂げたりしたのですが、軍神ナポレオンが不在の間に、イギリス・ロシア・オーストリアがフランス本国に侵攻を開始しました。

ナポレオンはなぜクーデターを起こしたか?

内憂外患で弱体化しきったフランス総裁政府に、その守護神であったナポレオンがクーデターを仕掛けたのは1799年でした。この「ブリュメール18日のクーデター」にてフランス革命は終結したとされています。

ナポレオン主導で打ちたてられた新総領政府にて第一統領という独裁者の地位を得たナポレオンは、宿敵イギリスと「アミアンの和約」を結び、フランス銀行を設立して国内財政の健全化を担わせ、同じく敵対していたローマ=カトリック教会と和解した後、世界中の民法の原典ともなる「ナポレオン法典」を発令しました。

「私有財産の不可侵」「契約の自由」「家族の尊重」「法の前の平等」といった、全2281条に及ぶ条項は全て、フランス革命によって民衆が求めていた彼らの権利を法的に守護するためのものでした。

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ナポレオンの大陸支配はなぜ失敗した?

1804年、国民投票で選ばれた皇帝ナポレオンが即位しました。絶対的な権力を握った強い皇帝の登場に周辺諸国はイギリスを中心に「第3回対仏大同盟」を締結し、ますます軍事的圧力をかけます。

ヨーロッパ連合vsナポレオン1世の様相を呈した戦争は、1805年のトラファルガー沖にてフランス・スペイン連合艦隊がイギリス艦隊に敗退したものの、アウステルリッツの三帝会戦にてオーストリア・ロシア連合軍に勝利、プロイセン・ロシア連合軍にも勝利を重ね、ヨーロッパ広く領土を広げることに成功しました。

しかし、「フランス革命」を知っていたヨーロッパの民衆は、独裁者を許しません。ナポレオン帝国に対する反乱が各地で火を噴き、その独立運動を制圧するナポレオン軍の姿に民衆はさらに猛反発し、荒れる帝国の治安に呼応するように周辺諸国がさまざまな条約を破棄して、ナポレオン帝国を外側から苦しめます。

ついに1812年、ロシア遠征を決断したナポレオン軍でしたが、ロシア領内深くまでナポレオン軍をおびき寄せ寒波と飢餓で兵たちを潰す作戦にはまってしまい、60万の軍勢はたった2万5千まで蹴散らされてしまったのです。

1814年、敗走を重ねたナポレオン帝国は、ロシア・プロイセン・オーストラリア連合軍によってパリを制圧され、ナポレオンは皇帝の座から失墜し、地中海のエルバ島へ流罪となりました。

ナポレオン復活!しかし・・・

ナポレオンの後に政権についたルイ18世でしたが、王政などフランス国民が許すはずも無く、エルバ島を脱出したナポレオンがパリに帰還した際には国民は「フランスの栄光の再来!」と大歓迎し、再び彼を皇帝の座に据えたのです。

1815年、イギリス軍司令部の置かれたワーテルローにナポレオン軍は攻め込みました。イギリス・オランダ・プロイセンの連合軍相手に戦うも、あっさりと敗北を帰したナポレオンに、往来の輝きはもうありませんでした。

南大西洋のセントヘレナ島に流罪となり、その地で51歳まで生きたそうです。

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