西洋画

フェルメール最高傑作「真珠の耳飾りの少女」にまつわる謎に迫る

2017-10-24

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フェルメールという画家をご存知でしょうか。美術好きの方であれば、知らない方はいらっしゃらないと思いますが、「真珠の耳飾りの少女」と聞いた方がピンと来る方が多いかもしれません。

生涯において、殆ど作品を残してこなかったと言われているフェルメールの数少ない、最高傑作のひとつが、「真珠の耳飾りの少女」です。ラピスラズリを使用して鮮明な青を表現したターバンが印象的なこの作品は、世紀を超えて今もなお多くの人たちに愛されている名作です。

さて、そんな「真珠の耳飾りの少女」ですが、フェルメールの死後、彼の評価が高まるにつれて注目された作品となっています。

この作品には多くの逸話が残されているほか、映画や小説のモチーフにもなるなど、美術関係者だけでなく社会的にも多大な影響力を持っています。今回、ここではフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に関する、さまざまなことを紹介していきましょう。

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真珠という題名だが真珠じゃない?

17世紀を代表するオランダの画家であるフェルメールが描いた、渾身の一作、「真珠の耳飾りの少女」。この作品のタイトルは、ほかに「ターバンの少女」などがあるようですが、通説としては「真珠の耳飾りの少女」が最も有名です。

耳に飾られている真珠は大きく、光の反射で眩いまでに輝いている、さぞかし高級なものに違いないという演出です。

しかし、一説によるとこの「真珠の耳飾りの少女」の少女が身につけているものは、なんと真珠では無いという定説があります。普通に鑑賞した感じでは、明らかに真珠のように見えるのですが、この絵画の描かれた歴史的背景を考えると、天然真珠である可能性が大変低いという意見があるのです。

歴史的背景的に偽物?

フェルメールが生涯制作したとされている作品の総数は、40数枚といわれています。注文を受けてから作品を描くというスタイルをとっていたこともあり、少ない時は1年で1作程度しか制作しなかったとまでいわれています。

しかしながら、その数も曖昧といわれており、本当はもっと膨大な数を描いているのではないかとも思われていますが、現存していないために真実は分かりません。

その分、非常に高額な価格であっただろうと推測されますが、フェルメールは大家族であったことも有名な話です。

妻と11人といった子どもを養っていたこともあり、贅沢な生活をすることなどできなかったはず、というのです。「真珠の耳飾りの少女」に関しては、フェルメールの娘がモデルであったのではないかと言われていますが、逆にこの貧しさの中で天然の真珠を購入できる財力があったとは想像し難いというのが説なのです。

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そもそもこんなに大きな真珠は無い

そして、もうひとつの説としては、天然真珠でこのサイズのものは存在しない…という意見です。そのため、素晴らしい天然真珠という説よりは、ガラス製真珠風耳飾りだったのではないだろうか、という説の方が有力視されているのです。

さらに、「真珠の耳飾りの少女」のこの真珠の真偽を確かめるために、科学的なアプローチを用いて検証がなされています。科学誌のひとつ、「New Scientist」に掲載された論文で、本物真珠とそれ以外の球体の物体を反射させてその比較で、絵画の反射具合と照らし合わせた実験を行いました。

結果的に、天然の真珠に関してはこのような反射の仕方は稀であり、結果的にこの「真珠の耳飾りの少女」が身につけている真珠は、ただのガラス製の模倣品だろうということが決定づけられたのです。

よく見ると形も不思議?

人間は、先に先入観があると、それが本物で無かったとしても本物として認識するようになっているそうです。例えば、見た目や味わいが似ている魚の切り身を一方の名前で提供した場合、漁業関係者で無い限りは気がつかずに、それと思って食することでしょう。

このように、「真珠の耳飾りの少女」に関しても真珠というキーワードで紹介されているからこそ、我々も彼女が豪華な真珠をつけているという、見方になってしまったのです。

また、この「真珠の耳飾りの少女」の身につけている耳たぶをよく見ていると、真珠が球形ではなく、ティアドロップ型というひょうたんのような形であることに気がつくはずです。

ひょうたんの形をしている天然真珠はほぼ存在せず、加工技術も当時では無かったと思われます。さらに、フェルメールの他の作品に関しても、このティアドロップ型の耳飾りが存在していることが分かります。

あまり、作品についてあら探しをするのも良いものではありませんが、こういった部分から「真珠の耳飾りの少女」が描かれた背景や、時代考察を行うことこそが、美術の楽しみのひとつになっているのかもしれません。

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真珠と名付けられたキッカケは?

さて、真珠では無いのであれば、なぜ、「真珠の耳飾りの少女」などというネーミングが付けられることになったのでしょうか。

その理由のひとつとしては、この絵画を所蔵しているマウリッツハイス美術館が「真珠の耳飾りの少女」と名付けていたことや、映画のモチーフなどになったことで、一気に広まっていったと考えられています。

実は、「真珠の耳飾りの少女」という名前で呼ばれるようになったのは、1990年代のことであり、それ以前は冒頭で紹介した「ターバンの少女」として扱われていたとのことです。

「真珠の耳飾りの少女」の小説とは?

「真珠の耳飾りの少女」が大きな話題となったのは、小説や映画のモチーフとなったことが大きな起点といわれています。小説家トレイシー・シュヴァリエという人物が、1999年に執筆した小説がこの「真珠の耳飾りの少女」をモチーフとしたものでした。この小説は大ヒットを飛ばし、なんと映画化までもされることとなりました。

この小説を執筆する至った経緯としては、この「真珠の耳飾りの少女」を見た時に、フェルメールという人物がとても気になったからだそうです。一体、この少女とフェルメールの間には何があったのか…。

そして、そこからフェルメールという人物を探っていっても謎が深く、結果的に答えにはたどり着けないままでした。しかし、ある意味では正解の無い絵画ということで、この「真珠の耳飾りの少女」をモチーフに自由に想像ができるだろうと考えたのです。

「真珠の耳飾りの少女」の内容

映画化された「真珠の耳飾りの少女」は、非常に高い評価を獲得したことでも知られています。

光の画家といわれていたフェルメールのアトリエでの人生を描いた作品となっており、芸術を理解できていない妻と「真珠の耳飾りの少女」のモデルとなったとされる女性との、フェルメールへの恋心が描かれた独特な発想の映画です。

ちなみに、映画ではこの「真珠の耳飾りの少女」のモデルはフェルメール家に下働きにきた女性、ということになっています。主演女優がスカーレットヨハンソンであったことも、大きな話題となりました。

謎多き名画

「真珠の耳飾りの少女」は、化学や時代考察が進歩した今の時代であっても、分からないことが多岐に渡る謎の作品です。

今後も、さまざまな美術家たちが想像をかき立て、この「真珠の耳飾りの少女」をモチーフに多くの素晴らしい作品を描き続けていくことでしょう。

フェルメールについて

「真珠の耳飾りの少女」を描いた画家である、ヨハネス・フェルメールはオランダ出身の画家でした。デルフトという、陶器で大変有名な町で生まれており、有名画家には珍しくあまり外遊することがなく、生まれ育ったこの土地で殆どの人生を過ごしました。さらに、他の画家と違うところが非常に生涯における作品数が少なかったことです。

父親が大きな旅館を営んでいたこと、さらには美術商などを営んでいたことから、大変裕福な家庭に育ったことも関係しているかもしれません。そのため、頼まれたものしか制作していないというスタイルを取っており、少ない時には1年に2作品ほどしか書かないような、独特なスタイルだったといわれています。

さぞかし、お金を持っていたのであろうと思われていますが、フェルメールは結婚をしてから11人の子どもを持っていたこともあり、貧しい人生を過ごしていたともいわれています。

結果的に、40代前半という早さでこの世を去ってしまうのですが、生涯描ききった作品は45点しかないと言われています。そのうちの、35点は今のところ現存しているそうですが、そのフェルメールの残した貴重な作品のひとつが、この「真珠の耳飾りの少女」なのです。

真珠の耳飾りの少女の影響

フェルメールの描いた、「真珠の耳飾りの少女」ですが、死後フェルメールの名声が確立されてから以降、美術業界だけではなく、多くの人たちの人生に影響を与えることとなります。かの有名な作品の「モナリザ」に例えられており、「北のモナリザ」とまでいわれるほどに素晴らしい作品であると世界中から認められているのです。

さらに、この「真珠の耳飾りの少女」をモチーフとしたハリウッド映画も製作されるなど、1枚の絵がどれだけ世の中に大きな影響を与えていたことが分かります。真珠の耳飾りの少女に限らず、フェルメールの絵画は大変現存数が少ないこともあり、非常に高値で取引されています。

その殆どの作品が、価格がつかない作品である、といわれており「真珠の耳飾りの少女」に関しては、オランダのデン・ハーグという場所にある、マウリッツハイス美術館に現在は大切に所蔵されています。

真珠の耳飾りの少女の描かれた時期

真珠の耳飾りの少女に関しては、フェルメールが丁度33歳頃の作品ではないか、という推察が濃厚とされています。しかしながら、構図的にとてもシンプルであることや、フェルメールの娘であるマーリアをモデルにしているといわれていることからも、さまざまな制作時期が議論の的となっています。

また、この絵画にうつっている少女の巻いているターバン自体もオランダで流行っていたわけでもなく、全く時代が分からないという不思議な作品といわれています。もちろん、誰をモチーフにしたかも未だに分かっておらず、彼の妻であったのか、恋人であったのか、ただの想像であったのかも不明です。

しかし、娘マーリアの説が決定的でないことのひとつに、フェルメール自体が家族の自画像などを描いていなかったというとも関係しています。当時、フェルメールがこの世を去ったのは貧困に苦しんでおり、破産をして死去してしまったと言われているので、あまり高名な画家では無かったといわれています。

注文画家である以上、一部の人間には評価されていたかもしれませんが、彼という人間の伝記などが残っておらず、描かれた時期が分かるには、大きな発見が今後無い限りは解けることはないのです。

肖像画ではない?

フェルメールの描いた「真珠の耳飾りの少女」は、シンプルに説明をすると、暗闇をバックにして青いターバンを巻いた、美しい少女がこちらを振り向いているという作品となります。しかし、専門店に鑑賞をするとなると、こちらは肖像画とは言わずにトローニーという絵画ジャンルのひとつとなります。

トローニーというものは、自画像のようにその対象者の特徴を全面に押し出したり、地位や名誉、さらにはその人物の存在をアピールするようなものではありません。トローニーに関しては、自画像とは全く逆の発想から生み出される作品であり、モデルの有無は問わず、いたとしてもそれをモチーフに描いたという比較的画家自身が自由に創作できる、フリースタイルのようなジャンルとなっています。

逆に、このことがこの作品の謎を深めているところでもあり、架空なのか知り合いなのか、未だに分からない部分となっているのです。

真珠の耳飾りの少女の見所とは?

「真珠の耳飾りの少女」を、どのように注目して鑑賞すると良いのでしょうか。まず、多くタイトルにもあるように、真珠の耳飾りに注目してみると面白い見方をすることができます。実際、タイトルの「真珠の耳飾りの少女」といわれるほど、耳飾りが主張している作品では無いというところがユニークなポイントとなっています。

ただ、この作品を見る限りは、大変大きな真珠をしていることが分かります。しっかりとした輪郭でくくられているわけではなく、フェルメールが得意としていた光の反射によってその存在感をアピールしているところがポイントとなっています。

少女の美しい目や唇に目が行きがちではありますが、この真珠の存在が全体のバランスをしっかりとまとめていることがわかって鑑賞すると、よりこの絵画の深さを楽しむことができます。

唇の謎

この作品が描かれたのは、一部の意見では1665年と言われていますが、リップを塗ったような深みのある赤色の使い方や下唇の光の反射具合など、非常に現代的な印象を持ちます。また、口を少しだけ開いていることからも、何か言いたげであるのか、さらには微笑んでいるのかなど、そういった独創的な作品となっているところがポイントです。ちなみに、この口元の微笑みが元となって、モナリザという言葉で比喩されているといわれています。

ターバンについて

当時、ヨーロッパでターバンは流行していた、ということでは無いといわれています。しかしながら、当時のトルコとヨーロッパの関係は独特なものがあり、ヨーロッパは異国情緒を取り入れるために、こういった衣装を身にまとうこともあったといわれています。

ターバンというファッションもそのうちの一つであり、フェルメールが持っている異国への憧れなどが詰め込まれているのではないかと思われます。さらに、この女性が巻いているターバンの青色はかなり鮮明な青色となっていますが、西アジア原産であるラピスラズリが原料となった絵の具で描かれています。

当時は非常に高額な材料だったともいわれており、どのようにフェルメールがこの原料を手に入れていのかなど、この作品にはさまざまな背景を探りたくなる魅力も詰め込まれています。

永遠に謎な作品になるのか?

「真珠の耳飾りの少女」について、ここまでお伝えしてきました。背景の黒、ターバンの謎、さらにはこのモチーフとなった女性は誰なのか。「真珠の耳飾りの少女」を知れば知るほど、なぞが深まっていくというのが、この作品の最大の魅力です。ぜひ、一度ご自分の目でこの絵画を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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