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護法神で福徳神、毘沙門天の像と侮りがたい人脈・中編|仏教

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単なる武装した七福神の一員でないことの証に、侮りがたい人脈を持つ、福徳と戦闘の神毘沙門天。続いては人間関係に重きを置いてみます。

四天王のリーダー

多聞天と言う名前で四天王のリーダーを務めてもいます。
片手に宝塔を持っているのは独尊時と同じ。クベーラが北を守っていたため、須弥山の北を継続して守護しています。仲間は皆龍や鬼を眷属として従える強豪ぞろいです。四天王像は基本的に邪鬼を踏んでいます。

上司は元雷神

四天王には上司に当たる存在がいますが、それはクベーラ時代、調子づいた異母兄弟のラーヴァナにより敗北した雷神のインドラです。
結構負け戦の多い神様ではあります。しかし一時は英雄として崇められていた時期もあり仏教入りした後も阿修羅との戦闘の時「アリさん踏んじゃダメ!」と慈悲の心を見せた懐深い所もあるのです。仏教入りした後の名前は帝釈天といいます。

戦国武将だけじゃない?聖人君子とも関係あり・玄奘三蔵編

中国に伝わる頃から戦闘神として崇められて、戦国武将にも崇拝されていたわけですが、関係がある人物は何もそんな人たちだけじゃありませんでした。
『西遊記』でも知られる玄奘三蔵法師、並びに日本で初の憲法を作った聖徳太子ともかかわりはあります。
両方とも一見戦とは無関係ですが、意外な関係をお持ちでした。共に守る為、平和の為に戦ったという共通点があります。まず三蔵様ですが、彼が生きたのは唐の玄宗皇帝の時代でした。西域と戦を行っていたのですが、的に包囲されてしまいます。
そこで助けを乞うた相手が三蔵法師でした。「戦なんかするなよ」と思ったかは不明ですが、毘沙門天に祈りを捧げます。すると、毘沙門天が大量のネズミを従えてやってきました。ネズミは、敵の弓を噛み切ったというのです。このエピソードが元で、中国の毘沙門天像はネズミを持つようになりました。

戦国武将だけじゃない?聖人君子とも関係あり・聖徳太子編

聖徳太子も似たような伝説を持ちます。仏教が入りたての時代、受け入れるか突っぱねるかでもめた挙げ句、戦にまで発展しました。
仏教に系統していた聖徳太子は天に祈りました。寅年、寅の日、寅の刻、毘沙門天が現れて仏教排斥派を倒す方法を授けたとのことです。寅年で寅の日で寅の刻だったため、日本で毘沙門天と言えば虎、と言うことになりました。
このとき聖徳太子が願ったお寺、朝護孫子寺ではタイガースファンが必勝祈願に来るそうです。

建国にも関わっていた

仏教と共に日本へ渡る途中、毘沙門天はクスターナなる土地でやたら人気が出ました。
クスターナと言う国です。ここの王様にはなかなか子供ができませんでした。毘沙門天のお堂があったので、「子供を下さい」と祈った所、「しょうがないな」とばかりに祀られていた毘沙門天像の額がパカッと割れました。中からは玉のような王子。仏教版桃太郎です。王様は「怖ぇ!」とならず喜んでその子を王子として連れ帰ります。
しかしこの赤ん坊、毘沙門天の授かりものだけあって結構頑固だったのか、中々お乳を飲みません。王様はまたもお堂に相談に行きます。色々と大丈夫なんでしょうか、この人。ともかく、またも祈ると今度は地面が膨らみ、お乳のような物が出ました。大地の恵みにより王子はすくすく成長したそうです。実はこの土地、かつての毘沙門天の土地で、この王様はその子孫だとの伝説がありました。
これが原因なのか、この土地で毘沙門天信仰がやたらはやったそうです。ちなみに現在クスターナと言う国はなく、今はホータンと言う名前になっています。

上杉謙信が旗に掲げた刀八毘沙門天

戦国武将にも人気が高く因縁深いのが毘沙門天です。
ことに有名なのが上杉謙信。何せ自称生まれ変わりですから。多くの戦国武将が信仰し、上杉謙信も勿論祀ったのがこの刀八毘沙門天です。姿はと言えばはっきり言って異形。腕が十本もしくは十日本あるのが基本とされますし、顔も三つか四つあります。「どこも隙がないぞゴラァ!」ということでしょうか。名前の通り、刀を八本持っていますが、完全武闘派というわけでもなく、大多数が如来を頭部に頂く像容となります。
異形系統でも、一般的な毘沙門天と信仰上の役割は同じです。寄り武勇無双のイメージが増した感じでしょうか。上杉謙信はこの刀八毘沙門天を自軍の旗印に掲げていました。

まだあった異様な像容、兜跋毘沙門天

毘沙門天像のちょっと変わった像容として先に刀八毘沙門天を挙げましたが、他にも兜跋毘沙門天と言う変わったものがあります。
これの何が変わっているかと言うと、足元です。邪鬼を踏んだりするのが一般的ですが、こちらは二名の鬼女、大地の女神により捧げるように支えられています。兜跋(トゥルファン)なる場所で現れたのでこの名前になったようですが、普通にびっくりしますね、このような現れ方をしたら。

自分同士で背中合わせ?双身毘沙門天

異形型の毘沙門天像として、双身毘沙門天も挙げられます。背中合わせに毘沙門天がくっついている像容なのですが、何故にこのような姿になったのか、これと言った定説はないようです。

インド時代に由来あり?チベットでマングースを持つ理由

チベットの毘沙門天(もしくは多聞天)は手にマングースを持っています。
これはマングースが財宝を吐き出すためなんですが、こうした神話が生まれた背景には、財宝神クベーラ時代の神話が関係していました。実は、クベーラとしての像の中にもマングースを持つものがあるのです。
その昔、インドの神話にはナーガという蛇の神様がいました。このナーガというのは一族名です。住んでいるのは海の底。ある時、洪水が起きて、多くの財宝が海中に没しました。「わーい、これ皆もらっていいんだね?海に落ちたんだから、もうワシらの物だよね?」とネコババを決め込みます。「勝手なことをするな」と宝に未練たらたらの神々でしたが、ナーガには天候を操る力があるので強く言えませんでした。そんな中、乳海攪拌という一大事業が起こります。これはインド神話における創世の物語でもあり、善側と悪側の神々が仲良く不老不死の薬、アムリタを作るという物でした。この時ナーガもアムリタ作りに参加したので、「チャンス!」とばかりに財宝の回収に成功します。「もうナーガに取られないように見張っといて」ということで財宝を守護する役に着いたのがクベーラというわけです。「え?ワシらのでしょ?」「海に落ちただけなの!もう回収したからこっちの物だよ」と一触即発。誰の物か、所有権はきっちりすべきです。お宝が欲しいから争っているわけではありません。そんなわけで、蛇の神ナーガとクベーラがにらみ合いを開始します。

さてここで少し話題を変えて。蛇と戦う動物と言えば、思い浮かぶ物がありませんか?そう、沖縄でハブ退治を行うマングースです。マングースが蛇を捕まえて食べる様を見た古代人、ピーンと来て「毘沙門天のお使いと言うことにしよう」となりました。

まとめ

お国柄等の違いが分かって面白いですね。毘沙門天も手広くやっているだけあって色々な縁があるものです。そこに感慨を覚えつつ、次は日本の有名毘沙門天寺と眷属について見ていきます。

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