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世界遺産に指定された古代ロマンあふれる宗像大社

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宗像大社は九州にある古式ゆかしい神社。2017年に「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界遺産に指定されました。
中心となる沖ノ島には、今なお守られている厳しい禁忌があります。そのしきたりに守られたが故、古代につながる数多くの貴重な遺跡が、沖ノ島には溢れているのです。

「神宿る島」のある宗像大社

宗像大社は福岡県宗像市にある神社。海に浮かぶ島にある沖津宮・中津宮と、陸にある辺津宮の3つの宮の総称です。2017年に沖津宮のある沖ノ島を中心として、文化遺産として世界遺産に登録され話題になりました。

宗像大社のご祭神は、田心姫神(タゴリヒメノカミ)・湍津姫神(タギツヒメノカミ)・市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)の宗像神(ムナカタノカミ)。天照大神と素戔嗚尊の誓(うけい)で生まれた3柱の神様です。

この3柱の女神たちが天照大神に命じられ、朝鮮半島との航海路「海北道中」を守るために降ったのが宗像大社と伝えられています。宗像神は「道主貴(ミチヌシノムチ・チヌシノムチ)」とも呼ばれ、全ての道を司る格別に尊い神様です。「貴(ムチ)」は非常に高貴な神様につけられる尊称で、天照大神の別称「大日靈貴(オオヒルメノムチ)」と大国主命の別称「大己貴(オオナムチ)」以外には存在しません。

宗像大社は3宮全てを参詣できない

辺津宮(へつのみや)は宗像大社の3つの宮で最も規模が大きな宮。この辺津宮だけを指して宗像大社と呼ぶこともあるようです。祀られている市杵島姫神は、狭依毘売命(サヨリヒメノミコト)という別名を持ち三女神の第三子とされています。ただし、宗像神の出生の順番は、記紀で記述が異なっており、現在でも確定されていません。

辺津宮へは福岡の天神から西鉄バスを利用して約60分。電車とバスを乗り継いで行くこともできます。辺津宮の周辺には、海浜公園や道の駅・資料館などがあり、半日かけてゆっくり見るのがおすすめです。中津宮があるのは陸から沖合11キロメートルのところに浮かぶ、福岡県で最大の島である大島。辺津宮の近くにある神湊(こうのみなと)から、フェリーや渡船で渡ります。ご祭神の湍津姫命は宗像神の中で2番目に生まれたとされる神様です。

宗像神の中で最初に生まれたとされる、田心姫神が祀られた沖津宮のあるのが、世界遺産の中心を担う沖ノ島。辺津宮のある神湊から約60キロメートル、拠点となる大島からも約49キロメートル離れた、玄界灘の絶海のど真ん中にある孤島です。交通の便が悪いだけではなく、10日ごとに交代する1人の神職以外は、島に入ることを禁じられた神域となっています。島に上陸できるのは年に1回、しかも選ばれた200名前後の男性のみ。上陸する前には全裸で海に入り禊を行うと言った徹底ぶりです。つまり宗像大社の3宮のうち、沖津宮だけは通常参拝できないのです。

大島の遥拝所から遠く沖津宮に祈りを捧げる

沖津宮のある沖ノ島は、島全体がご神体とされ、一般の立ち入りは禁じられています。それどころか、島からは何一つ持ち出すことも固く禁じられ、もし島に渡ったとしても島で見たことを口にしてはならないなど、厳格な禁忌が現在でも守られている神秘の島です。

年に1回の沖津宮現地大祭に応募する以外に沖津宮を拝む方法が、中津宮のある大島に用意されています。島の北側に建てられた沖津島遥拝所がその場所。大島港からバスで約10分、歩いて約30分のところにあり、よく晴れて空気が澄み渡った日には、水平線に浮かぶ沖ノ島の姿も見られるようです。

また宗像市にある辺津宮の境内には、第二宮(ていにぐう)・第三宮(ていさんぐう)の2つの宮があり、それぞれに沖津宮の田心姫神・中津宮の田霧姫神が祀られているので、辺津宮さえ訪れれば、すべての宗像神をお参りすることも可能です。

縄文時代の痕跡の残る謎多き島

厳格な禁忌を1600年以上にわたり守り続けてきたことで、沖津宮と沖ノ島には膨大な数の遺跡や遺物が残されていました。この貴重な出土品が世界遺産登録の理由のひとつです。1954年から72年にかけて3度にわたり行われた遺跡調査により、数多くの貴重な出土品が発見されました。そのほとんどが国宝に指定され、辺津宮の境内にある神宝館に収められています。

遺跡調査で分かったことは、沖津宮にあった信仰の遺跡だけではありません。もっと古い縄文時代のこともわかってきました。朝鮮半島と九州大陸の間に位置する沖ノ島には、当時アザラシが生息しており、それを狩猟する人々が渡ってきていた痕跡が見つかったのです。アザラシの骨が捨てられた場所や、縄文時代の土器の破片や石器などが、数多く発見されました。どうやらこの時代には玄界灘を挟んだ両岸一帯に、一つの文明圏があったのではないかと考えられています。

宗像大社のルーツを示す古代祭祀の遺跡

最も大きな発見だったのは、古代の祭祀の痕跡がほぼ完全な状態で残っていたこと。何一つ持ち出すことが禁じられていたからこその恩恵です。沖津宮の奥にある巨大な岩の上や周辺で、さらに岩を積み上げたり石を並べたりした遺跡は、沖ノ島で確かに祭祀が行われていたことを示唆しています。

さらに驚かされたのは、装身具や馬具・石製模造品など、数多くの奉納品と思われる品が出土したこと。その数はなんと8万点に上りました。残っていた数の多さにも驚かされますが、古代の遺跡でこれだけの宝飾品が、盗掘されずにそのまま残っていたという事実も驚きです。それほど沖ノ島は神聖視され、盗賊すら近づくことをためらうほどだったことを表しています。

この発掘調査で見つかった遺跡や出土品によって、沖ノ島には岩座を使った古代祭祀のあったことがわかりました。同時に発掘された出土品の質の高さから、最初の主体が国家であったこともわかっています。出土品の年代特定によると、だいたい4世紀ごろにはこの沖ノ島で国家祭祀が行われていたようです。以後600年にわたり沖ノ島の信仰は守られ、社殿が整えられるようになって、現在まで続く宗像大社が誕生します。

貴の尊称を与えられた宗像神

宗像神は特に尊い神様のみに与えられる「貴」の尊称を別称に持つ神様です。国家が大切にした神社は他にもありますが、道主貴と呼ばれた宗像大社はさらに別格の扱いと言えるでしょう。8万点にも及ぶ奉納品の数々が、それを物語っています。

沖ノ島に祀られているのは田心姫神。別名を田霧姫命(多紀理?売命=タキリビメノミコト)と言います。宗像神の中で最初に生まれたとされる神様で、次に生まれたのが湍津姫神(多岐都比売命)、最後に市杵島姫神(狭依毘売=サヨリヒメノミコト)です。あとの二人の生まれた順番は諸説ありますが、田心姫神は最初に生まれたと一致しています。宗像大社が沖ノ島ありきであったことが、この点からもうかがえます。

宗像神は全ての道を司る神様で、宗像大社では航海の神様として特に有名です。当時の国家にとって、高度な文化や文明をもたらす大陸=朝鮮半島との交易=海路が、いかに重要であったかを物語っています。宗像神もそれぞれの名前を見てみると、沖ノ島周辺に発生する「霧」と「激(たぎ)津(つ)=激しい波」を「斎き」祀ると考えられ、沖ノ島を祀るために生まれた神様のような構成です。

実はアザラシ狩猟の痕跡の見られた縄文時代と、国家あげての古代祭祀の遺跡の間には、弥生時代の遺跡が発掘されても良いのですが、沖ノ島からは弥生時代の遺物は一つも発見されませんでした。弥生時代には沖ノ島へ誰も来なかったと考えるのは難しく、後から入ってきた宗像神を引き連れた勢力(大和朝廷)が、それ以前の祭祀の痕跡をすべて消し去ったのではと考える説も出ています。

8万点以上の国宝が並ぶ神宝館

沖ノ島で発見された8万点以上の出土品は、辺津宮の神宝館に収められています。
すべてを一度に公開することは難しいため、定期的に展示物を入れ替えながら、常時一般にも公開中です。古代祭祀が始まったのは1600年前ですが、沖ノ島での歴史縄文時代にまで遡ります。
玄界灘の荒波の中で育まれた、沖ノ島でのアザラシ猟やそのあと始まったであろう原始的な祭祀。そして始まった宗像大社の原型となる祭祀と、沖ノ島には古代につながるロマンに溢れています。

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