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酒好き必見!松尾大社は日本一の酒の神様

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京都の嵐山にある松尾大社は、酒の神様として有名な神社です。
でもなぜ酒の神様なのかは、あまり知られていません。酒好きでなくとも、松尾大社に詣でるならば、その由来を知っておく方が、より一層充実した参詣になるはずです。

松尾大社ってどんな神社?

松尾大社があるのは、京都市西京区嵐山町。観光客からも人気の嵐山エリアにある神社です。
京都の中心を貫く四条通りの真西に位置し、反対の真東には八坂神社があります。JR京都駅からは、地下鉄「四条」駅から阪急京都線「烏丸」駅まで歩いて乗り換え、「桂」駅でさらに阪急嵐山線に乗って「松尾」で下車。バスなら市バス「嵐山大覚寺行き」か京都バス「苔寺行き」に乗って、どちらも「松尾大社前」で下車します。JR「大阪」駅からは阪急線が便利です。

ご祭神は「大山咋神(オオヤマクイノカミ)」と「中津嶋姫の命(ナカツシマヒメノミコト)」の2柱。大山咋神は比叡の山を守る神とも言われる神様で、別名を「山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ)」とも呼ばれ、「賀茂別雷神(カモノワケイカズチノカミ)」の父神と伝えられています。中津嶋姫命は宗像三女神の「市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)」のことで、天照大神(アマテラスオオミカミ)と素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の誓(うけい)で生まれた神様の一人です。

松尾大社は本来「まつのお」と読むのが伝統的な呼び方のようで、古くからの氏子の人々は今でも「まつのおたいしゃ」と呼ぶようです。現在は近くにかかる松尾橋に「まつおはし」と書かれているように、「まつおさん」と呼ぶ新しい氏子も増え、ふたつの呼び名が存在しています。

日本全国から信仰される酒の神様

松尾大社を有名にしているのは、酒の神様としての信仰。毎年11月の酒の仕込み始めの頃に行われる「上卯祭」と、4月の酒の仕上がりの頃に行われる「中酉祭」には、全国各地の酒造から銘酒がこぞって奉納されることでも有名です。

酒の神様が祀られている神社には、奈良県大神神社(おおみわじんじゃ)や同じ京都にある梅宮神社なども有名です。大神神社は大己貴神と大物主神を祀り美和さんを身体とする神社で、酒の発祥と言われています。梅宮神社は日本最古の酒の神様と言われる「酒解神(サカドケノカミ)」を祀っている神社です。どちらの神社も松尾大社と同じく、酒造りと深く関わっています。

酒醸造の起源は神話の時代

酒造りに関する記述は、日本で最も古い書物「古事記」の中にすでに登場しています。
素戔嗚尊の八岐大蛇退治にまつわる説話の中に、足名椎・手名椎に命じて八塩折の酒を作らせ、それを大蛇に飲ませて酔わせたという有名なエピソードです。ここに登場する八塩折の酒は、何度も繰り返して醸成した、芳醇で怪物を酔わせるほどの強い酒だそうですが、これを見ると酒造りの技術がだいぶこなれているように見えます。

松尾大社にある「酒由来の事」には、神代の昔に八百万の神々をもてなすため、山田(嵐山)の米を蒸して酒を造り、それを杉でこしらえた器に入れて饗応したと記録されています。書かれた時代は定かではありませんが、酒造りは早い段階から始まっていたのは確かなようです。

酒造りをもたらした秦氏は渡来人

日本での酒造りは渡来人によってもたらされたものでした。応神天皇の御代に朝鮮半島から渡来した人々とともに、多くの文明も伝来してきました。弓月君(ゆづきのきみ)と呼ばれる秦氏の祖先と言われる人物は、特に大勢の人々を伴った大移動だったと日本書紀に記述があります。

その大移動で渡来した人々の中に、「酒(みき)を醸(か)むことを知れる人」が含まれていたことが古事記の記述に見られます。酒を醸む、つまり酒の醸造技術を持っている人が、この大移動で日本に渡ってきたのです。この人々はのちの秦氏の祖先。日本に定住し持っている技術を駆使して、灌漑工事などを手がけ農業などの発展をもたらしました。

彼らはのちに松尾大社の建つ葛野のあたりを開拓し、次第にその周辺に定住していきました。秦氏は朝廷の事業に従事することで、先に定住していた渡来人の一族・漢(あや)氏と、勢力を二分するほど勢力を増していきます。平安京の遷都の際には、秦氏の財力が背景にあったとも言われるほどです。

秦氏と酒と松尾大社

701年(大宝元年)に秦忌寸都理(ハタノイミキトリ)が松尾大社の社殿を創建します。「酒造り」と「松尾大社」が、秦氏によって結びついた要因のひとつです。一説によると、秦氏は酒醸造の技術を持っていただけではなく、酒を生業に商業を営んでいたのではないかとも言われています。当時の裕福層と言えば「酒屋」を指すというほどだったようなので、小地主階級に多く存在した秦氏の経営した酒屋も確かに少なくはなかったでしょう。

酒業を営むことで財力を増し、土木事業に従事することで政界とのつながりを強くした秦氏は、中央での勢力を伸ばしていきました。松尾大社を建立した葛野では、秦氏の勢力も一層強かったに違いありません。松尾大社が酒の神様として信仰されるようになったのも、割と早い時期からだったという説が主流になっています。

毎年11月の上卯祭で奉納される狂言「福の神」では、松尾大明神が酒の神様として登場します。この狂言が作られたのは室町時代。その頃にはすでに松尾大社が酒の神様として、広く信仰されていたことを物語っています。江戸時代の文化文政の頃に作られたという「備中神楽」は、八岐大蛇の神話を基にした内容ですが、松尾明神が登場する神楽です。書物や芸能の中に登場する松尾明神を挙げていくと、松尾大社が全国津々浦々まで信仰されていた様子がわかってきます。

松尾大社は古代祭祀がその起源

そもそも、秦氏は松尾大社の社殿を建てる以前から、この地で松尾山を主体とした信仰を営んでいました。松尾山の山頂付近の大杉谷にある磐座がその証拠で、現在でも大切に保存され奉られています。自然の山や森に神様が降るとした太古の人々は、この神聖な山や森を「神奈備(かんなび)」と呼び非常に大切にしてきました。先ほどの奈良県にある大神神社も、三輪山を神奈備とした信仰の形を、現在まで残している神社です。

秦氏の松尾山を神奈備とした信仰が土台になって、そのまま松尾神社の信仰へと繋がっていったようです。社殿を建立したのが秦氏の一族であったことも納得できます。その後も秦氏や朝廷によって、松尾大社はますます発展していきました。秦氏が貢献したとされる平安京遷都後は、賀茂別雷神社と共に都の鎮護を司るようになり、重要な位置を占める神社となります。

松尾七社で構成される松尾大社

松尾大社と一言で読んでいますが、古くは月読神社・櫟谷(いちたに)神社・宗像神社・三宮神社・衣手神社・四大神社を併せて松尾七社と呼んでいました。特に重要なのが月読神社・櫟谷神社と本社の松尾三社。当時は松尾大社というと、この七社を指していたようです。

月読神社のご祭神は「月読尊」で、櫟谷神社は宗像神社と一緒に建っており、ご祭神はそれぞれ奥津島姫命と市杵島姫命です。
櫟谷神社と宗像神社は、現在二つを併せて櫟谷宗像神社担っています。松尾大社の社格が上がったことで、それぞれは摂社に組み込まれていますが、もともとはそれぞれが松尾大社と同じ格を持つ、重要な神社だったようです。その他の末社もそれぞれに大切な役割を持っていた神社です。
松尾大社に参拝するのであれば、摂社・末社も一緒に参詣してこそ、本当に松尾大社を詣でたと言えるのではないでしょうか。

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