日本史

関東ローム層VS玉川兄弟 悔しい失敗

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はじめに

心から悔しいと思った時、皆さんはその悔しさを解消するため、どの道を選ぶタイプですか?
自分が思うようにいかないストレスから逃れようと、悔しい気持ちを感じた出来事や思い出とすっぱり縁を切るのも選択肢の一つですが、悔しい出来事をステップアップの機会と捉え、不可能だと思われた難事業を突破したケースは、世界中に多々あります。

今回はそんな出来事の一つである、東京に住む人にとって身近な「玉川上水」についてご紹介します。

玉川上水完成までの道のりは悔しさに満ちている

上水とは人工水路のことで、江戸時代にできた今の東京都羽村市から新宿区にまで続く水路を「玉川上水」と呼びます。

徳川家が権力を握る行政府である城を中心に急速に発展した江戸は、みるみるうちに人口が膨らみ、その命を支える水資源の貧弱さにあえいでいる状態でした。

もともと大きな河川がたくさんあるわけでもなく、海に近くて標高が低く、さらにその海を埋め立てて土地を広げていましたから、井戸を掘っても塩水か飲むに耐えない質の悪い水しか沸いてこない場合がほとんどでした。

そして数少ない川も、満潮になれば海水が居住区まで遡上するので、当時は真水を手に入れるのに常に一苦労だったのです。

江戸の人々の水事情を改善しようと、幕府も真水を貯水する溜池を設置するのですが、晴天が続けばすぐに渇水の危機に陥り、その少ない水源を富裕層が買い占めたり、値上がりを続ける飲み水を買う財力のない貧乏人は、飲み水に適さない水を飲んで病気になったり、抵抗力の弱い子どもが成長できずに死んでいったり、まさに清潔な水をふんだんに江戸に流し込む上水路を作ることが、江戸の人々の命を救うために緊急に必要だったのです。

江戸に幕府が開かれた1600年頃はおよそ15万人だった江戸の人口が、1720年ごろにはおよそ150万人に膨らんでいました。10倍に跳ね上がった人口が毎日使用する清潔な飲用水を、市街に流し込むことを託されたのは、多摩川の清流近くに住んでいた庄右衛門と清右衛門の兄弟でした。

選ぶ余地の少ない水路のルート

玉川上水プロジェクトのスタート地点は、現在も東京都水道局が管轄している羽村取水堰(はむらしゅすいせき)でした。

幕府が用意した6000両の工事費を使って、1654年に着工した玉川上水プロジェクトは、全長43kmながらも、高低差は92mほどしかありません。

水は高いところから低いところに流れるものですから、羽村取水堰から武蔵野台地を突っ切って江戸市街の四谷大木戸にたどり着くまでの水路を、綿密な計算を持って傾斜させ続けなければなりません。

庄右衛門と清右衛門の兄弟は、なるべく高度のある土地を選び、ルートを作っていく必要がありました。

その選択の余地の少なさが、悔しい二度の失敗の原因となったのです。

水が通らない!二度の悔しい失敗

取水する場所を多摩川の本流に近く、周囲にも水源が多い日野に決めたのですが、関東の土地は富士山などの火山灰が蓄積した「関東ローム層」が広がっており、粘土質で水を通しにくい地盤となっていました。

水路が一定の長さになったところで、水を引き込むテストをした時、悲劇が起きました。その関東ローム層のどこかで地層がずれていたのか、過度に水を浸透する地質にあたってしまったのか、多摩川から引き込んだ水がそっくり地下に流れ込んでしまったのです。

まさかの「水喰土(みずくらいど)」に当たってしまい、この先も水路を通すことが困難になったため、多大な費用をかけた工事は中断せざるを得ませんでした。

しかし、この悔しい事故に留まることなく、兄弟は第二案であった福生を取水口に変更して工事を再開したものの、ここでも固い岩盤のために掘削が滞り断念せざるを得ませんでした。

すでに2度の失敗で消費した工事代金の残金では、3度目の工事開始は困難となっていました。

しかし兄弟は、3度目の正直とばかりに羽村から取水することを提案し、工事をすぐに再開したのです。

工事自体にトラブルはなかったものの、やはり途中で幕府から預けられた資金が枯渇しました。

度重なるトラブルに挫けることなく、彼らは自らの親類縁者に頼み、自分たちの土地や財産を抵当にいれて、何千両もの借金をする道を選びました。

そして、最初の着工からわずか8ヶ月にて、玉川上水が完成したのです。

江戸の水不足を解消した偉人たち

本人の意図とは関係ない悔しい出来事が重なり、多くの工事従事者が事故に巻き込まれ命を落としました。しかし、慢性的な水不足を抜本的に解消する玉川上水を完成させれば、江戸庶民の命を救い、豊かな暮らしがやってくるという強い使命感を持っていた庄右衛門と清右衛門の兄弟は、リーダーシップと情熱を失わずに私財を投げ打って、難事業を完成させました。
二人は幕府から、「玉川」という姓と上水の管理の役職を家業として与えられました。

まとめ

いかがでしたか?
今感じる悔しい気持ちをそのままにしておけば、後悔に変わることがあります。「後悔しないように」という言葉があるように、悔しいと感じる今を大事にし、その悔しさを越えて自分が何を成すべきかを突き詰めて考えた時、人は「天命」や「使命感」を感じるのかもしれません。

2度の悔しい水路失敗、そして3度目の悔しい資金枯渇を超えて完成した玉川上水は、時を越えた今もなお、武蔵野に住む人々に利用されています。

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