仏像

覚悟の本来の意味とは?

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「もはや成すすべがない、覚悟を決めよう」「覚悟はいいな」と、現在使われる覚悟と言う言葉は、大体がこのような意味です。
イメージでいえば諦めと言うマイナスのものとなります。しかし本来の意味は違っていました。

本来の意味は悟り

覚、並びに悟、いずれも悟りを意味する言葉です。つまり、悟りワードが重なった覚悟本来の意味は、そのまま、ド直球に「悟ること」になります。

「覚」と「悟」の微妙な違い

しかし何故、二つの意味を重ねたのでしょう。「そのくらいの気概で行けよ!」との、暑苦しい応援メッセージにも思えますが、実は「覚」と「悟」は微妙に違うのです。
どっちも概念としては「悟り」ですが、ニュアンスが異なります。イメージとしては、「カルボナーラ」と「ペペロンチーノ」のような物です。製法も味わいも異なりますが、「イタリアンパスタ」というくくりでは同じになります。「覚」と「悟」もまた然り。ではどう違うのでしょうか?

覚は、「覚醒」とあるように目が覚めると言った意味合いに使われます。仏教では大概の衆生は様々な煩悩や執着のせいで迷っていますが、その迷いが晴れて覚めることを「覚」というのです。「悟」はそのまま「悟りではないのか」と思う所ですが、こちらは真理を得ると言う意味となります。
つまり、迷いの迷宮から覚めて真理と言う悟りに至るのが本来の覚悟と言うわけです。

受け止めると言う意味では同じ

「何で今の意味になったのか」と言われると、そこは時代の波もあるでしょう。
仏教では物事は移ろうものと教えています。言葉だって例外じゃりません。といって、丸っきり意味が違ってしまったわけでもないのです。
現在の覚悟には、状況を知る、悟った上でそれを受け入れる、もしくは受け入れろとの意味合いが含まれています。広い意味で言えば仏道でないにしろ分かる、理解し受け入れることを表しているのであり、一般に渡るに至りました。
「覚悟しろ、周りは包囲されている」と言う言葉も、「囲まれているから逃げ場がない」と言う事実を受け入れて言う通りにしろとの意味になるのです。
もちろん使っている側はそこまで意識していないでしょう。それでも事実、真理を受け入れると言う意味では同じと言えます。

まとめ

覚悟を持ってことに当たる、とも言いますが、覚悟を決めるのがまず難しいことです。
それは悟るのが難しいことに似ているのかもしれません。
それでもヒントはどこにだってあるのです。目覚めるように注意をすれば、最終的にはどちらの意味の覚悟も得ることができるでしょう。

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