仏像

無理難題?禅宗の課題公案

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「火の神が火を求めた」「もう夕方だから門を閉めなさい」「このカマはよく切れるよ」いずれも、仏の道について問われての回答です。
言ってしまえば「何のこっちゃ」な世界観がそこにはあります。しかしふざけているわけではありません。これらは禅問答、公案と言い、禅宗の修行法の一つなのです。

悟りへの最後の一歩

「禅宗の坊さんは常日頃から、こんなわけの分からない会話をしているのか」と言えば、勿論そんなことはありません。
どちらかと言うと、悟りへの足掛かり、最後の一歩として語り継がれることが多いです。

仏性、真理と一つになる

禅宗の目標は真理、物証と一つになることです。
仏性、つまり仏になりたいな、と思っている内はザ・未熟者。悟りとは何か、仏になるにはどうしたらいいか、そう言ったことはごく小さなことに過ぎません。
真の悟りは無の境地なのです。その為、禅問答と呼ばれる公案は一見すると意味不明な会話に見えてきます。

常識からの解放

悟る為に一番よくないのが視野を狭めることです。いくら経文を呼んでも悟れない人は悟れません。
理由は、書かれていることにとらわれる為です。有名な公案にこのような話があります。
白隠と言う僧侶が両手をパンッと叩きました。そして弟子たちに一言。「両手を合わせると音がするね。では片手ではどんな音がするかな?」ここで「ええと」と迷ったり、「しませんよ」と言う人もザ・未熟者です。
この考案に答えられたのは少年僧でした。
彼の出した答えは、「音として聞こえない音、それが片手の出す音です」。頭大丈夫か!と掴んで揺さぶりたくなる所ですが、音と言ったら耳に聞こえる物、など常識概念を叩き壊すのが考案の目的なのです。
ちなみにこの白隠と言う僧侶は後に公案を体系化し、組み立て直して今の形にした、「何気に凄い人」でもあります。

禅宗を分かりやすくまとめた十牛図

禅宗の悟りに至る境地を、牛を探す人間と言う十の絵にまとめた十牛図なるものがあります。
仏教版受コマ漫画と言ったところで、内容としては少年が当てもなく牛を探して迷い、やっと足跡を見つけて影を発見。
暴れる牛を捕まえて連れ帰り、その背に載って家に帰り、真っ白な絵(?)と美しい風景画の後、布袋様と子供が遊んでいるえで終わりです。これも絵だけだと「何やってんの」ですが、少年を求道者、牛を悟りとすると分かりやすくなります。
牛、真理を探して惑い、足跡を見つけるのは経文など悟りの「とっかかり」に当たる入門の段階です。
牛の影は優秀な師匠。
牛を捕まえようとするところはまさに悟りを得ようと奮闘している段階です。初め暴れ回るのは、まだ真理を自分の物にしきれていないことを意味します。やっと牛が言うことを聞くようになったのは悟りを得た段階。牛に乗るのは真理と一体化したことを表します。
この時少年はもう牛を意識していませんし、家の場面には牛は描かれていません。
これは少年と一体化したのでいなくなった(ように見える)だけです。この辺りも禅問答を彷彿とさせますね。「牛はどこに行ったの?食べちゃったの?」「いるでしょう」と言った具合に。
真っ白な場面は無の境地です。悟った後に見える光景は素晴らしいと言うことで風景画が描かれます。
最後の布袋様と子供は、悟りを得て、それで人々を救う光景です。

まとめ

現在、禅宗においては「公案を考え出さないと一人前ではない」とする宗派まであります。
しかしそれにこだわるあまり本来の修行がおろそかになるのも行けません。余計なことや固定観念にとらわれず、色々考えてみるのも面白いですよ。

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