仏像

悟りへの段階、四諦

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最終目的を達成するのは難しいことです。
ゲームでもラスボスの攻略は一筋縄ではいきませんし、仕事もまた同じく苦労の連続になります。
仏教の最終目的、悟りにも同じことが言えますが、それもそのはず。
この世の一切は「苦」だからです。ここでゲンナリしないように。問題はそこからの段階であり、お釈迦様もこの四諦(または四聖諦)と呼ばれる段階を踏んで悟りを得ました。
お釈迦様だからできたこと」ではありません。その気になれば誰でもできることなのです。

「諦」の意味

「諦」なんて字が入っています。諦めるのか、と思われるかもしれませんが、元はサンスクリット語のサトヤが語源で、意味は正しい道筋、真理などになります。
それが何故「もういいや」と放り出すような意味なったのか。四諦がどういったものかを見ながらお話ししましょう。

段階

【苦諦】
この世の全てが苦であることを知り、それを認める段階。

【集諦】
生きることや刺激を求めることなどの「渇愛」こそが苦の原因だと知る段階。目や耳、舌、鼻、心が生きたい、刺激がもっとほしいと言った欲望の元であり、それが苦しみの原因だと知ることです。

【滅諦】
それなら苦の原因である煩悩、欲望を捨てようと言う段階。

【道諦】
八正道という修行法により苦しみを取り除く段階。

病気に例えられることもある

この四諦を、病気を治す段階としてとらえると分かりやすくなります。
元々お釈迦様説法は「病気の治療に例えたらめっちゃ分かりやすい」といわれており、四諦もまた例外ではありません。
たとえば、何かお管がするし、頭も痛いとしましょう。「忙しいから」とそんな状況を放っておかずに自覚することが苦諦にあたります。診察を受け、風邪だと判明。これは集諦です。
「ちゃんと治せばもっとすっきりできる」としることが滅諦であり、最後に正しい治療法と薬をもらうのが道諦になります。

まとめ

「諦め」には、物事を見た上で、「自分には無理だ」と見切りをつける意味合いもあります。
何もせずにポイ、ではなく精一杯やった上での諦めです。
思い通りに事が運ばないのは苦の一つ、求不得苦ですが、人生が八方ふさがりになることはまずありません。
精一杯やった分何かを得て、別の道が開けることもあるのです。
四諦を知り、悟りへ近づくための八正道は正しい八つの手段となります。
正しく物事を見、正しく物事を行えば、苦しみから解放されるために、まずは何かを始め、努力をすることです。
諦めるのはいつでもできますし、過程で得たものにしんの「諦」、真理があるかもしれません。

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