仏像

耐えた先で光を掴む忍辱

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取り立てて変化のない日常、しかしストレスは蓄積する物です。
現代だろうと古代インドだろうと、それが川名雷人間の心理というもの。
何かで発散しないといつか爆発して恐ろしい事件を起こしかねないそんな時代に、忍辱(にんにく)をお勧めします。

菩薩の修行法、六波羅蜜

ドラキュラを退け、食べるとお口の臭いが気になるあのニンニク、ではありません。そもそも字が違います。

忍辱とは、菩薩を始めとする求道者がが悟りを開くために行う修行、六波羅蜜の一つなのです。
一言で言えば、耐え忍ぶとの意味ですが、ただ耐えるだけではありません。

怒らないことも忍辱

六波羅蜜と言うのは、段階的な修行方です。
三毒と呼ばれる仏教の三大煩悩、貪欲(どんよく)、愚痴(ぐち)の内、まず貪欲を初めの段階で捨てます。
「これは自分の物だ!」との終着を捨て、他者に分け与えたり仏の道を説いたりするのが布施です。それが終わったら今度は戒律を守る持戒を経て忍辱に至るのですが、忍辱にはそれまでの二つとは大きく異なる要素があります。
布施(ふせ)、持戒(じかい)は内的要因、つまり自分の内にある欲望を抑え、なくすことを目的としますが、忍辱に至って初めて外的要因が加わって来ます。
それも、苦しい物として。欲望の元だって基本的には外的な要因ですが、おいしそうな食べ物や金品、美女など一般的には苦ではないと思われる物ばかり。
ところが忍辱では、瞋恚(しんに)と言う煩悩がまず関係してくるのです。瞋恚、それは怒ることです。他人から悪く言われれば、いかに規律を守ろうとムッとするのが人情というもの。
しかしそれを何とか我慢しなくてはなりません。欲求は、ある程度の段階になれば抑え込まれますが、怒りを跳ねのけるよりも辛いでしょう。瞋恚だけではありません。
病気や自然災害などのこれでもかの辛いこと全てを耐えなくてはならないのです。

忍辱の最大十要素は発想の転換で楽になること

悪口を言われた、仲間外れにされたとムカッ腹を立てた所で何もなりません。
むしろ状況は悪化します。怒って物を投げつけたら器物損壊や下手をすれば障害などで自分が悪者になりますし、後々気分だって悪くなります。忍辱で重要なのは怒りを飲み込むことです。
確かに耐えるのですが、「なかったことにしよう」というのではなく、「何故あの人はああ言った?」「どうして自分は怒った?本当にムカつくことだったのか?」と一旦深呼吸をして考えることです。
考えている内に余計ムカムカすることもあるでしょうが、それは物事の真相をきちんと見ていないからです。周りの人をよく見て下さい。
頑固な人、怒りっぽい人と言うのは、結構独善的で「自分こそが正しい」と言う人ではありませんか?逆に謙虚で温厚な人は他者の話をよく聞くものです。
そう、自分が間違っていたこと、他者の意見を受け入れること、真理、真実を見極めることが忍辱の目的なのです。
「あん畜生!」ではなく、「ここでムカついたのは何故だ?本当に悪いのは向こうか?」と考えてみてください。
そうすれば、案外素直に自分が悪かったと受け入れやすくなります。
難しいことですが、謝ってわだかまりを解くのが一番良いことです。
状況にもよりますが、一度試してみてください。

まとめ

耐える、と言うと何やら物理的な苦しさを想像するかもしれませんが、精神的な苦しさを要求されるのが修行です。
怒らないと言うよりも何が正しいかを考え、行動すること。何度か繰り返せばいずれ真に正しいことがつかめて、忍辱の次の段階へと進めるでしょう。

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