仏像

一致団結僧侶パワー、普請

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「この家は安普請ねえ」と、建物や土木関係での出来などを示す普請。かつては禅宗の僧侶たちが使っていた言葉でした。

始まりはインド

普請の始まりはインドにまで遡ります。仏教発祥の地ですね。
元々インド仏教僧は、「生産のお仕事をしちゃダメ!」という戒律がありました。
畑仕事も許されなかったのです。これは修行に集中する為です。食事等は托鉢と言って、信者などの家を回る、道端で乞うなどして与えられるのが普通でした。
しかし、全ての労役が駄目ということはなく、掃除などは修行の一環として皆で分担して行っていたのです。
そこから、「皆で行う、協力する」と言った概念として普請が誕生します。それが中国に渡り禅宗が栄えると、普く人々(主に僧侶)に助力を請うとの言葉、普請が生まれました。

お寺を作って場所代を得る

皆で力を合わせ、一体何をしたのかと言えば、お寺を作ったり、仏塔(お釈迦様の骨壷を模した物)を作ったりの土木建築です。
仏教関係に関わらず世のため人の為にと道路工事までしました。
地院の建設は寺社普請、道路工事は道普請、と言った具合に幾つか種類がありますが、概ね「自分たちの為に」という自普請とそれ以外の御普請に分けられます。
寺社普請は自普請に当たり、単に寺院を建設するだけでなく、お祭りなどで場所を開放し、場所代をもらうと言ったちゃっかりした面もあったようです。室町時代になると役職として成立しました。

お釈迦様も前世で行った道普請

時系列で言えば普請どころか仏教すらなかった時代、お釈迦様も普請を行っていました。
前世での話になります。当時、お釈迦様は儒童梵士という名前の菩薩でした。托摩(はつま)と言う国に来た時、現地の人々が道を作っている所に遭遇。「何で掃除をしているの?」と聞くと、「もうすぐ燃燈仏様が来られるんだよ」と返って来ました。
しかし、まだ完成していない所に燃燈仏がやって来ます。しかも、大量の弟子と一緒に。ところが道はぬかるんだままの見完成です。
儒童梵士は慌てず騒がず、蓮華の花を五つばらまき歓迎の意を示しました。
そして自分の服を脱いで敷き、足りない所にはほどいた自分の髪の毛を敷いて「渡ってください。お弟子の方々もどうぞ」としたのです。燃燈仏は感心し、「お前は中々やるね。
来世では悟りを開く事だろう」と言ったとのことです。

まとめ

僧侶から一般人へ、そして役人へ。仏教から始まり、一般に広まった普請は、元を正せば手を取り合う助け合いの精神です。
江戸時代には火事の後の町屋敷の再現などに、根幹には仏道の慈悲心が存在します。

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