仏像

六識により生ずることとは?

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「最近、あの人を意識してしまう」と何気なく使っている「意識」ですが、どういう意味か意識したことはありますか?仏教では心の動きが意外な作用をもたらすと説いています。

六根と六境の十二処

肉体を持って生きている限り、色々な刺激が心身に影響を与えます。
仏教ではそれを五蘊や十二処などと言った言葉で表してきました。
内容的には同じで言い方が違うだけです。
五蘊と十二処の違いは同じ映画作品を、映像で見るか小説版で読むかと言った感覚でお考えください。
十二処と言うのは六根と六境を足した物です。六根(ろっこん)とは近く、感覚器官であり、六境とはそれぞれの対象となる物を示します。

【眼根と色境】
六根の眼根とは視覚、見る力です。六境の色境は目に見える物を表します。花で言えば花そのものです。

【耳根と声境】
聴力と聞こえてくるものです。風に吹かれて花同士、葉などがこすれ合う音といったところでしょうか。

【鼻根と香境】
嗅覚と香って来るものです。花のかぐわしい香りをイメージしてください。

【舌根と味境】
味覚と味がする物です。花の中には、人間でも蜜が吸える物があります。

【身根と触境】
触覚、つまり触った時の感覚と触れられる対象です。花を摘む、活ける時、確かに茎や葉、花弁の感触を覚えます。

【意根と法境】
物事を知覚する心の動きと、その対象です。「花が綺麗だな」と思う時の、鼻を示します。

六識で十八境

これらに六識を加え、十八界と呼ばれるステップが完成します。
六根は感覚であり六境は物でしかありません。六識とは、それらに伴う心と言う要素です。
つまり、花を見て綺麗だなと思い、葉などがすれる音も心地よいと感じ、いい香りに陶然とし、蜜の味を甘くておいしいと感じ、花を摘む時、ちょっと葉で手を切ったら痛くて不快に思い、それでも行けた花を改めて美しく、芸術的だと思う。そんな流れです。
別名は「識」と言い、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識と呼ばれます。

意識の本当の意味

「あの人を最近意識してしまう」といった風に、ごく普通に使っている「意識」ですが、仏教での意識にはそれまでの五つの識と違う所が存在します。
それは他の識が基本的にその時だけの物であるのに対し、意識は心の中心として現在や過去、未来に至るまでカバーする点です。
「あの花は綺麗だった」というのは実は眼識ではなく、意識の働きになります。
眼識は花を見ているその時に「綺麗だな」と思うだけで、後の「綺麗だった」は意識により思い起こされているのに過ぎません。
意識は心の主のような存在であり、またの名を心王というのです。

まとめ

花に限らず、ありとあらゆる物事は六識を含めたこれら十八界ですが、必ずしも心地よさだけを提供してはくれません。
「恋人にフラれた」「上司が威張っているだけで腹が立つ」など、負の感情をも呼び起こします。
それは仕方のないことですが、「恋人はあの人だけじゃない」「上司は上司で大変なのではないか」などと思ってみてはどうでしょう。
人の心はまさに千差万別。六の感情が十人十色で倍加して、それがぶつかり合うのだから軋轢があって当然です。
幸せを諦めろと言うのではありません。あまり負の感情にとらわれなければ、苦しみは少なくなるでしょう。

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