四字熟語

不撓不屈で仏道を行く

2017-12-11

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何があろうと負けはしない、挫けない。そうは思っても、実際には困難に立ち向かい打破できる人がどのくらいいるでしょうか。仏道の修行などは、まさに挫けない心との戦いと言えます。

意味など

【読み】
ふとうふくつ

【意味】
どのようなことがあろうとも挫けることをしない精神です。

【類語】
不屈不撓

【用例】
「偉人たちは、何を言われても不撓不屈の精神で偉業を成し遂げた」

過酷な仏典GETの旅

仏教インドの地で生まれてシルクロードを渡り、中国経由で日本に根付きました。
さらっと語りましたが、すんなり根付いたわけではありません。というか、肝心の仏典に抜けがあり「これじゃ研究にならねーよ!」とばかりに立ち上がった僧侶がいました。法顕和尚です。
若いのならまだしも、出発の段階で64歳でした。まだ時代は4世紀あたりのことです。この時代にしては驚異の長生きですが、陸の旅とは言えインドまでエンヤコーラと足を運ぶのはかなりの無茶と言えます。事実、旅の途中で同行した10名のうち、死者が出ました。中には「もう旅はいい」とばかりにインドに住み着いた人もおり。かなり過酷な旅だったことが伺えます。
「砂漠で熱い風が吹くたびに誰かが死ぬ。動物もいないし、何の道しるべもない。しいて言うなら、ご遺体かな」と言った記述が残されているほどです。
しかし、「やると言ったらやるんじゃ!」と言う熱血パワフリーな法顕和尚はあきらめず、6年後ようやくインドにたどり着きました。
そこからまた6年がかりでインドの寺院などを回り、帰り着いたのは西暦420年。既に78歳になっていました。求道者の執念、恐るべしと言った所です。

日本密教を広めた空海と最澄の信念

真言宗の開祖は空海。天台宗の開祖と言ったら最澄。と言っても、天台宗自体は中国発祥です。

最澄は国から唐への留学が許されていたエリート僧侶で、天台宗を学ぶために入唐します。真言宗を開いた空海とよく比較されあまりぱっとしない印象があるかもしれませんが、貴族や政治とガッツリ絡んでいた当時の仏教を憂えており、「こんなの仏の教えじゃない!」と修行に励んだのは同じ。最澄は空海が都に戻れるように尽力もしました。
実は当時、留学僧はで20年現地で勉強しないといけない決まりが存在。しかし空海は2年で密教のトップに上り詰めてしまい「もう学ぶことないや」と帰ってきてしまいました。本来なら罰せされるところですが、政治が混乱していたのでほぼおとがめなし。そんな空海の才能を見込んで「ぜひ都にお戻し下さい!」と助言をしたとされるのが最澄でした。
『御請来目録』という密教の仏具や経典などの目録を見て「空海さんやるな。弟子入りしたいわー」と思ったのが理由です。年で言えば最澄の方が上ですが、そんなことは関係ありません。師匠と仰ぐべき人を見極め、即座にコンタクトを取るのも仏道修行には肝要なのです。その後、考え方の違いや最澄の弟子が空海について行ってしまうなどして別れてしまいますが、どちらも仏道で人を救いたいとの気持ちは共通していました。
この時代に密教が受け入れられたのは政変に関する怨霊による祟りで病気などが起き、呪術的な要素を持った密教に救いを乞う向きになった為です。最澄は未だちゃんとした整理が成されていなかった密教空海の下で学ぶ為に弟子入りをしました。
「書いて読んで覚えないとね」との考えを持ち、『理趣釈経』の貸し出しを願ったのですが、それは叶いませんでした。
「書いて読んでも意味ないよ。心で伝えるものなのだから」との空海の返答があった為です。救済の為の信念を持ち、その違いでの別れとは皮肉ですが、天台宗も真言宗も共に密教を根付かせました。
片や即身成仏(生きている間に仏になる)、片や誰でも仏になり救われるという内容です。
一見違っているように見えて根は一緒。真の救済の為、互いに譲れない不撓不屈の信念があったのです。

まとめ

曲げられない信念というものは誰にでもあるものです。それが元で時には仲違いをしたり、命を落とす結果にもなりかねません。
それでも人は前に進まなくてはならないのです。そうしないと何も始まらないからであり、何かをした分何かが残ります。それが何なのかは、歩んでみないと分かりません。

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