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釈迦如来を古今無双の聖人と見る理由

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「古今東西」の掛け声で卓球などを行うゲームがあります。古今とは、『古今和歌集』などの名前でも分かる通り、「昔から、今に至るまで」という意味です。

意味など

【読み】
ここんむそう。

【意味】
過去から現在に至るまで、並ぶ者がない、多くは優秀な人物を示して言います。

【類語】
古今独歩など。

【用例】
「ダ・ヴィンチは古今無双の天才ですな」

仏教で古今無双といえば?

仏教において古今無双と言える聖人は誰でしょう。開祖のお釈迦様が浮かぶ人も多いのではないでしょうか。何せ、仏教を開いたお方です。しかし、それだけが理由ではありません。

両極端を味わい、中道へ

お釈迦様ことゴータマ・シッダールタは、古代インドはシャカ族の王子として生まれました。小国ではありましたが、王子は王子です。
父王は息子にありとあらゆる贅沢を与えました。しかし、あまりに過ぎた贅沢ぶりに、ふと虚しさを覚えることもあるでしょう。ましてやお釈迦様の場合は「色んな身分があるけど、みんな同じく老いて死ぬ」と言う事実に気づき、悩んでいました。出家まで考えるほどに。
父王は大事な跡取りに出家されないように贅沢な宴を催し、美しいいとこのヤショダラと結婚までさせます。
つまり、お釈迦様は究極の快楽を味わっていたのです。それでも不安はぬぐえず結局は出家。今度は苦行林で他の修行僧と一緒に究極の苦しみを味わい続けました。絶食したり、獣のうろつく場所をあえてうろついたりしたのです。
しかし悟れませんでした。「この修行法も意味がない」と、苦行を辞めて瞑想をするうちに悟りに至ったわけです。
そこでお釈迦様が得た教訓が「何でも極端は良くない。バランスの良さが大事」と言う事でした。この上ない享楽から、凄まじい苦行。両方を味わったからこその説得力です。

生きた体であの世へ向かう

そんなお釈迦様は、悟りを得てからは人々を救うことに邁進します。
そんな中、「ちょっとお母さんに会って来るね」と出かけました。場所は人間界よりも清浄なる天界です。何故そんなところにいるのかと言えば、お釈迦様のご降誕から七日目に亡くなったからです。つまり通常なら死んでからでないと、それもかなり正常な魂を持っていないといけない場所。そこに生身の状態で「ちょっとコンビニに行ってくる」と言った感覚で行けてしまうのです。

神々も駆けつけた涅槃

お釈迦様は80歳で人間としての寿命を迎えました。この時、神々も駆けつけていたのです。ここでいう神々とは、ヒンドゥー教から仏教に入ったいわゆる天部と呼ばれる面々を指します。神として崇められ畏怖されていた存在までが、臨終に駆けつけるというのはまさに聖人の証と言えましょう。

まとめ

最上級からどん底を経験した人は数多いでしょう。そこからどう動くかで人間は変わるものです。お釈迦様はひたすら悟りを求め、丁度良いバランスを見つけた為に悟ることができ、今も尚崇拝されています。高僧の中には苦労だけの人物もいます。どんな環境でも悟ろうと思えば悟れるのです。しかし、やはり両極端を味わったという人生はインパクトがあります。そこから来る凄みのある説得力が仏教徒を増やし今尚栄えさせている一因とも言えるでしょう。仏教の古今無双の星人はやはり、お釈迦様でした。

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