日本画

歌川広重の『名所江戸百景』から当時の人物と風情をみる

2018-01-21

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歌川広重の「名所江戸百景」は、色鮮やかで斬新な構図があり今でも魅力にあふれています。「名所江戸百景」には、風景とともに当時の人々の様子がよくわかるおもしろさもあります。ここでは、歌川広重の「名所江戸百景」の中の人物と風情について詳しくご紹介していきます。

「名所江戸百景」芝愛宕山(しばあたごやま)

「芝愛宕山」

当時、海抜26メートルの愛宕山から江戸が一望できていました。86の石階段がある愛宕神社の朱色の社殿が左端に描かれています。毎年正月3日に「強飯式(ごうはんしき)」が行われていて、そこに出てくる毘沙門使が画面に描かれた人物です。

「愛宕神社」

これは、愛宕権現に伝わる神事になります。その使者の風貌は、ザルに御幣、橙(だいだい)、神酒差し、結界の鍬形(くわがた)、ゆずり葉、うらじろ、錣(しころ)に昆布をつけた姿。ちなみに錣とは、兜の後方、左右にたらし防御するものです。

さらに手には大飯杓子(しゃもじ)、腰には大すりこぎを差しています。使者が麓の円福寺へ赴き大盛りの飯を強要して帰ってきたところが描かれているそうです。明治はじめの頃に神仏分離で円福寺はなくなってしまいそこからは、使者は男坂を登り神に報告する儀式に代わり、昆布は細かく刻まれ煎じて飲むようになります。この細かく刻まれ煎じた昆布には、風邪を散らすという効果があるといわれ、参詣の人々が我先にと殺到していたといいます。井伊直弼を切った浪士たちが朝に愛宕山に集合したというのも有名な話です。

「名所江戸百景」王子不動之瀧

「王子不動之瀧」

北区滝ノ川町と王子町の境目を流れる石神井川(音無川)は、王子の近くになると滝ノ川と名前が変わります。当時は、その川べりにある成就院境内の崖から滝ノ川に面して滝が流れ落ちていました。

不動の滝は、16世紀に学仙坊という僧が創建した正受院本堂の裏手にあります。滝の中から不動明王の像が現れ滝のかたわらに不動尊を祀ったことから「不動の滝」と呼ばれています。

広重の絵では滝がかなり高いように描かれていますが、実際は約3メートルほどだったそうです。絵では、一人の男の人が滝壺へ向う姿と滝に打たれて戻った男の人が老婆からお茶をもらっている姿があります。

そこには、二人の女の人がやってくる様子も見えてきます。八代将軍徳川吉宗が江戸市民の娯楽の場として夏の風物詩の暑気払いをしていたといいます。不動の滝は、涼をとる意味だけではなく、様々な病をとるといわれ有名になっていたそうです。

「江戸百景」は、江戸に住んでいた人がよく知っている所ばかりが描かれていました。この王子不動之瀧も江戸市民にとっては、有名なスポットであったことは間違いないようです。「王子不動之瀧」は、広重が愛好者に向けて描いた絵とも言われています。

「名所江戸百景」神田明神曙之景

「神田明神曙之景」

神田明神は、大己貴命(おおなむちのみこと)別名大国主命(おおくにぬしのみこと)を鎮座し、平親王将門の霊を合わせて祀るという伝えがある場所です。元は、日本南岸を北上し房総半島に安住した漁民部族の崇敬していた海神の孫が後に江戸湊に移った時に分祀して出来たのがこの神社の始まりと言われています。

平将門が怨みを持ったまま滅びた後、そこに誰かが築いた墓が年数を経て廃墟になると、さまざまな災厄が起こりだしたことからこれは怨霊のせいではないかという説がではじめました。

そこで、真教上人(僧侶)が明神社に亡霊を合祀してこの土地の産士神(うぶすがみ)としたといいます。広重の描く「神田明神曙之景」では、日の出前の東の空を眺めている巫女、士丁(しちょう)、神官の姿があります。

士丁の手に桶があることから朝のお清め作業の途中ということを物語っているようです。地面と空のグラデーションが空気の澄んだ美しい朝の様子を強調しています。静寂に包まれた境内に荘厳を感じさせる三人の姿、曙が神域を表しているところがこの絵の魅力です。

「名所江戸百景」大てんま町木綿店

「大てんま町木綿店」

広重の「名所江戸百景」の中では珍しいとされる正面向きの女性を前面に出した構図の絵です。日本橋区大伝馬町1丁目の通り両側には木綿織物の問屋が軒を並べていたので「もめんだな」と呼ばれていたそうです。

この通りから近い場所に花柳界があったといいます。足元がおぼつかない芸者達の様子からお座敷に呼ばれた帰りの絵とされています。この時代の芸姑は足袋を履かないのが常識だったようです。画面の二人の着物が揃いで帯を後ろに垂らしているのもこの当時の流行りだそうです。

長屋造りの紺の木綿屋の暖簾を見ると、手間から「田端屋」「升屋」「嶋屋」と書かれています。二階には格子がはまっているのですが、中から外れるようになっていたそうです。出入り口ではない場所に掛けられた幕を「八ヶ間乳掛り太鼓幕(はちかけんちちがかり)」と言います。

屋根に見える囲いは、防火用の天水桶です。天水桶には、雨水が溜めてあり火事の時にこの水が上からこぼれる仕組みになっていました。また、屋根の上の白壁は防火壁で店と店との間に設置されています。

広重の「名所江戸百景」は、真のままそこにある景色、人物をとらえています。当時の写真のようなものです。現在では、真実味がある広重の描く景色に今の景色を照らし合わせる楽しみ方が人気になっています。ぜひ、参考にしてみてください。

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