仏像

真なる理想の境地、涅槃について

2018-01-26

関連キーワード

毎日を生きていて、ふと思うことはありませんか?
自分は何故こうしているのか。何故生きているのか。何をしにこの世に生まれて来たのか。
考え出すと止まらなくなる命題です。
お釈迦様ことゴータマ・シッダールタは死や病、老いなどの苦しみが元で出家をし、悟りを得て、涅槃の境地に至りました。
涅槃、それは仏教における最大級の理想です。

涅槃イコール「死」とは限らない?

涅槃、というと「死」を連想される方もいるでしょう。涅槃像が横たわっており、「お釈迦様の死んだ時の姿」とされているため生じた認識のようです。
サンスクリット名はニルヴァーナといい、「吹き消された状態」「静寂」と言った意味になります。
やっぱり「死」を連想させますが、ここでいう吹き消されたものは、基本的には命ではなく煩悩です。お釈迦様のような聖人や、人間の姿でこの世に現れた仏が人間として死ぬことも涅槃と言います。
故に、涅槃像は「亡くなった時の姿」でいいのです。

悟りは第一歩、涅槃は最終目的

悟りと涅槃は実は違います。涅槃は段階のラストに当たる物で、悟りはその第一歩でしかありません。
とは言っても「真理を得る」という非常に難しい物ではあります。しかし心理を悟れば、いずれ煩悩も消えて最高の安寧を手にすることができるのです。
これが仏教僧侶の最終目的、涅槃であり、解脱とも言います。そんな涅槃ですが、実は一種類ではありません。
一まとめでいいだろうと考えてしまいがちですが、最高級の安らぎを得ることの難しさを思わせる段階となっています。

有余涅槃と無余涅槃

仏教は二種類に大別できます。「お釈迦様だけが仏陀。他の人は阿羅漢という僧侶にはなれる」と説く部は仏教と、「誰でも仏陀になれる」と説く大乗仏教です。
涅槃に関する考えも、この二大派閥の間では微妙な違いが見られます。まず部は仏教
こちらは宇余涅槃と無余涅槃に分けられます。宇余涅槃とは煩悩を滅し完全に断ち切ったものの体が残っている状態。お釈迦様が完全に悟りきり、入滅(死)を迎えるまでの期間がまさにこれに当たります。
無余涅槃は肉体を失った状態です。

無住処涅槃

大乗仏教での涅槃は無住処涅槃が理想とされます。
これは生き死にだけでなく大きな慈悲を持って衆生の救済にも当たることからあらゆるものを超越した、本当の意味での自由です。智慧の力により心理を悟ったので煩悩に苦しむことはありません。
といって涅槃の世界にとどまることなく、衆生の世界へと降りて救済も行います。仏様なら当たり前と思われがちですが、結構難しい、スケールの大きな自由なのです。
本を何冊も出版し、現役を退いた大学教授が再び教鞭をとり、若い学生の人気も得ると言ったところです。

涅槃像の違い

涅槃と言ったら涅槃像を連想する人も多いでしょう。この涅槃像ですが、国によって色々と違いが見られます。
日本の涅槃像は大体目を閉じた像容です。中国或いは部派仏教では目が開いています。これは、涅槃をお釈迦様の死と捉えているか、或いは煩悩がなくなった状態を表しているかの違いです。

まとめ

お釈迦様の入滅図のイメージが強い為、涅槃とは死であるとの考えに至りがちです。
無論、この見解は間違いではありません。しかし、一つの角度からしか物事を見ないと視野が狭まり、涅槃どころか悟ることもできないでしょう。ある意味では煩悩の死というとらえ方もできます。
揺るぎない真理こそありますが、そこに至る過程や考察は人の数だけあるのです。
真の理想に辿り着ける方法を探す為、色々と模索してみるのも一つの手段と言えます。

    ▲ページトップ