仏像

三世で実感する、移ろい行く「世」

2018-01-26

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土手に座って、何となく流れる川を見たとします。川上から川下へと、川は一定方向へと流れる物です。
時間もまた同じ。一定方向に向かいます。川は川で同じ名前であり続けますが、流れている水は違います。
仏教における世界とは、そういったものなのです。

仏教でいう「世」とは

サンスクリット名、トラヨードゥバーナハ。仏教用語で三世(さんぜ)といいます。
仏教における「世」とは、まさに流れゆく川と同じです。この世の存在、減少、あらゆるものは因縁によって生じたものと考えられます。
仏教ではこの流れを「世」と呼んでいるのです。全ては川のごとく流れゆき、「変わる」ことはあっても、決して「止まる」ことはありません。

一生という観点

三世と一言で言っても、実は何を基準にするかによって意味も違ってきます。
微妙な点ではありますが、まるっきり同じというわけではないのです。まず、衆生の輪廻転生に関する三世。これは前世、現世、来世から成ります。この言葉自体は結構占いなどで使われていますね。
前世とはある衆生が生まれる前の生です。一般的に言う前世と同じに考えて良いでしょう。ちなみに人間とは限りません。現世とは今の生です。
来世は衆生が死に、転生して送る生を言います。ここでいう「死」は生物学的なものです。他の宗教や無神論者からすると「はい、そこで終わり」もしくは天国か地獄へ行くことになっています。
しかし仏教では終わりではありません。現世での行いや生き方により、来世での生も変わってくるのです。場合によっては極楽往生もあるでしょう。しかし、それとて一時的な物に過ぎません。
極楽往生すれば終わりではなく、極楽浄土での修行を負えてまた人間に生まれ変わるのです。
ここで重要なのは、「カエルになっても人間になっても、自分は自分」ではないということです。仏教では「自分」なんてものはありません。故人の肉体、考えはありますがそれは仮の物であって、大きな流れの一部でしかないのです。
怖ろしくなるかもしれませんが、実はこれが救いのきっかけでもあります。「みんな流れの一部で同じ」と気づく事こそが救いの一歩になります。

別名は「已、今、当」の説法という観点

現在、過去、未来を示すこともあります。またの名を已、今、当。
これは輪廻転生ではなく、お釈迦様の説法を『法華経』を基準に三つに区分けしたものです。
已説(『法華経』以前に説かれた『爾前経』)、今説(『法華経』と同じ頃に説かれた『無量義経』)、当説(『法華経』の後に説かれた『涅槃経』)となっています。
お釈迦様は述べています。「私が42年間言ってきたことだけどね。あれは皆が色んな解釈を持っていたからそれに応じて言うことを変えてたの。今から話す『法華経』が本当の私の教えだからね」。
衆生の受け入れやすいように、説法の内容を変え、収束に導いていたのです。
うまく誘導されて衆生の心が移ろうたことが分かりますね。

まとめ

川は清らかで住んでいるのが理想です。昨今では淀んでいることもありますが、中で魚が泳いでいく姿が見えるくらいが理想でしょう。
さっきは川上にいた魚が、今度は川下へと向かう。それに、現在、過去、未来を重ね合わせるのも何か悟りのきっかけになるかもしれません。心も絶えず、動いているのですから。

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