四字熟語

心の安寧春風駘蕩は仏教の理想形?

2018-02-04

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春眠暁を覚えず、という言葉があります。春はつい穏やかな心持になり、どこかのんびりとしてしまいがちです。
「そんなことではいけないよ」と言われそうですが、こののんびりとした境地こそが、仏教の一つの理想形ではないでしょうか。

読み、意味、類語、用例など

【読み】
しゅんぷうたいとう

【意味】
穏やかでのんびりとした人。また、余裕があり、何があろうと動じないさま。落ち着いている様なども示します。

【類語】
春日遅遅(かすがちち)

【用例】
新人のNさんは慌てず騒がず、春風駘蕩の態度で事態を納めた。

真に穏やかな心を得るのが仏道

お坊さんの生活を見てみれば、はっきり言ってゆったりのんびりとは真逆です。
無縁と言ってもいいでしょう。朝は暗い内から起きて修行詰めの生活です。おまけに肉食禁止、男女のチョメチョメも禁止、お酒も禁止とストイックさの極みと言っても過言ではありません。重要なのは「動じない」の方です。
「のんびり」と「動じない」には、共通項があります。「余裕」です。
仏道の究極目標は悟りを開くことですが、これは究極の余裕を得るに等しいと言えます。自分と真理が一体化している、というか元からそうであると気づくことが悟りであり解脱なのです。
一旦このことに気付けば、後は何物にも思い煩わされることはありません。言ってみれば究極の安寧です。

「主人公」の本来の意味

主人公という言葉があります。物語の中心を担う人物ですが、元は仏教用語でした。
その昔、師彦(しげん)和尚という僧侶がいました。この人にはちょっと変わった癖があります。それは自分に向かって「主人公」と呼びかけることです。
「主人公」「はい」「ちゃんと起きているか」「はい」「誰にも騙されるなよ」「はい」とこのような感じに自分に問いかけをしていました。これは自分を律する為の行為です。
「自分とは何ぞや?何をすべきか?」との問いかけ、確認作業でもあります。自分やその役割が何なのかを分かってさえいれば、思い煩うことはありません。

仏道の春風駘蕩、それは日常

ある僧侶が、「仏道の修業とは何でしょうか」と尋ねられました。
僧侶は「食事をしたり、服を着ることだよ」と答えます。素人には「何を言っているんだ」の世界が繰り広げられる禅問答の話です。尋ねた方は「そんなの日常生活の一つでしょう」と返しますが、僧侶は言いました。「あんたは、私が何をしていると思っているのかな?」つまりはこういうことです。日常生活をただボーッと行うのではなく、意識して行うこと。何かにつけ理由や意味を付けず、流れに身を任せるのが仏道だと説いています。
動じることなく、一見するとのんびり。まさに春風駘蕩です。

まとめ

禅問答を読み解くと、悟りを得た僧侶はほぼ全員が安寧な心を持っているように見えます。
中には激しく教え諭す人物もいますが、揺らぐことのない信念、仏道精神を持っている点は同じです。
悟りを得た精神ははなの咲き乱れる春の世界を歩くことができます。それでいて、決して迷うことはありません。真理という指針があるからです。

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