瑞龍寺はトイレの神様のいる禅宗の寺院

2018-02-06

関連キーワード

瑞龍寺は富山県にある曹洞宗の禅宗寺院。加賀藩の藩主を務めた前田家とゆかりの深い寺院で、トイレの神様「烏枢沙摩明王」が祀られていることでも有名です。江戸時代に建てられた瑞龍寺には、国宝に指定されたものを含め、貴重な禅宗様建築が多く残されています。

加賀藩主の前田家とゆかりの深い瑞龍寺

富山県高岡市にある瑞龍寺は、曹洞宗の寺院で本尊は釈迦如来、山号を高岡山と号します。加賀藩主の前田家とゆかりの深い寺院で、加賀藩3代目藩主の前田利常によって、2代目の利長の菩提を弔うために建立されました。もともとは利長が織田信長の追善のために、金沢に建てた宝円寺が前身となっています。

利長には嫡子となる男児がおらず、年の離れた弟の利常を養子に迎え、44歳の時に自らは隠居し家督を譲りました。隠居した利長は金沢から富山へと移りますが、富山城が炎上したため新たに高岡城を築き、そこを住処とします。先述の宝円寺もこの頃に金沢から富山へと移されました。

前田利長の菩提を弔うために整えられた七堂伽藍

隠居した利長が52歳で亡くなると、当時は法円寺と称していた寺院は、利常によって利長の菩提寺とされます。このとき寺院の名称も法円寺から、利長の法名をとって瑞龍院に変えられました。

利長のことを非常に敬っていた利常は、その後30年ほど経ってから瑞龍院の伽藍の整備を開始します。藩主になった当時はまだ若かった利常が、この頃になってやっと大きな私的事業を手がけられるようになったとも考えられます。加賀藩では随一の名工と名高い山上善右衛門嘉広を棟梁に迎え、約10年の月日を費やして壮大な指導伽藍を建立させました。

富山県初の国宝に指定された瑞龍寺の建築物たち

瑞龍寺の伽藍を構成する建築物は、江戸時代初期の禅宗寺院建築として評価が高く、国の重要文化財に指定される建築物も多くあります。中でも山門・仏殿・法堂は1997年に国宝に指定されました。富山県で国宝が指定されたのはこの時が初めて。現在でも富山県唯一の国宝です。

1645年に竣工した山門はその後焼失してしまい、現在の山門は1820年に再建されたものです。上下二層の二重門で、上層と下層の屋根の大きさがほぼ同じになっているのが特徴です。上層には宝冠釈迦如来像と十六羅漢像、下層には金剛力士像が安置されています。

仏殿と法堂は創建当時のままの姿を残す貴重な建造物。仏殿は柱や扉・窓に至る細部にまで、禅宗様建築の特色が残る貴重な建築資料です。内部には本尊の釈迦如来像とあわせて、普賢菩薩と文殊菩薩の釈迦三尊像をはじめ、他にも禅宗の創始者の達磨の坐像や十六羅漢の一人の跋駄羅尊者(ばだらそんじゃ)の像などが置かれています。

仏殿の奥にある法堂は、建坪で186坪と境内で最も広い建物です。利長の位牌が安置されており、雰囲気にも荘厳さが漂います。「トイレの神様」として有名な、「烏枢沙摩明王(ウスサマミョウオウ)」が置かれているのもこの法堂です。この烏枢沙摩明王の木造は、高さ117センチメートルの国内でも最大級の木造。前田家より寄進されたと言われる、室町時代よりも古い時代の貴重な木造とされています。

国宝以外の重要文化財にも見どころはたくさん

国宝に指定された山門・仏殿・法堂以外にも、国の重要文化財に指定されている建物が、瑞龍寺には幾つかあります。山門・仏殿・法堂も国宝に指定される以前は、国の重要文化財に指定されていました。

大伽藍を囲む回廊は「北回廊」「南東回廊」「南西回廊」の3つから構成される建築物です。特に特徴的なのは、回廊の左右に続く真っ白な漆喰の壁と、そこに年季を重ねて規則正しく並んだ木の柱たち。途中に設けられた障子戸から差し込む柔らかな光が、白壁と柱のコントラストを引き立てています。

北回廊には鐘楼や大庫裡があり、結露を防ぐために曲線に作られた、漆喰の天井を持つ大庫裡には、正面に韋駄天像が安置されています。他にも創建当時から残る総門や、防火対策のための建築法を用いた大茶室、僧たちの修行の場となった僧堂なども、瑞龍寺の見どころとなっています。

烏枢沙摩明王は不浄を焼き尽くすトイレの神様

法堂に祀られた烏枢沙摩明王は、真言宗や天台宗、禅宗や日蓮宗など広く信仰されている明王のうちのひとり。火の神や厠の神として信仰されています。烏枢沙摩明王はサンスクリット語の「ウッチュシュマ」の音を訳したもので、インド神話の炎の神様「アグニ」が元になった明王です。

アグニはその炎の力で一切の不浄を焼き尽くす神様で、死体や動物の血の穢れなどを浄化してくれるとして信仰されていました。仏教に烏枢沙摩明王として取り込まれた後も、日の神様としての性質はそのまま受け継がれ、不浄を焼き尽くし浄化することから、東司=便所の神様として扱われるようになったようです。

密教では「烏枢沙摩変成男子(へんじょうなんし)」と呼ばれる法が、まだ胎内にいる女児を男児に変化させる秘法として、政略結婚で跡継ぎの有無が重要だった貴族社会で、広く信仰されるようなったようです。

不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王からなる五大明王のうち、金剛夜叉明王を天台宗の密教では烏枢沙摩明王として扱うなど、烏枢沙摩明王は重要な位置を示す明王でありながら、トイレの神様とはちょっと滑稽な気もしますね。「トイレの神様」が大ヒットしたことで、烏枢沙摩明王をお参りすることが目的で訪れる人も多くなったようです。

苦難の時代を乗り越えて復活した瑞龍寺

江戸時代を通じて加賀藩の庇護を受けてきた瑞龍寺。その寺領は300石と言う広大な寺院でしたが、明治時代の神仏毀釈の動きから免れることはできませんでした。加賀藩の庇護を受けられなくなった瑞龍寺は、大伽藍となった寺院を維持するための費用が大きく、たちまち財政難に陥るようになります。

困窮した財政を賄うため、瑞龍寺では壮大な伽藍を構成していた建物を解体し、木材として売りさばくことでしのいできました。現在残っている建物も、もし困窮が長く続いていたならば、残っていなかったかもしれません。

1985年から大規模な修理が行われた現在の瑞龍寺は、建物こそ七堂伽藍を備えてはいませんが、当時の隆盛を偲ばせる広さは健在です。綺麗に整えられた芝生と、江戸時代から残る禅宗様の建物が、平和な世の中を祈りたい気持ちにさせてくれます。毎年2月・4月・8月の夜にはライトアップのイベントも行われ、雪とのコントラストが美しい2月は特に人気で、多くの人が訪れる近年注目をされているイベントです。

    キーワード一覧

    ▲ページトップ