日本画

ある過ぎる者の不幸 神妙の域を追い求めた渇望の絵師・葛飾北斎

2018-03-11

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江戸時代に活躍し、海外でも高い評価を受けている日本を代表する浮世絵師・葛飾北斎。「富岳三十六景」で人気を不動のものとした北斎は、生涯を通して精力的に活躍し、亡くなったのが90歳という当時としてはかなりの長寿であったことも有名です。

浮世絵師としての名声をほしいままにしていた手にしていた北斎ですが、その生涯は安定しているとは言い難い、破天荒な生涯を過ごしています。己の才気に満足できない、渇望した人生を送っているのです。

いつまでたっても満たされない

葛飾北斎が亡くなる間際に言ったとされる言葉が残っています。
「天我をして十年の命を長らわしめれば。天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」
(天が私に後10年の間命を許してくれたなら。天が後5年の間私が命を保つのを許してくれたなら、必ず本物の画工となれたもの)

あらゆるものを描き、3万点を超える作品を残したとされる北斎でしたが、死に臨んで、まだこのような心情でいたとは驚くばかりです。

北斎が70代も半ばだったころ「今後、80歳90歳と研究を続けたら、100歳には神妙の域に達して、110歳では一点一画、生けるがごとく書けるだろう」と言ったというエピソードや、うまく書けないという弟子の言葉を聞いた北斎の娘が「父は子供の頃から80まで絵を描いているけれど、この前猫一匹描けねぇと涙ながらに嘆いていた」と笑いながら話した(そして北斎も全くその通りと言っていた)というエピソードなどを聞くと、北斎の「絵」に対する並々ならぬ情熱が感じられます。

手広い仕事と、研究熱心

修行時代は、当時の正統派派閥であった狩野派や唐絵、西洋画などのあらゆる技法を学んでいるようです。また、人物を描くには骨格を知らなくてはいけない、として接骨術や解剖学を学んでいます。技術と知識を得るために熱心に勉強していたのですね。

また、富岳三十六景のような風景画を得意とした北斎でしたが、花鳥図や美人画も書いています。屏風絵を書いたり、漫画、春画、黄表紙や洒落本などの戯作の挿絵、百物語をテーマとした化物絵なども手掛けており、絵に関してはマルチな才能を見せています。

ひとところに留まらない

葛飾北斎の性格をよく表しているのは、何と言っても改名と転居の多さでしょう。改名が30回、引っ越しが93回と記録されています。多い時には一日に3回も引っ越しをしたそうです。

安定を望まない北斎。もっと上手になりたい、と生涯もがき続けたのは才能あるものの不幸と言っても良いかも知れません。しかし、同時に1つのものにここまで打ち込めることは羨ましくもあります。

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