日本史

エリート出世街道を行くはずが…わずか20歳にして出家した西行の人生観

2018-03-23

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桜と月を愛した旅する僧侶

和歌で有名な西行は、平安末期に生きた歌人であり、僧侶です。 俗名を佐藤義清(のりきよ)といい、平将門の乱を平定した藤原秀郷(ひでさと)の子孫であり、秀郷から数えて九代目となります。 武家の名門中の名門といわれ、出世を約束された身でありながら、23歳の若さで西行は出家しました。 出家後、どこの寺院にも属さずに、小さな庵を拠点として全国を旅します。 心のおもむくままに全国を旅して、多くの歌を詠んだことから「漂白の歌人」とも言われています。 そのような西行の生き様は、後世に大きな影響を与えています。 今回は西行の生き様についてお話します。

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エリート出世を約束された西行

西行は、関東に勢力を極めていた藤原秀郷の子孫で、九代目になります。 秀郷の一族は関東に拠点を置いていました。 秀郷は中央から派遣された官僚に現地で採用された在庁官人であり、平将門の乱で将門を組み討ちした人物です。 この武功によって、従四位下の官位を与えられ、下野守(しもつけのかみ)、武蔵守(むさしのかみ)、そして鎮守府将軍に命じられています。 この待遇は異例の出世であり、藤原秀郷の名前は、武士が憧れる名門中の名門と認識されるにいたりました。 西行は三歳で父親と死別し、一族の援助もあって16歳頃に藤原北家の支流徳大寺に仕えます。 そして18歳のときの左兵衛尉についています。 20歳には鳥羽院の「北面の武士」の下北面に任じられます。 北面の武士は、宮中行事に供奉し、貴族の警護をする仕事です。 低い官位でありながら、武芸や和歌、教養に通じていなければならず、また容姿端麗であることも条件であったので、武官としてはエリート中のエリートだったと言えます。 西行は後に多くの和歌を残し、宮廷のスポーツ蹴鞠の名手でもありました。 文武ともに秀でていた西行は宮廷では誰もが知る人物であったようです。

23歳でいきなり出家!かなわぬ恋の苦悩

出自、容姿、文武に長けていた西行は、北面の武士に選ばれたことで、エリート出世街道が約束されたも同然でした。
しかし、西行は23歳のときに突然出家します。
当時貴族の中でも出家するということは頻繁にあることで、それ自体は珍しいことではありませんでした。
しかし、23歳という若さで、しかも官職も家族も一切合財投げ捨てて僧侶となったことは、宮廷の話題となりました。
なぜ西行が出家したのかは、はっきりとした理由は分かっていませんが、諸説があります。
その一つに大賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)に失恋したという説があります。
大賢門院璋子は高い教養と美貌の持ち主であり、非常に魅力的な女性でした。
加えて奔放な性格でもあったため、数多くの男性との浮き名を流していました。
鳥羽院の北面の武士として使えていた西行は、璋子とも顔を合わせる機会がありました。
同じく教養もあり、容姿も端麗であった西行と璋子が惹かれあうのも当然です。
しかし、璋子と西行では身分も立場も雲泥の差があります。
加えて璋子には白河院の寵愛もあり、璋子と通じたことが白河院にばれた男性は、左遷されています。
こうした事情もあり、西行と璋子の恋愛は成就しなかったと考えられます。

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自由に和歌を読みたい。表現者としての苦悩

また、西行は数寄者でもありました。北面の武士であったころの西行は、確かに武官としてはエリートコースを歩んでいました。
しかし、平安時代の武士は、後の武家社会に見るような社会的地位はなく、貴族の命令が絶対でした。
武功を上げても出世には限界もあります。
また、西行は歌人でもありましたが、形式ばかりを重んじる貴族社会の和歌のあり方に不満を持っていたのではないかという指摘もあります。
宮仕えをしていると宮廷の歌会に出ることもありましたが、そこではルールにのっとった形で和歌を詠まなければなりませんでした。
格式ばったうわべばかりの和歌ではなく、もっと自分の気持ちに寄り添った自由な和歌を読みたいという願望が西行の心の中にはあったのではないでしょうか。
璋子との件は、西行のこうした迷いを捨てて出家することになった要因の一つだったのかもしれません。
こうして貴族社会を出た西行は、自由人、当時で言うところの数寄者(すきしゃ)として、奥州、西国、瀬戸内海など旅を続け、素直な自分の気持ちに寄り添う優れた和歌を残していきます。
彼の和歌は、技巧と形式を重んじる貴族の和歌とは異なり、自分の気持ちに素直で自然体であることが特徴です。
こうした西行の生き様は後世の人にも大きな憧れと畏敬の念を与えました。
『奥の細道』で有名な松尾芭蕉は、西行の生き様に憧れ、500年忌に合わせて奥州へ旅をしています。
それだけ西行の考えに共感する人が多かったということでもあります。

最期まで自分のスタイルを貫いた西行の最期

西行の時世の句として「願わくは 花のもとにて 春死なん その如月の 望月のころ」という有名な和歌があります。
願うなら、旧暦の2月、満月の下で、ちょうど桜が満開になる頃に死のうという意味です。
西行が没したのは、ちょうど桜が満開になった日の翌日であり、多くの人を驚かせたという話があります。
桜は西行のもっとも好きな自然の一つです。
その桜とともに自分の人生を幕引きした西行は、自然を愛するという生き様を最期まで貫きました。
形式的、儀式的な貴族社会を離れて、自分の気持ちに寄り添った和歌を詠む姿は、さながら現代の私たちが世界各地を旅し、自分らしさを探究することに憧れを抱くのと似ています。
西行は1000年前に生きた人物ですが、今も私たちに影響を与える人物なのです。

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