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焚書坑儒の意味・使い方

2018-03-09

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意味

古代中国の秦の始皇帝が行った思想取り締まり政策のこと。
書物を燃やして、儒者を生き埋めにするということ。

由来

中国の春秋・戦国時代を終わらせて中国を統一し、秦を成立させた始皇帝のもとには法律家として李斯がいました。李斯は儒家が過去の中国の政治を理想として、現代の秦の政治を批判していることや、法治国家として秦を治めようとする始皇帝の政治を批判しているとして「儒家の書物をすべて焼き払い、儒者を生き埋めにすること」を始皇帝に提案します。始皇帝はその提案を受け入れてまず儒家の書物を提出させて焼き払いました。これが「焚書」です。翌年には方士や儒者の中に始皇帝を批判して逃亡するものが現れ、激怒した始皇帝は秦の首都である咸陽にいた約460名の儒者を生き埋めにして虐殺しました。これが「坑儒」です。この一連の中で儒家の経典で六経と呼ばれた六冊の中の「楽経」が失われました。

これは始皇帝の政策としては複雑に理由が絡んでいます。始皇帝は法家の思想に基づいて政治を行っており、法を定めて国家を治めるという「法治国家主義」でした。しかし、儒者の掲げる仁義忠孝の思想や人徳によって国を治める「徳治主義」は自らの統治に邪魔だったのです。また、すべての書物を焼いたわけではなく、「医学書・占い・農業」に関する書物は所持が許されました。提出が義務付けられたのは思想が絡む書物でした。

この思想統制は始皇帝の死後、秦が滅び、項羽と劉邦が争って劉邦が勝ち、漢の国を建ててもしばらくは残ったままでした。

後の時代への影響

それ以降も国が興っては滅んでいきましたが、政策として意図的に書物を焼き捨てるという行為は行われませんでした。ただし戦乱の中で結果的に書物が燃えてしまうということは頻繁にあり、貴重な書物がすべて現存していない原因となっています。

近世では大戦中のドイツのナチスがナチスを批判する本やユダヤ教の経典などを集めて焼き払ったことが「焚書」として残っています。

また、中国においては文化大革命時に毛沢東が焚書坑儒を正当化する漢詩を詠んだことが問題視されました。

現在においては思想の違いから意図的に書物を焼くということは敵対する相手や第三者に対しても非常に嫌悪感を抱かれる行為であり、相手に対して強い抗議をする際や相手を挑発する行為として行われるのみとなっています。近年では、敵対する相手が信仰している宗教の聖典を大量に焼くことで挑発行為を行う集団がいました。

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