日本史

幕末の見果てぬ夢の象徴 戊辰戦争最後の舞台「五稜郭」

2018-05-13

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1869年5月18日、戊辰戦争における最後の戦いである箱館戦争が終結しました。明治政府を樹立した土佐、長州、薩摩藩らを中心とした新政府軍と、奥羽越列藩同盟、土方歳三率いる新選組などの旧幕府軍とが戦った戊辰戦争のことは誰でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。今回はそんな戊辰戦争とその舞台となった五稜郭の歴史に触れていきたいと思います。

完成後わずか2年で江戸幕府が崩壊、その後は……

五稜郭は江戸時代末期に江戸幕府により建造されました。蘭学者の武田斐三郎が、当時のヨーロッパで普及していた星形要塞を参考に設計したもので、火器による攻撃に対抗するために独特なデザインになっています。当時の箱館開港に合わせて箱館奉行所の移転先として築造されましたが、1866年に完成してからわずか2年で江戸幕府が崩壊、その後は新政府軍と争っていた旧幕府軍の本拠地となっていきます。
もともとは大政奉還後、1868年4月に五稜郭には箱館府が設けられ、それまで通り政庁として機能していましたが、同年10月に旧幕府軍艦隊を率いた榎本武揚が鷲ノ木(現在の森町)に上陸すると、函館に向けて進軍を開始。箱館府知事の清水谷公考も迎撃に尽力しますが同月25日に青森へと逃亡したため、翌日から松岡四郎次郎らが五稜郭を占領しました。その後は榎本武揚も五稜郭へ入城し、大鳥圭介らの指揮のもと堤防の修復や大砲の設置などの工事を冬の間に行ったと言われています。

1868年の鳥羽・伏見の戦いからわずか1年後の箱館戦争まで

そもそも国の在り方を巡る戊辰戦争は1868年1月、幕府の軍艦が薩摩藩の軍艦を砲撃したことにより事実上の開始を迎えたとされています。これにより長州・薩摩藩と幕府軍とが戦闘状態となったことで、戊辰戦争の幕開けとされる鳥羽・伏見の戦いが開始しました。その後朝廷より江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜追討の勅が下されると、旧幕府軍は「朝敵」として厳しい立場に置かれていくことになります。

戊辰戦争には現代でもファンが多い新選組の隊員たちも多く参加していました。当時近藤勇率いる新選組は「甲陽鎮撫隊」と名を改め進軍していましたが、甲州勝沼の戦いで敗れると近藤勇が捕縛され処刑される結果に。その後は江戸城無血開城を経て、舞台は東北へ、さらに北海道へと移っていきます。五稜郭占領後は榎本武揚が北海道においていわゆる「蝦夷地共和国」の名で知られる事実上の政権を樹立し、朝廷に追認の嘆願書も提出していますが、これも認められず新政府軍は五稜郭へと進軍。1869年5月11日に最後まで抵抗を続けていた土方歳三が狙撃により戦死し、5月18日に榎本武揚が降伏したことで箱館戦争並びに一年以上にわたる戊辰戦争が終結を迎えることとなったのです。

五稜郭タワーで幕末のドラマを知る

戊辰戦争終結後は五稜郭が再び戦の場として歴史に現れることはありませんでした。しかし地域住民たちには積極的に利用され、現在は桜の名所として、地域のイベント会場として賑わいを見せています。また、1964年には五稜郭築城100周年を記念して五稜郭タワー(旧タワー)が建設されたのち、2006年からは新タワーが築造されました。タワーに設けられた展望台では五稜郭の全景はもちろん、函館山や津軽海峡などの景色が観られます。五稜郭の歴史を学べる「五稜郭歴史回廊」や新選組の鬼の副長、土方歳三のブロンズ像も置かれており、当時のドラマを垣間見ることができるようになっていますので、ぜひ一度行ってみてください。

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