四字熟語

四面楚歌の意味・使い方

2018-06-08

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意味

周囲が全て敵で、完全に囲まれていること。
周りが敵ばかりで味方がいないこと。

由来

古代中国において秦の滅亡後に覇権を争ったのは楚の項羽と漢の劉邦でした。二人の争いは最初は項羽が優勢でしたが、徐々に劉邦が盛り返し、ついに垓下の戦いで項羽軍を打ち破り、そのまま包囲します。しかし項羽軍はまだまだ数は多く、しかも項羽自身が剛勇無双の豪傑でしたので攻めあぐねていました。そこで劉邦軍の指揮をとっていた韓信は一計を案じます。

ある夜に項羽軍はとり囲む漢軍から楚の故郷の歌が聞こえてくるのに気付きます。四方から楚の歌が聞こえる、これが「四面楚歌」という言葉の由来です。楚の兵士たちは故郷を出てから長い間故郷に戻っていませんでした。みんな望郷の念にかられていきます。また、敵軍の中から自分たちの故郷の歌が聞こえたことで、「仲間の多くが敵に降伏した」「自分たちの故郷がすでに敵に占領されている」と思ったのです。実際にはまだ楚は漢に占領はされておらず、この楚の歌は韓信が兵士たちに練習させて歌わせたものでした。すっかり戦意を喪失した楚の兵士たちに漢軍から降伏を呼び掛けると楚の兵士たちは次々と降伏していきました。このとき項羽は自らの状況を嘆き、「垓下の歌」を詠んで愛妾と一緒に居たとも、酒を深く飲んで寝ていたとも言われています。

翌朝、項羽は残った将兵800名ほどを引き連れて包囲していた漢軍を突破して南下していきます。項羽軍の故郷である楚の国を目指したのでしょう。幾度となく漢軍に追いつかれますが、項羽はわずかな兵とともに烏江という長江の渡し場までたどり着きます。ここには烏江の亭長(役人)と船が一艘だけありました。亭長が言うには項羽がこの船に乗って長江を渡れば他に船はないので漢軍は追えない、というものでしたが、項羽は「楚の若者数千人を連れて故郷を出て自分一人がおめおめとは帰れない」として追いついてきた漢軍に突撃していき、最後には自ら首を刎ねて生涯を閉じました。

意味の変遷

英語表現では、
He was surrounded by foes.
(彼は敵に囲まれていた)
となります。
現代でも「周りが敵だらけ」「誰も味方してくれない」という意味で使用されています。実際にとり囲まれているという意味で使用されることもありますし、会議などで誰も自分の意見に賛同してくれないというような状況にも使われています。

使用法、使用例

「誰も俺の意見に賛成してくれなかったんだ。ひどいものだよ」
「四面楚歌だったわけだな。敵ばかりだとつらかっただろう」

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