伝統工芸

九州長崎が誇る「波佐見焼」

2018-06-22

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日本が誇る伝統的工芸品には様々な種類のものがあります。九州長崎が誇る「波佐見焼」もその一つです。
ここではその波佐見焼について紹介していきたいと思います。

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1、波佐見焼の歴史

戦国時代と呼ばれる安土桃山時代に現在の長崎県あたりを領有していた大村氏が豊臣秀吉の命令で朝鮮出兵に参加したことがきっかけとなっています。この時、数多くの朝鮮半島の陶工が日本に同行して海を渡ってきました。大村氏に同行したのは「李祐慶」という人物でした。

初めに焼き物をはじめた際には釉薬を使用した陶器でした。陶器は吸水性のある粘土を原料としており、素朴な焼き物になります。その後、この付近で良質の土が発見されたことから磁器の生産へと移行していきました。磁器は陶石と呼ばれる石の粉に粘土や石英を混ぜたものです。磁器は陶器よりも硬くて耐久性があるため日常的に使用する食器としては最適なものです。
当初は三股郷の陶石を原料として焼く「青磁」が中心でした。そして砥石として使用されていた天草地方の石を原料とした「白磁」が中心になっていきます。

そのころから天草の石を大量に仕入れるとともに、全長が160mとも言われる巨大な窯を作って安く作れる陶磁器を大量生産してきました。このころから1990年ごろに至るまで日本全国で使用される陶磁器食器は約30%のシェアを誇るまでになっていました。

しかし、江戸時代ごろにはこの辺りは争いが常に起こっていました。この付近には有田など焼き物の生産で有名な地域が多く、土や焼き物をする際に使用する薪や木材を争っていたのです。決められた境界線を越えて他の領地に入って資源を奪うことも珍しくなく、それを発見した勢力との間でケンカ、殺し合いまでが起こっていたのです。何度も藩の代表者による話し合いがもたれ、幕の頭山頂にはこの時に境界線を決めた名残である三角柱の「三領石」が残されています。

大量生産が始まった江戸時代初期ごろには茶碗や皿、酒を入れる徳利などの日常食器が作られていました。それらの中でも分厚く、丈夫な厚手の茶碗は大阪の船着き場で人々に食事や酒をふるまう食器として使用されました。これは当時、日本全国からそれぞれの藩の特産物が集められていた大阪で商いをしている船に小さな船で近づき、「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って売られていたものです。とにかく何度も使用されるために安くて丈夫な食器が求められていたことから、最適であるとして使用されたと考えられています。その呼び声から「くらわんか碗」として有名になっていきました。

2、くらわんか碗に代表される波佐見焼

くらわんか碗は天草地方の陶石を使用して「手ろくろ、手ひねり、型打ち、袋流し」といった技法で茶碗を形作り、約900度の温度で素焼きした後に高温で発色する下絵具で絵をかき、釉薬に浸した後に約1300度の高温で本焼きをします。
こうしてできた「くらわんか碗」は、手ごろな値段で売られました。それまで陶磁器と言えば「高級品」として裕福な商人や武士だけが使用するもので庶民が使えるものではありませんでした。
しかし「くらわんか碗」は丈夫で壊れにくい上に素朴な美しさがあり、庶民のあいだで爆発的な人気を誇ったのです。こういった基本の考え方は約400年が経った現在でも変わっていません。

波佐見焼のもう一つの顔として「コンプラ瓶」があります。これは染付白磁で徳利に似た形の瓶で、「蘭瓶」とも呼ばれることがありました。江戸時代の長崎と言えば鎖国中の日本において外国と取引をすることが許された唯一の町です。
そしてこの町からオランダなどに日本製品は輸出されていったのです。ちなみにコンプラ瓶とはオランダ人などを相手に商売をしていた仲買商人である「金富良商社」によって名前が付けられたと言われています。中身は「醤油」と「酒」の二種類がありました。江戸時代のあいだ、オランダ東インド会社によってオランダ本国や東南アジア方面への輸出品としてコンプラ瓶は大活躍をしていったのです。それはそのデザイン、丈夫さ、実用性が評価されたためです。

大村藩は波佐見焼を藩の政策として大々的に押し出し、「皿山役所」を開設した上で波佐見皿山を発展させていきました。貿易の仲買商人をしていた「金富良商社」もどんどん大きな規模になっていきました。

波佐見焼、コンプラ瓶については多くのエピソードが残されています。フランスの絶対王政の象徴「太陽王ルイ14世」がコンプラ瓶を愛用していた、という話や「戦争と平和」で有名なロシアの文豪「レフ・トルストイ」が書斎でコンプラ瓶を一輪挿しとして使用していたといったものです。

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3、波佐見焼の美しさ

波佐見焼は、ただ丈夫なだけではなく、透き通るような白磁の美しさに呉須(青・藍色)で絵付けされた「染付」の趣のある味わいが特徴です。その繊細な透かし彫りや編目模様の上品さはまさに波佐見焼ならではと言えます。

庶民の間で人気だった波佐見焼ですが、「くらわんか碗」と呼ばれる茶碗や皿、「三股徳利」と呼ばれる徳利、「コンプラ瓶」など幅広く展開した上で、長い年月の間に時代に合わせて改良を加えることで現在までその技法が伝えられてきたのです。

現在では「波佐見陶磁器工業協同組合」が波佐見焼の伝統を継承しつつ、後継者を育成しています。また、広報活動も担っており、波佐見焼に関するイベントを開催したり、販売なども行っています。

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