伝統工芸

かつて製法は秘伝だった「有田焼」の歴史

2018-08-04

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数ある伝統的工芸品の中でも高い知名度を誇るのが「有田焼」です。しかし名前は知られているものの詳しくは知らないという人が多いのも有田焼です。
そこでここでは有田焼について細かく紹介していきたいと思います。

1、有田焼の歴史

九州西部佐賀県辺りには有名な焼き物の産地がいくつもあります。これには安土桃山時代に豊臣秀吉が朝鮮出兵を二度にわたって行ったことが大きく影響しています。朝鮮出兵自体は豊臣秀吉の死によって中断し、日本軍は朝鮮半島から引き上げることになりましたが、その時に朝鮮の陶芸家、芸術家を一緒に連れてきたのです。

その人たちが朝鮮に比較的近い九州北部や西部に住み、そこで陶芸を行ったことが始まりとされているのです。

有田焼も肥前の領主であった鍋島直茂が連れて帰ってきた「李参平」が江戸時代初期に有田地方東部の泉山で白磁鉱を発見し、近くに天狗谷窯を開いて日本で初めて白磁を焼いたのがはじまりとされています。李参平は日本名を「金ヶ江三兵衛」といい、有田町では李参平を「陶祖」として尊び、陶山神社に祭神として崇められています。

鍋島藩はその後、有田と伊万里地区の窯を整理して有田皿山を形成しました。このころの有田焼は、少し大きめの大皿や素焼きしないまま釉薬を使用して本焼きをしていることによる薄めの柔らかい色合いが特徴です。

そして中国人の陶工による技術指導で、本焼きをした後に上絵付けを行う色絵磁器を生産するようになります。このころの豊かな色彩と力強い画風は加賀国九谷焼や備後国姫谷焼に大きく影響を与えています。

江戸時代中期に入ると濁手と呼ばれる乳白色の生地に上品な赤を基調として絵画的な絵柄を描く「柿右衛門様式」が盛んになります。これは輸出用の陶磁器としては最高級品として珍重されました。さらに金彩をまじえた「金襴手」も製造されるようになり、ますます価値は上昇していきます。

当時すでに日本一の陶磁器生産地となっていた鍋島藩ですが、それは徹底した職人管理によって成り立っていました。陶磁器の製法は秘伝のものとされ、職人たちは隔離された場所で生活をしき、外部との行き来は厳しく制限されました。

しかし江戸時代後期になると瀬戸の職人である加藤民吉が潜入に成功し、脱出後にその製法を外部に漏らしたために、それから瀬戸でも大々的に陶磁器の製造が行われるようになっていきました。瀬戸は現在でも大生産地となっています。

それでも有田焼ブランドの名前は落ちることなく近現代に入ってもいまだ高い知名度を誇っています。

さらにこのころは総量規制によって輸出量も制限がされてきていました。陶磁器は重量があるために輸出に大きく制限がかかるようになり、このころから日本国内向けにシフトしていきます。

ちなみに江戸時代はこの辺りの陶磁器は「伊万里」の港から積み出しが行われていたために、まとめて「伊万里焼」と呼ばれていました。つまり江戸時代には「有田焼」「伊万里焼」は一緒の物と考えられていたのです。

明治時代に入って有田地区のものを「有田焼」、伊万里地区のものを「伊万里焼」と明確に分けられるまで一緒にされていたのです。

また、明治時代以降は万国博覧会に有田焼の皿を持っていくなどしたことによって再び海外で評価されるようになっています。

2、さまざまな有田焼の表現技法

有田焼には「手書き」と「転写」という二つの技術があります。手書きは酒井田柿右衛門が始めたとされる伝統的な技術で、時間や手間がかかりますがそれだけに陶芸家の個性や技術が出やすくなっています。高価な美術品として扱われるのはこちらのものです。

それに対して転写は「早く安く大量に」生産することを目的としたものです。手触りもツルツルと平面的で画一的なデザインになっています。

またそれぞれの表現技法としては以下のものがあります。

「白磁」・・・生地の白さをそのままに生かし、透明の釉薬である白釉を使用した白い磁器
「陽刻」・・・手書きの時に発生する表面の隆起を活かして模様を浮かばせるもの
「染付」・・・素焼きのあとに呉須を使って絵図柄を描くもの。藍色に発色するもので下絵付けとも言われます。明治時代以降はコバルトを使用するようになっています。
「色絵」・・・本焼きした上に赤や黄、緑などの絵具で上絵付けを行うもの
「青磁」・・・鉄分を含む釉薬を使用して鮮やかな青緑色に発色させた陶磁器
「瑠璃釉」・・・透明の釉薬に呉須を適量混ぜることで瑠璃色に発色させるもの
「銹釉」・・・鉄分を含む釉薬を使用して茶色や赤茶色に発色させるもの
「辰砂」・・・酸化銅を含む釉薬を使用して還元効果で赤色に発色させるもの

3、近現代から現在の有田焼

大正時代に入ると大幅に生産を増加させていきますが、昭和に入ったあたりから瀬戸や多治見の陶磁器にシェアを奪われるようになっていきます。この時期に倒産した窯元から多くの陶芸家が独立していきました。

戦争が終わると再び生産が増加するようになり、このころから食器や美術工芸品の他にもタイルやガラスなどの製造も増加していくことになります。

現在、伝統的工芸品として製造される高価な工芸品も一人の作家が最初から最後まで製造するのではなく、「分業」が行われるようになっています。これは成形や絵付けなどをそれぞれの専門家が行っていくもので、個性を残しながらも質の高い品を作ることができるシステムです。

また、有田町では「有田観光協会」が中心となって様々なイベントも行われています。ぜひ有田を訪れてみましょう。

有田観光協会
佐賀県西松浦郡有田町岩谷川内2-8-1
電話 0955-43-2121 FAX 0955-43-2100

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