仏像

仁王が門番になったのは力比べが原因だった?

2018-09-11

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仁王様が寺院の門番になったのには、経緯があります。何事にも経緯、原因はあるものです。そこから結果が生まれるというのは、仏教の根源的な教えですね。
では、何故仁王様は門番になったのでしょうか。それははるか昔、唐の時代までさかのぼります。
仁王様はあまりに怪力なので、少し調子に乗っていた時期がありました。「唐に我慢とかいう強者がいるっていうじゃないか。ちょっくら力試しに行こうかね」と図に乗った若者の典型のような理由で出かけます。生憎、我慢さんは留守でした。
仁王様は「あの子(我慢)が帰るまでお待ちくださいね」と、我慢の老いた母親からもてなしを受けましたが、この老婆が尋常ではない強さでした。
「婆様でこの強さ?我慢はどれだけ強いんだ?」とさしもの仁王様も恐れをなし、我慢が帰ってくる足音を聞くや縮み上がって逃げ出します。
しかし、我慢も老婆から力比べの話を聞いたようで、「逃げるな!」と追ってきました。海に逃げ込もうがお構いなしです。丈夫な鎖を投げるなど、かなりの問答無用ぶり。
「戦おう」と言ったのは仁王様の方なので仕方のないことではありますが、無茶と勇気は違います。仁王様は神様に助けを求めました。
「助けて下さったら門番となります!」と祈ったのが通じ、どうにか逃げ切ることに成功。
我慢の方は地域によって井戸に閉じ込められたなど諸説ありますが、元々は仁王様の過信から来る無茶な決闘でした。
しかし、実際仁王様に自分を過信するほどの力があったのは事実ですし、実際門番の役目は務まっています。何がきっかけで天職に就くか分かりませんね。

国宝の仁王様はたったの3組

仁王様を祀る寺院は数あれど、国宝に指定される仁王様は、全国で3組しか存在しません。それも無理からぬことでした。門番として寺院の外で吹き曝しが常なので、保存状態が良くないのがデフォルトです。色ははげ落ち、歴史的価値や芸術的価値こそ高くても、国宝には及ばず。
そんなややブラック企業的な状況に身を置く仁王様の中において、国宝とされるのは東大寺南大門、東大寺三月堂、興福寺国宝館に安置されています。

【東大寺南大門】
仁王様といったらこちらを思い浮かべる方も多いでしょう。運慶、快慶らによる慶派の仏師たちがたったの2カ月で仕上げた超傑作です。今更語るまでもない力強さ、頼もしさで、入り口の段階から圧倒されます。
ややディフォルメされていますが、このディフォルメも迫力が出るようにと計算づくのものでした。

【東大寺三月堂】
正式名称法華堂に安置される仁王様は、色々と南大門のものと違いがあります。まず、服装。上半身裸でいかにもパワフルな南大門の仁王様とは違い、こちらは武装をしています。
仁王様と言えばその佇まいに圧倒されてあまり頭部に目が行かない物です。三月堂の阿形像は逆立った髪をしているのが特徴で、珍しいことづくし。
振り上げた手も相まって3mと小ぶりながらも、その迫力は南大門の阿形像に引けを取りません。
吽形像は髪を結っており、動きも比較的静かな印象。それでも内から強いエネルギーを感じさせます。
配置としては、お堂に入り向かって左側に位置します。さらに左にいるのは四天王の一人、増長天(両手で矛を持つ姿)です。吽形像はご本尊の不空検索観音像を挟み、向かって右側に位置します。吽形像の右にいるのは、持国天です。
お堂の中でご本尊を守る四天王と共に、仏敵ににらみを利かせて信者やご本尊を守護しています。

【興福寺国宝館】
上半身裸、という点でいえば東大寺南大門の仁王様と似た面がありますが、金剛杵や天衣(羽衣のような布)もつけていません。下半身を覆う裳(も)だけです。
余計なものを取り払い、訴えたい必要なものだけを残した。そんな印象を与える仁王像と言えます。筋肉質の足がしっかりと足場を捕らえており、仏敵排除の任をこなしているとのイメージが強いです。

薬叉神、守護神を経て護法神へ

護法神は大抵波乱万丈、意外な経歴を持っています。仁王様もその例に漏れませんでした。
インドにいた頃、仁王様は薬叉(やくしゃ)神のひとりでした。薬叉というのは、夜叉とも呼ばれる鬼神の一種です。
仏教の天部と呼ばれる存在は半分くらいが元鬼神なので、そこは別に驚くに当たりません。阿修羅を含む八部衆も元をたどれば大部分が鬼神でした。
仏教に取り入れられた後、仁王様は重要な任に就きます。門番ではありません。お釈迦様の?生神(ぐしょうしん)です。
?生神というのは、二人一組の神で、人が生まれると同時に誕生し、休むことなくその人が行ったこと(主に善悪)を記録します。その人が死んだら閻魔様に「この人はこういう人でしたよ」と報告するのが?生神の務めです。
地獄絵などで、閻魔様のもとにある生首のような存在が?生神で、「この人はこんなことをしましたよ」と言ったことを報告するわけです。
「報告しただけか」とお思いでしょうが、?生神には、ついている人を守護するという役目もありました。ただ肩に乗って「はい、悪いことした、減点」とか言っているわけではないのです。
仁王様は常に金剛杵を手にお釈迦様を仏敵から守っていました。?生神自体が煩悩を意味するとの見方もありますが、お釈迦様は煩悩も何もかも超越した方です。おのずと、見張り役ともいえる?生神を自分を守る神に変えたとも言えるでしょう。
そんな実績も相まってか、仏教が盛んになると門番として寺院を守るようになります。役目は仏敵を寺院に入れないことです。

ポージングのモデルは中国の版画

日本で一番有名な仁王様、と言えばやはり東大寺南大門の二体でしょう。大きさや躍動感は群を抜いています。
ところで、東大寺南大門の仁王様には「一般的な仁王様配置が逆」との指摘が度々あります。
向かって左に阿形像があり、向かって右に吽形像があるのは異例です。これに関し、宋の時代の仏教美術をモデルにしているのではないか、との見方があります。
南大門の仁王様はポージング、配置、金剛杵の持ち方が、中国宋の時代に作られた版画に酷似しているというのです。南大門事態にも宋時代の影響があるとされており、ある種のリスペクトが伺えます。
ここで思い浮かぶのが、「偉大なものは模倣から生まれる」との言葉です。素晴らしいものを見て、感嘆する。それを手本にする。手本にしながら、自分なりの何かが生まれて、更に素晴らしいものが生まれることも少なくありません。
先人をに敬意を表してその技を研究することで、新たな宝が生まれていくのです。

神仏習合で神社にも置かれた仁王様

仁王様は仏教寺院の守護者です。基本的には寺院の門の所に負わします。二本にはもう一つ、代表的な信仰対象がありますね。そう、神社です。
神社の場合は狛犬が守っているのがデフォルトですが、時折仁王様のいる神社も存在します。
これは、日本で生まれた神仏習合の名残りです。日本にもとからあった神道(神社)と、舶来の仏教(寺院)を合体させたことにより、仁王様のいる神社も生まれました。
群馬県の今村神社や大分県の初八坂神社などで見られます。廃仏毀釈の関係で一時神社から身を引いた仁王様もいますが、再び戻ってきた仁王様も少なくありません。

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