ついにWWE殿堂入り、藤波辰爾!

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1 日本人で二人目の快挙、WWE殿堂入りの藤波辰爾

2015年は日本人選手が殿堂入りするのではないか、という噂は年初から流れていました。日本人選手でWWEの殿堂に値するレスラーとして藤波辰爾の他にキラー・カーン、天龍源一郎、マサ斎藤の名前が取りざたされていました。カーンはWWFのトップヒールにのし上がっていました。天龍はSWS時代、レッスルマニアにも出場。また、マサ斎藤はミスター・フジとのコンビでWWFタッグ王座に就いていました。

そのなかで殿堂入りの栄誉を受けたのは藤波辰爾でした。現地で毎週月曜日に生放送されている「ロウ」の中でアナウンスされるのではないかとの見方もされていたなか、2015年3月19日放送の録画番組「スマックダウン」のなかで明らかにされました。

藤波のもとへはいち早くWWE本部から直接吉報が届いていたそうですが、トップシークレットとされていました。WWEはこのあたりの情報統制が徹底しています。

「スマックダウン」が日本時間の金曜午前に流れると同時に、藤波の身辺もあわただしくなりました。WWEジャパン本部から正式に殿堂入りがリリースされます。藤波は週明け、当初からスケジュールに入っていた姫路城を訪れ、NHKの番組収録。帰京した足で25日、ジャパン本部における記者会見に臨み、翌26日には日本を出発。レッスルマニア前日にあたる28日(現地時間)、カリフォルニア州サンノゼのSAPセンターでの式典に臨みました。

式典では各受賞者をステージに迎えるインダクターの存在にも注目です。2010年にアントニオ猪木が殿堂入りした際にはライバルだったスタン・ハンセンがインダクターを務めたように、受賞者にとってゆかりのある人物に白羽の矢が当たります。このとき、藤波を迎えたのは「ネイチャーボーイ」リック・フレアーでした。

1991年3月21日、新日本が「スターケードin東京ドーム」と銘打ち開催したWCWとの対抗戦で、藤波はフレアーを破り、NWA世界ヘビー級王座を獲得します。当時、保持していたIWGPヘビー級王座と合わせて2冠に輝きました。両者の因縁を考えると、フレアーはインダクターとして最適の存在でした。

受賞者はレッスルマニア当日、会場のサンタクララ、リーバイス・スタジアムでファンに紹介されました。

この時の渡米には香織夫人と長男のLEONAも帯同しました。LEONAにとって渡米は物心が付く前に父親の遠征についていって以来のことでした。

藤波がMSGでベルトを巻いたことはLEONAも史実として知っていました。しかし、世界的規模を誇るWWEと父親がこういう形でリンクしたことで、あらためて父の偉大さを認識したそうです。藤波はザ・ロックの父親ロッキー・ションソンと同世代。フレッド・ブラッシーやアーノルド・スコーラン、パット・パターソンなど旧知の仲間はもういませんでした。それでもLEONAは「時代は流れていくなかでプロレスに古いも新しいもない。いいものはいいと、こういう形で共有してもらえたことがうれしい」と話しています。

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2 ドラゴン殺法

1978年1月23日、藤波辰巳(当時の名)はカルロス・ホセ・エストラーダを破って、WWWF(79年3月1日付でWWFに改称)ジュニアヘビー級王座を奪取します。シンデレラボーイ誕生の瞬間はテレビ朝日の衛星放送にのって日本に届けられ、一躍時の人になりました。ドラゴン伝説の幕開けでした。

海外武者修行の旅を終えて、若手時代から変身した姿を凱旋マッチで披露するのがプロレスラーの出世コースの定番とされてきていましたが、藤波の場合は、そういう意味でも型破りでした。

日本を出発してから2年8か月。この間、ミル・マスカラスとのチーム結成やカネックとの流血戦などメキシコでの模様が日本の専門誌で報じられたことはありましたが、ゴールデンタイムで「ワールドプロレスリング」が放送されていた時代、一般的には無名の若手にすぎませんでした。

そんな藤波がニューヨークの檜舞台と言われたマジソン・スクエア・ガーデンに登場、一発でタイトル奪取という偉業を成し遂げたのです。

フィニッシュホールドがまた衝撃的でした。ドラゴン・スープレックス・ホールド。相手を羽交い絞めしたまま後頭部からマットに叩きつける。今でこそプロレス界で浸透していますが、当時の感覚でいうと前代未聞の必殺技でした。

スープレックスというと、レスリング日本代表として72年ミュンヘンオリンピックにも出場したジャンボ鶴田が「七色のスープレックス」と称される各種スープレックスを使いこなしていました。ダブルアーム、サイド、フロント、ジャーマン、リバース。最も難易度が高いと言われたジャーマンをさらにしのぐインパクトを藤波のスープレックスはもたらしたのです。

その衝撃性もさることながら藤波のドラゴン・スープレックスはフォルムの美しさに目を見張るものがあります。ベタ足ではなく、つま先立ちの状態で踵を上げたブリッジ。当時の藤波の持ち技にはブリッジをベースにしたものが多くありました。相手を後方回転エビ固めに丸め込んだ体勢から自らの体を反らしブリッジを完成させる回転足折り固めなどです。

ブリッジとはプロレスの基本中の基本です。藤波は日ごろの鍛錬を徹底して行い土台を築き、そのうえで華やかな必殺技を完成させたのです。

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