歴史 鍋島氏の居城として知られる佐賀県・佐賀城 江戸時代から続く歴史に迫る

2019-05-14

関連キーワード

佐賀県佐賀市の中心部に位置する佐賀城は、「日本百名城」のひとつに数えられている国の重要文化財です。古くは戦国時代から長きにわたって佐賀県の歴史を支えてきた佐賀城は、現在は公園として整備されており、市民の憩いの場としてにぎわいを見せています。

佐賀県佐賀市の中心部に位置する佐賀城は、「日本百名城」のひとつに数えられている国の重要文化財です。古くは戦国時代から長きにわたって佐賀県の歴史を支えてきた佐賀城は、現在は公園として整備されており、市民の憩いの場としてにぎわいを見せています。

佐賀城は龍造寺氏の居城であった佐賀龍造寺城(村中城)を拡張・改修した平城です。龍造寺家は佐賀が肥前国と呼ばれていたころからこの地を治めていた一族で、戦国時代に村中城を築き、居城としていました。しかし、一族の中でも龍造寺家を最盛期に導いた戦国大名・龍造寺隆信が志半ばで死去すると、その重臣である鍋島直茂が実権を握り、江戸時代の徳川政権下で佐賀藩主となってからは村中城の改修に取り組むようになります。

佐賀城の総普請が完成し、当主である鍋島勝茂が本丸に入城したのは江戸時代初期の1611年のことでした。しかしその後、1726年には天守閣や本丸をはじめとする建物が焼失、1835年には藩政の中心であった二の丸が焼失するなど、佐賀城は幾度となく大火災に見舞われます。また、1874年(明治7年)に起きた佐賀の乱では江藤新平率いる反乱軍に一時占拠され、建造物の大半を失いました。鯱の門には今も反乱軍と新政府軍との戦いのさなかに付けられた弾痕が生々しく残っています。

佐賀の乱で多くの建物が失われたものの、本丸は鯱の門とともに損失を免れました。明治新政府が樹立された後も、本丸跡は学校や県庁として使用されてきましたが、1957年には解体されています。
しかしその後、2004年に本丸の一部を木造で復元した佐賀城本丸歴史館が建てられ、佐賀の歴史を知ることができる貴重な場所として人気を集めています。

別名「沈み城」 現在は佐賀城本丸歴史館も

佐賀城の城郭の構造は平城となっており、周囲を幅50mもある土塁が囲んでいます。土塁には城内が見えないようにマツやクスノキが植えられているため、城が樹木の中に沈んでいるように見えることや、外部から攻撃された時は主要部分以外は水没させる仕組みになっていたことから、佐賀城は別名「沈み城」と呼ばれています。

現在は公園として整備され、本丸跡には建物の一部を復元した佐賀城本丸歴史館が建てられている。
本丸御殿を復元したのは日本初の試みであり、館内では「幕末維新期の佐賀」をテーマに佐賀県が輩出した偉人や佐賀藩の科学技術などが展示されています。ARで鍋島直正とツーショット写真が撮影できる「からくりウィンドウ」や本丸御殿を3D画面で探索できる「バーチャル佐賀城」など、最先端の技術を用いたユニークな展示もあるので、ぜひ体験してみてください。

歴史と革新を体感できる佐賀城へ

現在、佐賀城の鯱の門と続櫓は佐賀県の重要文化財、国の重要文化財に、鍋島直正の居室だった旧佐賀城本丸御座間・堪忍所は佐賀市重要文化財に指定されています。歴史的な建造物を見ながら城内をゆっくりと散策した後は、ぜひ最先端の技術も体感できる佐賀城本丸歴史館も訪れてみてください。きっといろいろな角度から佐賀城の歴史に触れられるはずです。

佐賀城
住所:佐賀県佐賀市城内2-18-1
電話:0952-41-7550(佐賀県立佐賀城本丸歴史館)
入場料:無料
佐賀城本丸歴史館HP:https://saga-museum.jp/sagajou/


また、歴史に関しては下記のような記事もありますので、あわせてお楽しみください。


恐るべき大怨霊? 弱者を助けるヒーロー? 神秘のベールに包まれた平将門その素顔を探る!


戦闘・交通両方で有利「海城」は何処にある?!



    ▲ページトップ